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21・フェイクフラワー

なんかまるっとあやふやです。

自分なりに工夫したんですけど、才能の限界は一週間じゃ越えられないみたいです。

また全部書き終えたら補正します。


あと、このノクターン一部が終わったら、黒鉄設立秘話的な話である『マーク オブ ブラックメタル』か、そのまま続きに行くかで悩んでます。

構想練るのに基本的に時間がかかる人なので、よろしければ希望をお出しくださいませ。


今回はあとがきがありません。





 服を脱がされ、念入りに──そして嬉しそうに汗を拭かれたり、着替えを用意されたりと一通り世話を焼かれた後、俺はスズカが剥いてくれたリンゴをしゃくしゃくと食べていた。

 『シャクがしゃくしゃくと』なんて、全くつまらない自分のダジャレに、1人バカウケしていたスズカも、今はまた刺繍の続きに没頭している。

 これもスズカの特徴の1つ。


 彼女は決して馬鹿笑いはしないけど、笑いの沸点が異様に低い。掛け値なしのダジャレに、口元を抑えて笑っている姿は微笑ましくもあり、笑うポイントが分からず若干ひくところもある。

 カーリアンも笑いの沸点が高いとは言えない──そもそも彼女は、喜怒哀楽全ての感情の沸点が低い──から、その辺りも気の合う箇所なんだろう。

 まぁ一番気の合うところは、強大な能力を持っている割に、2人ともが寂しがり屋って辺りなんだろうけど。



 最近はしょっちゅう食べている気もするけど、このリンゴ自体も貴重な糖分であり、食糧ではあるのは間違いない。

 カリギュラ印のミカン──気候的にはミカンの方が適している事もあり、リンゴ自体なかなか手に入らない一品なのだが、やはり入院中はリンゴ、というイメージが強いのだろうか。スズカはリンゴを幾つか仕入れ、持ってきてくれていた。

 彼女も俺と同じく、黒鉄としての給金をほとんど使わないクチだから、いい機会とばかりに箱ごと大人買いをしたのかもしれない。

 残りのリンゴは仲間に配ったとしても、彼女の性格上なんの不思議もない。

 むしろ喜んで班の仲間に配って回っただろうと思う。


「シャク」


 そんな事を考えていた俺に、彼女は小さく首を傾げながら声をかけてくる。

 その手を休め、脇に刺繍の道具を置くと、彼女は少し躊躇うような仕草と共に視線を合わせてきた。

 その様子に、思わず若干身構えてしまう。

 何か嫌な予感がする。

 予感というよりも、確信と言った方が近いかもしれない。

 スズカは、俺に対して何かを言いよどむ事自体滅多にないし……それに今はタイミングがタイミングだ。

 それぞれの目的を持った『狐狩り』が動き出した今、スズカなりに思うところもあるだろう。

 それに用件が終わっても(つまり一通り世話を焼き終わっても)スズカが帰ろうとしなかったのは、彼女の方にまだ用事があるんじゃないかと思えたのだ。

 そう考えればここで刺繍を続け出したのも、間を計っていたんじゃないかと思える。



「シャクはこれからどうするの?」


「どうする……って何を?しばらくはここに──」


「そうじゃない。そういう事を聞きたいワケじゃない。分かっているハズ。とぼけないで欲しい。あなたがいつまで『シャクナゲ』を続けるつもりなのかを私は聞きたい」


「…………」



 ──この質問はいつかは来る質問だと思っていた。

 今までされなかったのが不思議なくらいでもあった。

 それでも息を呑む。ひょっとしたらスズカは、そんな疑問をもう持っていないんじゃないか──そんな淡い期待を持っていたのかもしれない。


 彼女は俺がこっちに来る前からの知り合いで、付き合いの長さだけで言うならカブトよりも長い。そしてアカツキよりも古い。

 そんな彼女がこの街に来た理由は、単に俺に付いてきただけでしかなく、この街そのものには縁もゆかりもない。

 彼女の出生地方は、関西とほぼ同時期に争乱が起こった地方だけど、関西に比べて東北は、それ以前から変種に対する差別や蔑視が大きかった地方である。

 それだけにかなり以前から変種達は団結し、古くから徒党を組んでいたらしい。

 ヴァンプと呼ばれるような支配者層でこそなかったが、優秀な──あるいは強力な指導者さえいれば、関東などより早くに革命が起こっていたかもしれない。

 その指導者の候補こそがスズカであり──変種、既存種に限らず、彼女はいつも他人から狙われていたのだ。


 その力を利用する為に……

 もしくは災いの芽として。


 だから何もなくても彼女はいずれあの地を離れていただろう。

 あるいは自分を取り巻く環境に絶望し、東北という地方を代表するヴァンプになっていたかもしれない。


 そんな故郷を離れる理由になったのが俺であり、この街に留まっているのも、単にその延長に過ぎない。


 だからこの質問は、あの時から──俺の戦う理由たるアカツキが亡くなってからは、いつされてもおかしくない質問だった。

 それでも答えの用意なんて出来ていない。

 『自分はずっとシャクナゲ』……そんな陳腐な言い聞かせで、全てをあやふやにしてきたくらいなのだから。

 ずっとこの街にいられる、そう思い込もうとすらしていたのだから。


「あなたがここにいたいと言うなら構わない。それなら私もここを守る為に戦う。もちろん戦いたくなんてないし、力なんて使いたくはない。だけど、あなたの側にいられないよりはマシ。だからあなたがここにいたいなら、私もここで戦うつもりでいる」


 だけど……と続けながら、彼女は少し俯いた。

 それに俺は沈黙を返す。沈黙以外は返しようがない。

 それは何を言いたいかが分からないからじゃない。

 何を言われるか分かるからこそ怖い。だからこそ言葉が口から出てこない。


「あなたはいつまで罪を償い続けるつもりなの?」


 出てきたのは予想通りで……ある意味予想の斜め上をいく言葉。


「あなたはいつまで『約束』に縛られるの?いつまで『シャクナゲ』を背負うの?いつまで──」


 自分を罰し続けるの──?


 胸を突き刺されるような錯覚を覚える。

 彼女には……全てを知る彼女には、俺の罪と罰を知られている──その意識が『刃』となって心に突き刺さる。


「あなたはもう十分罰は受けた。全部があなたのせいなんかじゃないのに、あなたは全部背負ってきた。『あなたのお父さんが殺された』のも、アカツキが死んだのもあなたのせいなんかじゃない。それでもそれを背負ってきた」


「俺は……」


「あなたのお父さんは、あなたに向かうハズの怒りを自分が受け止めた。でもそれは、あなたのお父さん自身がそう願ったから。親の務めだと信じたから」


 言葉が出ない。喉の奥に何かがつっかえているような気がする。

 胸が痛い。すごく痛い。今までスズカが溜め込んできた言葉の刃が、深い傷痕を刻む。


「アカツキもそう。アカツキの望みはアカツキ自身のモノ。それはあなたのモノではないし、あなた自身もアカツキではない。そもそもあなたは──」


 ──シャクナゲなんて名前じゃない。


 そう続けられた言葉に心が膿を出す。

 ジクジクと……ダクダクと……とめどなく膿が溢れ出る。


「あなたはあなたの為に生きてもいい。罪も罰も捨ててもいい。生きているのはあなた自身なのだから。約束の相手であるアカツキも、罪を償う相手であるお父さんももういない。2人とも自分の考えで生きて……生きぬいて……自分自身の考えでもういない」


 ここまで饒舌なスズカは久しぶりに見る。その言葉が刃の鋭さを持つなんて、これが初めてだ。

 それに驚く暇もなく、ただ心が血に塗れでいく。


「あなたはもうシャクナゲを捨てて……過去を捨ててもいい。過去を心のずっと奥にしまって先をみてもいいと思う」


 ──少なくとも私はそう思っている。


 その言葉に心が軋む。

 歪み、欠け、壊れつくしたハズの心が、なおゆっくりと歪さを増していく。


「それにもういつまでも全てを隠しきれない。あなたが隠し通せても他の人々はそうはいかない。スイレンにヨツバ。カブトにその副官。六班のシークレットクラン……そしてネームレス達」


 ──それら全てが、アカツキが隠している真実を隠し通せるとは思えない。


 それは……その通りだと思う。

 アカツキがいかに防壁を凝らし、幾重ものファイヤーウォールを築いても、それを突破してくる相手は必ず出てくる。

 越えるべき目標さえあれば、その先にあるのがなんであれ興味を持ち、なんとしてもそれを越えてしまいたくなるのが人間だ。

 その先にあるモノが『絶望』か、はたまた『一握りの希望』かなんて結果は、そこには全く関係ない。

 『パンドラの箱』がもしあったならば、開けてみたくなるのが人間なのだから。


 今もそれを志している人間はいる。

 カクリにマルスの2人がその筆頭であろう。ひょっとしたらシークレットクランに近い場所にいるマルスなら、すでに黒鉄の全てを知っているかもしれない。

 そしてカクリならそう遠からず『真実』を得ると思う。



 ──黒鉄とは檻であり、コードフェンサーとは『符号で囲う者』という意の言葉だという事を。

 『フェンサー』とは剣士という意味などではない。つまりコードフェンサーとは『コードを持つ戦う者』の意ではないのだ。

 フェンサーとは『檻』や『囲い』。

 フェンスから連想し、擬人化された『アカツキの造語』。

 コードフェンサーとは、戦う為に作られた存在などではなく、『囲ったモノを抑えこむ為の存在』なのだと言う事を……いつか皆が知る日が来る。

 アカツキがいくら皆が勘違いをするようにその在り方を作っても、コードフェンサーの真実は檻の役割だという事を知る。

 俺やアカツキがそれをいくら望んでいなくても……それをどれだけ巧妙に隠していてもだ。



「あなたは絶対傷つく事になる。絶対嘆く事になる。間違いなく居場所をなくす。だから聞きたい。あなたはどうするつもりなのかを」


「……俺は」


「いつまでも隠せない。きっと今はもうその時。ずっと隠せたならそれで良かった。でももう隠せない人もいる」


 彼女は無機質で、無表情を装って、その刃を振るっていた。

 言葉を研ぎ澄まし、敢えて俺の傷をえぐっていた。

 そうしなければ、溜まった膿を掻き出せないからそうしたのだろう。

 そんな事などしたくはないであろう事は、彼女の優し過ぎる性格と、律儀過ぎる性質からしても間違いない。

 その無表情こそが証拠だ。薄くともいつもは見えている表情が、綺麗に隠されている辺りが彼女の心境を語っている。

 もう首を傾げていない辺りから、彼女には迷いも何もない事が窺える。


 本当に彼女は優し過ぎる。そう思う。

 自分がしたくない事や相手の傷を抉る言葉を、ここまで躊躇なく使えるのは間違いなく優しさだ。

 相手を気遣うだけの甘さじゃなく、相手を立ち上がらせる為の優しさだ。

 強さだと言ってもいい。

 それが分かっていても言葉が出てこない。

 スズカがどれだけの覚悟を秘め、どれだけの勇気を振り絞っているのかが分かっていても。



「今いる内通者も秘密を隠せない誰か。多分だけど間違いない。きっともう秘密を持っていられない誰か。今の秘密を抱えたままの黒鉄を変えたい誰か……」


 ──あなたもそれは分かっているでしょう?


 そう続けられても、俺には答えられない。答えるまでもないからではなく、単に答えたくないから答えられない。


 俺は黒鉄にいたかった。この罪を償える場所を捨てられなかった。

 アカツキが作った『昔の日本に近づけた場所』を守れたなら、守る為に戦えたなら……

 それは自己欺瞞に過ぎなくても、罰と償いをこなせている気がするから。


「あなたが望むなら、私は黒鉄を……秘密を知る全てを消してもいいと思っている。アカツキの黒鉄を全て壊し、1から作り直してもいい、と」


 ……望まない。そんな事は望んでいない。


「あなたが自分を罰する場所としての黒鉄を必要とするなら、その為に力を振るう覚悟はある」



 ……罰する為の場所。


「また、ここと違う地に渡るのもいい。そこで全てを捨てて、1からやり直すのもいい。シャクナゲとスズカを捨てて、忘れて、2人だけで過ごしてもいい」



 ──そんな真似は……出来ない?

 本当に?心は惹かれない?全く心は揺れ動かない?

 忘れたフリが出来るなら……そんな忘却を許す場所があるなら、行ってみたくはない?

 答えはノーだ。行けるものなら行ってみたい。

 全てをリセットして、リセットを受け入れてくれる人とゆっくり暮らせるなら、それは過去を捨てられる事とイコールだ。

 過去をゼロにするのと変わりない。

 なにしろその場所には『罪も罰もない』。『償い』をしないのなら、それらは全くの無価値だ。


「あなたは──」


 でも……それでもそんな真似は出来ない。

 いや、許せない。

 それを許せば、過去の過ちも後悔も全て許す事になる。

 混迷する世界情勢から、差別され、蔑視され始めたこの国の変種達を、『自分なら救える』と過信して、慢心して……結果躓いてしまった愚かな子供を赦す事になる。

 そんな事は力を持った個人がやっちゃいけない、そんな独りよがりな事を思っちゃいけない……そう思い知った『俺』まで捨てさる事になる。

 俺の為に全てを捨ててくれたオヤジを忘れ、俺を支えてくれたアカツキを捨てる事になる。

 そんな挫折と反省──いわば思い出の全てを失う事は、俺にとって生きる価値を失う事と同義だ。


「……スズカはどうしたい?」


「私はあなたに従うつもり。今までもそうしてきたし、これからもそれは変わらない」


 彼女の意志を聞こうと……いや、彼女の選択に逃げようとしても、やはり彼女はそれを許してはくれない。

 彼女はいくら強くともあくまでも甘える側の存在で、決して他者に甘えさせる側ではないのだから。

 信頼する者には全力で甘えて、全身で選択を委ねてくれる代わりに、絶対に決められた選択には抗わないのだから。


 それは一見楽な立場に立っているようにも見えるだろう。だが、決して簡単に出来る事なんかじゃない。

 絶対の覚悟と……絶大の信頼を持てなければ、そんな思考委任、権限譲渡みたいな真似は出来ない。

 そんないつも通りのスズカのスタイルに、俺はようやく笑みを浮かべられた。

 そのいつもと……今までと変わらないスズカのおかげで。

 信頼と覚悟を目の当たりに出来たおかげで、元々1つしかなかった選択肢を選びとる事が出来たのだ。

 だって俺は『ずっとシャクナゲ』で……『今でもアカツキの友人』なのだから。


「逃げるにしても──そしてこのまま黒鉄でいるとしても、俺にはやるべき事がある」


 そう、今までの立場を考慮すれば……そして今後残される黒鉄達の事を考えれば、やっておかなければならない事が俺にはあった。

 この地を離れるにしても、このまま暴かれた真実に貫かれるにしても、やっておかなければならない事が俺にはある。

 アカツキの友としての唯一の心残り。唯一のやり残しが。


「……将軍を殺すこと?それとも関西軍を潰すこと?」


 そのスズカの言葉に、小さな笑みが浮かぶ。

 そして、そんな事が──誰かを殺すという事が言える少女に少し悲しくなる。

 自分の事は棚に上げて、悲しくなる。


 将軍を殺す事。関西軍を潰す事。

 それらは同義であり、全く違う事でもある。

 例えば将軍を殺しても、関西軍は違うヴァンプが率いる事になるだけであり、関西軍の軍としての機能を潰しても、あの将軍なら新しい関西軍を作り直すだけだろう。


 だから俺は、様々な感情を押し殺して小さく首を振った。

 その2つは『黒鉄のシャクナゲ』としての心残りだ。

 シャクナゲとしていずれは達成すべきだった目的だ。

 それはアカツキの友人であるシャクナゲの心残りではない。

 例え形が同じだったとしても、俺には俺で──俺個人としての理由がある限り、そんな誰かの為なんて言い分は使いたくはない。

 黒鉄の為だなんておためごかしを使いたくはなかった。


「俺の心残りは坂上を倒す事だよ。『将軍』なんて名乗っているヴァンプじゃなく、アカツキの──智哉の友人だった男の事でしかない」


「それは同じ──」


「違うよ。全然違う。だって俺には、ヴァンプを打倒する者である黒鉄の資格なんて、もともとなかったんだから。黒鉄じゃない俺のこれは単なる私怨だよ。あの時に……智哉が死んだあの時に、坂上を止められなかった愚かさを晴らしたいだけさ」


 それは後悔というよりも未練に近い。『かつて討とうとした相手』を、自分の覚悟のなさから逃した未練。

 そのせいで、今も神杜が関西軍の脅威にさらされている事への悔恨だ。

 かつて黒鉄を維持する為に将軍を討とうとして、それを果たせなかった弱さの償いだ。


『将軍を殺してしまえば、俺は神杜にいる必要なんてなくなるんじゃないか』


 そう考えてしまった弱さと汚さ……そのせいで犠牲になった人々に対するせめてもの誠意だ。


 いまさら失った命が返らないのは分かっている。そんな事で償いにならない事も知っている。自己満足なんじゃないかとも思う。

 でもそれらは、義務を果たさない理由にはならない。

 死者達の想いを果たす義務。

 シャクナゲに架された夢を果たす義務。

 一度裏切った信頼を今度こそ果たす義務。

 それらを裏切る理由になど絶対にならない。


「俺はもう一度《光都》へ行くよ。今度こそ坂上を殺す為に……」


「私も──」


「ありがとう、スズカ。でももう、スズカも俺なんかに縛られなくてもいいんだよ。好きに生きていいんだ」


「私も……」


「でももう一度だけお願いを聞いてもらえるなら、俺が帰ってくるまで、ここを……この街を守っていてほしい」


 スズカの言葉を遮るように……聞かないようにする俺は、きっと残酷な事をしていると思う。

 ヒドい事をしているんだと自覚している。

 それでもそのまま一気に言葉を吐き出すと、そのニット越しに頭を撫でてやった。

 彼女が一番好きな事……コンプレックスの象徴でもある頭を撫でるというその仕草に、万感といってもまだ足りないだけの謝罪と、罪悪感を込めて。

 そしてそれ以上の感謝を……ずっと付いてきてくれていた事への感謝を込めて。


「もし俺がしばらくたっても帰ってこなかったら、全ての真実を明らかにしてほしい。そして《狐》を──秘密に潰されそうになっていただけの狐を、許してやってほしいと伝えてくれ。それが終わったら、スズカは逃げるんだ。戦わなくていい場所まで逃げ続けてほしい」


「……お兄ちゃん」


 初めて会ったばかりの頃と同じように──こっちに来る前と全く同じにそう呼んだスズカの瞳からは、ポロポロと涙がとめどなく溢れていく。

 綺麗な紺碧色の海と同じ色をした瞳から溢れるそれを、軽く拭って立ち上がる。


 彼女は絶対に止めない事を知っていたから。

 信頼する人の選択は、彼女にとっては絶対のモノだと知っているから。


「……帰ってくる?」


「帰ってくるよ、俺はまだまだ生き足りない」


 まだまだ罰を受け足りない。

 まだまだやる事もある。

 死ぬにはちょっと重荷が多すぎる。


「帰ってきたらまたお兄ちゃんって呼んでいい?」


「それは……」


 ちょっと勘弁してほしい。絶対に色々と誤解を招く。解けない誤解で絡められる事になる。


「いい?」


「……いいよ」


 あんまりよくないけど、そう頷いて──壁に掛けてあったコートに腕を通した。

 俺がまだ『宵闇』のシャクナゲだった頃からの一張羅。戦闘服。アカツキから貰ったモノ。

 そして近くのテーブルに置かれたままだった『シャクナゲ』を手に取った。

 もうすっかり馴染んでしまったグリップの形に、いまだ馴染めない死の感触を感じて──

 泣かせてしまった妹のような少女に、心の中で謝罪する。

 彼女に何も言わせず、一気に自分の考えを述べた自ら卑怯さを。

 そうすれば彼女は絶対に従ってくれると知っていたからこそ、より深い罪悪感を感じる。

 だから胸の中で彼女自身に誓ってみせた。


 必ず帰ってくる事を。

 その先にあるのが断罪なのか、赦しなのかは分からない。

 それでも今度こそは──と。


 アカツキにも、俺のせいで死んだ仲間達にも誓う。

 甘さも弱さも全てを捨てて、『シャクナゲ』の縛すら捨て去って、この街を脅かす親友のかつての友人を殺す事を。


 それを胸に秘め──

 俺は一週間近くをのんびりと過ごしてきた部屋をあとにした。


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