終幕番外・始まりの三人
「バカな……」
彼女の思いはその一言に集約されていた。
予期せぬ事象に出会い、それに対してなんの手立てもこうじない内に、そんなありきたりで間の抜けた一言を洩らす事しかできない自分自身を、おかしいと思う余裕もなかった。
それほどに目の前の状況は『異常』だった。
東海軍のナンバースリーであり、強面の男達を従える狂人とも呼ばれる少年を補佐して、東海という地方に確固たる地位を築いている彼女をもってしても、目の前に広がる光景は信じられなかった。
思わず『バカな』などという、目の前に厳然とある事実を認めたくないという思いのままに、そんな己の狭量さを現すだけの言葉を吐いてしまうほどに。
「……お前、まさか本気で俺と殺しあえる、なぁんて思ってんじゃねぇだろうな? ほんの何年かあってなかっただけで、そこまでイッちまったのか?」
目の前で彼女のマスターが……あのマスターシヴァが、ただ一方的に蹂躙されるなど夢であっても信じられなかった。
マスターシヴァは間違いなく『中日本一帯において最強の一角』で、あの北陸の女王たる長尾まりあや、新羅と名乗る革命家とも向かい合えるだけの異常種であるはずだ。
関東という始まりの地から、かつては仲間だった『新皇』という化け物達の攻撃を振り切って抜け出し、東海に新たな地盤を築いた少年は最強たりえる実績を十分に持っているはずなのだ。
彼の力と殺人嗜好を知らぬ人間などおらず、彼と戦いたがる酔狂者もまたいない。長尾まりあや新羅とて無闇に刺激を与えたがらないような危険物だ。
それほどの力を持つ少年が、ただ身体のあちこちをぐちゃぐちゃの肉塊に変えられ、無様な姿で地面に這いつくばっている姿など信じられるはずがない。
「……かは、くふふっ、痛いなぁ、痛いじゃんか。僕に『痛い』を思い出させるなんてさ、さすがは――」
――新皇。
そう、例え名実ともにこの国最強最悪を冠される『新皇の一人が相手でも』だ。
倒れ伏し、それでも笑っているシヴァの姿など信じられるはずがない。
その男が現れたのは、動乱に揺れる関西という地を手中にすべく西征し、関西という地が関東という地獄にも迫る剣呑な地である事を確認して、ただそれだけの成果を手に東海へと帰る途中の事だ。
そろそろ拠点としている旧・岡峰市――マスターシヴァがなんとなく気に入ったという理由だけで、東海地方の中心となった街に入る直前の道端にその男は立っていた。
立ちはだかっていたわけではない。ただ道の隅っこに立っていただけという風情であったのに、その男の手前で数十もの車で構成された東海軍は足を止めた。
いや、例え関西で失った車が健在で、数百台規模の軍団であってもそこで足を止めただろう。
その男はそこにいただけで、一地方の軍団を留めてみせた。無視できない何かを感じさせた。
そしてその男を確認したシヴァ……先程まで眠っていたかのように静かだった少年は、その男の気配に狂喜して。
衝動のままといった雰囲気で、車のドアを開けるのももどかしそうに蹴破ると飛びかかり――大地に貼り付けられた。
飛びかかった勢いそのままに『大地に向かって勢いのベクトルが変わったかのように』、無様に大地にへばりついたのだ。
あのマスターシヴァが。
標本に貼り付けられた昆虫のように。
そしてその男は、あっさりと自身の名を名乗って――東海の軍団はその名前が持つ意味に凍りついた。
新皇という、人の遺伝子から産まれた怪物の名前に……しかもその新皇の中でも、無色や灰色と同じく『始まりの三人』たる濃紺の名前に、その場にいた全員が震え上がったのだ。
「あぁ〜、まさかとは思うけどよ、ひょっとして前に関東から抜けたあの時、俺に本気でお前を殺すつもりがあったとでも思ってんのか?
本気でこの俺と『りぃ』から逃げられた、とでも?」
目には見えない『何か』。
見えないが、マスターシヴァを圧倒する『何か』が放たれては、大地に張り付いた少年の身体から血飛沫とミンチと化した肉が霧状に舞う。
あのマスターシヴァの『世界そのもの』たる身体が欠けていくのだ。
サードたる女性では手を出せるはずがない。東海の軍勢を使ってもまだ足りない。
それどころか足を地面に縫い付けられたかのように、誰一人として一歩たりとも動けない。
「あん時に本気だったのは、せいぜいが山吹のやつぐれぇなもんだ。俺は俺で山吹主体の行動って事自体が気にくわなかったし、りぃはりぃで甘いヤツ『だった』からよ、ユウのヤツが反対してんのに『自分が拾ってきたお前』相手に本気になれるはずがねぇだろ?」
「その割には殺す気満々だったじゃんか、忘れてないよ?『濃紺』が今みたいに僕の身体を削ってくれた感覚をさ」
――ぐーちゃん。
そう言って、欠けた端から再生していく身体にはなんの違和感もないのか、マスターシヴァは笑ってみせる。圧倒され、ひたすら攻撃をされる側に回りながらも、いつもの歪んだ笑みを浮かべる。
対する男は、そんな異常をまるで種も仕掛けもバレバレなつまらない手品でも見せつけられている観客のように、冷たく乾いた瞳で見やりながら嘆息を漏らした。
どこまでも深く、底無しの闇を宿したかのようなその呼気は、それだけで男の疲れを体現しているかのように長く続き、二人の皇が向き合うという異常な景色に溶け込んでいく。
「はん、お前が今も『狂人』なんて呼ばれながらも生きてる……それこそが、俺達が本気じゃなかった証だろうが。
忘れたのか?俺とりぃとユウ、この三人だけが本当の新皇で、お前と山吹は格下なんだって事をよ」
そんな中で、一方の異常の源たる濃紺のストールを纏った長身の男は、その長い濃紺の襟巻きを無造作に流し、冷めた瞳で――いっそ何もかも諦めたかのような乾いた瞳と言ってもいい瞳で、もう一方の異常たるマスターシヴァを見る。
その額には、三つめの瞳のようにも見えなくもない、肉と一体化した珠玉が淡く赤銅色に輝いていた。
本来ならば人がその身体には持たないものを、あり得ない形で生まれ持つ。それが純正型だ。
ならば、埋め込まれたというよりも自然に肉を割って覗いているそれは、『純正型の証』と呼ばれるものだろう。
純正型という、人の変種の中では最高の異能力を持つ人間の証であり、今の世の中では『支配階級』の証でもある。
そんな証を軽く撫でてから、彼は再度深い嘆息を漏らす。
再生していくマスターシヴァと、その狂笑を正面から受けて、心底からうんざりとしたかのように。
溜まりに溜まった疲労をその嘆息に滲ませて――そして再度全快したシヴァの身体を削り取る。
「お前が逃げた時は、正直ちっと期待したんだがな。いつか俺達の誰かが壊れちまった時には、ひょっとしたらストッパーになってくれんじゃないか、てな。いくら格下でも、あいつらが可愛がってたお前ならあるいは……そんな浅はかな期待もしてたんだけどよ。
やっぱあの時にきっちり殺しとくべきだったってのかよ、くそっ」
「あはっ♪言ってくれるじゃん、じゃんか。あははっ、笑えるよね、ね?」
そんな男の憂鬱を見て、身体をいまなお削りとられながらも血がべっとりとついた細い髪をかきあげて、シヴァは興が乗ったかのようにその瞳を歪に細めた。
自身の身体が削れた事も気にしない。胴体の半分が削がれても、顔の下半分が崩れても気にも止めない。
彼の身体の傷が胴の中心や頭にいくほど、マスターの世界は重い攻撃をうけている証であるのに、そんな事は全く気にもしていない。
「ねぇ、ぐーちゃん。本当の新皇なんてものがいるとすれば、それは『あの二人』だけさ、そうだろ?君は単に最強たる力があるだけで……新皇たりえる力があるだけで、あの二人とは違うってのにさ、さぁ!」
そして、憂鬱そうに、面倒そうに、それらを覆い隠しうる疲れを滲ませながら、自分を『格下』だと言う男にマスターシヴァは嘲る笑みを向ける。
欠けていない方の指を指して溢れる笑いに腹をよじる。
「それなのに、堕ちた僕を……僕だけを格下なんて君は言うのかい?」
「……現にお前じゃ俺にゃあ勝てねぇだろ」
「ふん――笑わせないでよ。君と僕は同格さっ。君は異常に強いだけでしかない。白銀の彼女もそうだ。君らも僕も皇種と呼ばれる力を持つけれど……その立場を持っているけれど、あの二人とは違う、まるで違う。『あの二人だけが違う』んだよ、分かってるだろ、ぐーちゃん?」
「……俺はあいつらより下と思った事ぁねぇ」
「はっ!じゃあ君は、あの見渡す限り広がる、誰よりも広大な死の世界を持つ灰色の異常と同格の異常を持っているのかい?なんでもだれでも――そう、どんな理論や常識、あるいは他人の世界すらも汚染する、最悪の無色と同じだけの力があるって?笑わせるなよ、君はそうじゃないだろ?」
その返答にマスターシヴァは嘲笑を抑え、むしろ憐れむような視線をむけ、嘆くかのように首を軽く左右に振ってみせる。
「ぐーちゃんの厄介なところはさ、その濃紺が強すぎる事さ。強すぎて、強すぎる。
だからぐーちゃんは分からないんだよ、だよね?それとも分かってて気付かないフリなのかな?」
「何が言いたいんだ?」
「あははっ!ヒャハ、ヒャハハハハハッ!
あらら、とぼけちゃやーよっ!君じゃ『ひーくん』みたいにはなれないんだって事さっ!ゆーちゃんと同じになれないって事でもいいっ!分かってるだろっ?」
そして溜めに溜めて、堪えきれない笑いを爆発させた。
新皇の一人にして、先程自分をあっさりと肉塊に変えた男の存在を嘲笑った。恐れなど微塵もなく、ただただ狂ったように笑いをぶつけた。
「ひゃははっ、同じ強さ……ううん、ゆーちゃんにはさすがに真っ向からじゃ敵わないにしても、ひーくんには勝てるだけの強い力を持っていてもさっ、君はあの二人みたいな特別じゃないっ。君はただ最強に最も近いだけだ。
ほらっ、僕らは同格だ、そうだろっ!グラビティ・ロードっ!」
「昔の尋はもうちっと可愛げがあったのにな。ひねくれたもんだ」
「あはっ、ヒャハハハハっ!
――いつまでもガキ扱いすんなよっ、藤原央!もう僕は芝浦尋じゃないっ。あんたや二人の『ひらの』の後を追ってただけのガキじゃないっ!
東海地方のマスターシヴァだっ」
そう言って、シヴァはその手から血の刃を伸ばした。
薄く、向こうが透けて見える『惨劇の刃』を。
それに、ただ嘲笑われても表情を変えなかった男は視線を細め、重厚な威圧感と圧倒的に剣呑な殺気を爆発させる。
「……そうかよ、じゃあマスターシヴァ。
とりあえずお前はここで死んどけ。
結局、山吹の言った通りになるのは癪に触るけどよ、今のお前はもう見たくねぇ」
――Charge。
そして静かに響く声音でそう言うと、空に向けて軽く掲げた手のひらをくるっと回してみせる。
それは昔馴染みである三人に共通する仕草だった。
『三人』。
始まりの皇たる三人。
この国で『始祖』と呼ばれるにたる三人。
彼らだけが、己の世界を回す時にする共通の仕草だ。
その共通するスタイルで、濃紺色の世界に熱を入れ理に力を加えていく。
ネイビーロード……『殲滅世界とも呼ばれるあらゆるものを飲み込んでしまう灰色』と『最悪とも言われる全てを汚す無色』に並び、『最強』と称された始まりの皇たる『新皇』の世界……暴食世界を現実へとばら蒔いていく。
「藍色の空に澱みあり
伏せる心は錆び付いて
彼方を見る眼は仄暗く
洩れる言葉は呪いを食む」
淡々と。
でも重厚な響きで広がる言葉は、大地に軋みをあげさせ、空間に目視できるほどの歪みを産む。
「孤独に苛まれた魂は
いつかありし日に置き去られ
枯れ果てた涙に溺れゆく。
この世界に神はいない。
もはや誰もいない。
ただ一人きりの世界で
終末の唄がただ流れゆく」
「はんっ、昔とワードが違うじゃんか。そんなに『孤独って名前の猛毒』は心ってヤツを荒ませたのかいっ?
――笑えるよっ、かつてどれだけ人間を殺しても涙一つ見せなかったあんたが、あんたみたいな人がっ!たった二人の仲間が道を違えただけでそんなに疲れ果てちゃうなんてさっ!」
「――I will be a Beelzebub.(我は全てを暴食する者だろう)」
恐るべき速さで迫り、空気を引き裂きながら血刃が振るわれるも、『濃紺』たる男は小揺るぎもしなかった。
ただ手を掲げるだけで、狂喜の笑いを爆発させて迫る少年を這いつくばらせる。
そこに減速という過程はなく、一気に停止させる。
「――But I did it my way.(それでも俺は自分の道を生きてきた)」
そしてその少年へと視線を向ける事なく大地にその手を向けると、それだけで四方数メートルの領域に激震を走らせた。
「……忘れちまったのか?だとしたらちっとショックだぜ。お前は肉に覆われた世界を持つ異常。それに対して俺は肉を食らう世界――『重力塊そのものを世界』とする異常。
勝てるワケねぇだろ、お前の世界は他の世界と違って『重みがある』し『確かな質量がある』。スズと俺を一緒にするなよ、あいつとは年季が違うんだ」
「ヒャハ、ヒャハハハハハッ!だからっ!?だからなんなのさっ?これでもう勝ったつもりかい?そりゃ甘いよ、甘すぎだっ。まだ終わってないよ、ないんだよっ?僕の身体を世界に引き寄せて、押し潰して、それだけで勝ったつもりぃ?ヒャハ!」
しかし、身体を大地に縫い付けられたかのように這いつくばったまま少年は笑い、その姿勢から腕の力だけで強引に跳ね起きると、大地にて震える血液と化したままの惨劇の刃を見向きもせずに、その顎を大きく開いて濃紺に迫る。
「確かに、確かに君には血の刃や弾丸なんかは効かないよっ。重さがあるそれは、君の濃紺世界に引き寄せられて、無力化されちゃうだけだろうさっ!
でもね、君こそ忘れちゃったのかい!?だとしたら悲しい、悲しいねっ!僕自身の身体は――この世界の中心たる身体自身にはっ!君の理も効きが弱い、弱いんだよっ!」
そしてその顎を大きく開き、唾液を滴らせ、牙のごとき八重歯を閃かせて立ち尽くしたままの男を噛み殺そうとして。
そしてそのまま再度地面に磔にされた。
牙を届かせる事なく、さらに強い力で縫い付けられたのだ。
「あれ?」
「お前が言ったんだ。そしてお前なら知ってたはずだろ、シヴァ。『俺も最強なんだ』。そこからただ堕ちたお前に勝てる道理がねぇだろ」
「僕になんで?僕の世界は――」
「もうその声を聞くことすら憂鬱だ。全力で身体そのものを押し潰す。世界そのもので、お前そのものでもあるその身体を食らいつくす。欠片も残らなきゃ、いくらお前でも死んでくれるんだろ?」
磔にされた少年はもはやピクリとも動かない。彼の世界の中心たる頭を僅かにもたげ、男の方を見やるだけで精一杯なのか、それ以上の動きはみせない。
ただ不思議そうに男を……藤原央を見やって、自身の周りにいくつも展開され、渦を巻き始め、あらゆるものを喰らい始めた濃紺色の死を見やる。
「――My name is Beelzebub(我が名は暴食の皇)
Catching things and eating their(獲物を捕まえて、ただそれを食らう).」
そして。
男のその言葉を最後に、マスターシヴァと名乗った少年は跡形もなく圧縮され、圧倒され、圧殺されて、その存在を自身の体積の数十分の一にまで押し潰されて。
ただ東海という地にその名前を刻んだだけで消え去った。
血という血、肉という肉を、四方八方に作った強力な重力源で引き裂いて、その肉を世界の中でさらに圧縮して、その引力同士が引っ張り合う力で超振動させて、その全てを完全な塵へと変えたのだ。
ただの一矢も報いられず、僅かな傷すらも残せないままで、マスターシヴァという存在はただ幾ばくかの塵と化した。
「ちっ、なんでこんなに胸糞悪ぃんだろうな?なぁ、お前らはなんでだと思う?俺は東海に巣くう害獣を殺しただけだってのによ。そうだろ?」
「バカな……バカなっ!?」
一人ブツブツとつぶやきを洩らし、ただ塵が風に舞い散る様を呆然と見やるサードと称された女にも、濃紺と呼ばれた皇はただ色も感情も失った瞳を向ける。
その額に埋め込まれたかのように淡く輝く珠玉だけが……肉に一体化した珠玉のみが、まるで三番目の瞳のように輝いた。
「……あぁ、いいぜ、てめぇらは逃げたきゃ逃げろ。好きなだけ逃げりゃいい。そりゃお前らの勝手だ」
――ただな。
そう続けて、錯乱するサード一人を残して逃げ惑い始めた東海の軍勢に向けて、彼は世界の核を『幾つも飛ばす』。
ごく小さな重力源を『核』として幾つも放ち、その効力が及ぶ範囲を幾つも作る。その全てがネイビーロードの『濃紺世界』。
濃紺世界の皇たる彼もまた、無色や灰色とも違う形で『異常』だった。幾つもの小さな世界を作る力――支配すべき世界の一つ一つは小さくとも、それを数で補い、力で補って、彼は最強の一角と呼ばれたのだ。
『最悪』と『災厄』、それに続く『最強』と称されたのである。
「……俺はてめぇらを誰一人として逃がすつもりはねぇぞ?それも俺の勝手だろうが。
だから逃げんなら精々心して――そして命懸けで逃げな。俺から逃げんのは容易かねぇぞ」
その力は、混乱したのかはたまた錯乱したのか、世界という肉体を周囲一帯に散布された重力源に引きちぎられ圧縮されて、血の色をした霧と極小の肉片と化したマスターの欠片を集めようとしていたサードをあっさりと飲み込むと、その力場をより大きく広げていく。
「そんでもって、俺が『新皇』なんて呼ばれるバケモノ野郎だって事をしっかり胸に刻んでから死ね」
一方的な戦争が終わり、そして虐殺が終わった後。
彼はただ一人、その身に冠された色と同色の外套を翻しながら西の空を見る。
視線の先にいる誰かの姿を見るかのように、先程まで額の珠玉以外はまるで能面のような表情を張り付けていた顔には、どこか懐かしげな色を浮かべていた。
「……ユウ。お前は生きてたんだな。良かったぜ。お前だけでもあの地獄からは抜けられたんならよ。それだけでも何年ぶりかのグッドニュースだ」
そう言って、外套の内ポケットからタバコを取り出すと紫煙をくゆらせる。
不味そうにただ煙を吐き、大気に流れ行くその行く末をぼんやりと見やり、胸元をかきむしるかのように胸に当てた手を固く握りしめた。
「……お前はもうこっちには戻ってくんな。俺は尋を……俺達の弟分だったヤツをあっさりと殺した。躊躇いも思ったほどなかったんだ」
躊躇いなんか感じなかった。
その言葉に嘘はないのだろう。その瞳だけは、いまだ絶対零度の冷たき輝きを宿している。
僅かな揺れもなく、ただ無彩色な感情が見えるだけだ。
「今の俺なら、多分お前でもあっさり殺しちまえる。痛みを簡単に押し殺してしまえる」
でもその冷たさは、まるで壊れてしまいそうな心を、その内にある感情を……無理矢理取り繕ったもののようにも見えなくもない。
少なくとも本当に何も感じていないのであれば、そんな言い訳にも聞こえる言葉を漏らしたりはしないだろう。ただ惨劇の場にその背を向けて去ってしまえばいいだけだ。
「だから、お前はもうこっちには帰ってくるな。今のりぃを止める事なんて所詮無理な話なんだ。だから、お前はあいつの敵には回るな。俺にはもう、壊れてしまってはいてもあいつしかいないんだから……りぃしか残されていないんだから、あいつを守る為ならお前でも殺さなきゃならないんだ」
――だからお前は帰ってくるな。お前が帰ってきたとしたら、それはりぃを止める為に帰ってくるんだろうから。
そう言って。
ほんの一口、一回大きく煙を吸っただけの煙草を、血の色をした塵が一際高く降り積もった辺りに投げ捨てる。
彼の力を喰らい、超振動により水分が飛んでカサカサになった赤黒い塵の上に、それは狙ったかのように突き立って、まるでその煙草が線香の代わりであるかのように紫煙を昇らせていく。
「俺は全てを喰らうものだろう」
彼はそれに視線を向ける事すらなく。
「それでも俺は俺らしい道を行きたかった」
お供すら連れず、たった一人狂った故郷へと足を向ける。
まともなものであれば、いかな故郷であっても帰ったりはしないであろう無色の毒が溢れる地獄へと。
「それが叶わない事は知っている。それでも一つだけ……たった一人だけ諦めきれないヤツがいる」
そのたった一人だけの為に、彼は地獄へと帰る。
人が人らしい生活など到底出来ない場所で、まともには生きていけない場所。
搾取される側も搾取する側もそこにはいない。
ただなんの見返りもなく奪われる者ばかりの中に、ほんの数人だけが全てを奪う力を持っているだけ。
単に絶対に逆らえないものがいて、絶対の上位者がいて――本物の王様がいるだけの地獄。
狂った王様は、ただ毎日もう一対の王様の名前を呼んで。
寂しい、寂しいと寂しがって。
悲しい、悲しいと悲しがって。
ここにいる、私はここにいると名前を呼んで。
そのままあちこちを探し回るかのように歩き回っては、その行く先々に地獄を拡げるだけの地獄。
食べる物を得ようと頑張って、慣れない畑仕事の末にようやくその実りを得ても、その寂しがりの王様は気にも止めず全てを汚していく。
もう一対の王様を探し歩いて、それ以外の全てを汚していく。
そんな地獄。
「例えお前を殺してでも、今のあいつに会わせたりしねぇ」
――きっとまともなりぃなら、今みたいな自分をお前にゃ見られたくねぇだろうから。
そんな王様を思って、王様になりきれていない彼は西へと想いを馳せる。
寂しがりの王様が想うもう一対の彼を想う。
自分があの時、彼の味方をしていたら何かが変わっていたのだろうか、と。
うん、ザ・噛ませ犬。
といった感じですかね。
もとよりここで彼は退場な予定でした。
そうじゃないと三部に支障が……あったりなかったりして。
ちなみに、完結にして第三部にする予定ですが、第三部ページを作ってから完結にします。
チャージ。セット。じゃあ彼女は?『Ready』です。唯一のレディだからってワケじゃなく。
いや、本当に。
グライ。グラビティ・ロード。ネイビーロード。
彼がね、男のキャラの中じゃ一番好きなんです。
拮抗してるけど、それでも一番をあげるなら彼。
女性なら圧倒的大差でカーリアンですけど。
うん、スズカやベノムな彼女より。
今の彼女はあんまりよろしくない感じですが、五部とかになると半ば独壇場……は言い過ぎかもしれませんし、ネタバレになるかもしれませんが、いい感じになる予定です。
ではグラビティ・ロード、藤原央について。
左右で目の色がはっきり違うヘテロクロミアで金と銀。
これ書いたかな?書いたつもりなんだけど。
で、額に赤銅色の硬質的なものが埋まっており、それが使っている力の強度で色彩が若干変わる。
身体能力も高く、世界の制御もほとんど完璧に出来ている(生まれた時から純正型である事を自覚しており、世界を認識していたものは比較的世界の制御が出来ている。この辺りは……多分マークにアカツキの推測として記載)
その世界の理は通り名とは違って重力などではなく、『引力』と『圧縮』が半分ずつ合わさったようなもので、『取り込む』事。
その力を彼は『暴食』と名付けている。
濃紺世界の中心にある核は、藤原央の望んだものを際限なく引き寄せ、引き寄せられたものは核が圧縮させる。その様が暴食。
大地や建造物に透過させ、そこに引き寄せる様が『重力』と呼ばれるきっかけであり、本来は引力に近い。
望んだもの以外を喰らわないように出来るが、なにもかもを喰らう無差別暴食な使い方もする。
スズカとは真逆、と言えば真逆に近いが、拒絶と
しかし濃紺世界の一番異常な点は、他の純正型とは違い『使用者たる人間を核とはしていない事』。
その為、いくつもの核を飛ばす事が出来る為、広大なる灰色に次ぐ領域殲滅能力と、灰色以上の単体攻撃力を誇る。
ただし、他の純正型のように自分を中心に領域を拡げるタイプではない為、いざというときの防御面では不安がある(つまりシャクナゲのような自動防御や、スズカのような咄嗟の拒絶は出来ないという事)。
そんな面からも、濃紺世界は超攻撃型な世界だと言える。