番外・二人のスクナビコナ
「ちっ、遅かったじゃねぇか。チンタラしてたら俺らが抜けた事に他のヤツらが気付いちまうだろうが」
夜深い時間……特に月のない夜は、漆黒が世界を支配する。
その日は半月が克明に空に浮かんでいただけまだ明るかったが、それだけに辺りの闇が強く映えていた。
かつて栄華を誇り、高い文明を誇り、世界でも最高水準の技術を誇った国という過去は、その時間帯にはどこにも見出だす事は出来ない。
ただ足元を照らし、僅かな安全と安心感を与えてくれていた街灯は、すでに維持する余裕もなくほとんどが撤去されて鋼材として再利用されており、残されたままのそれも廃墟と化した街に生える枯れ枝のように光を灯す事なくそこにあるだけだ。
今ではそんな真っ暗な夜こそが当たり前で、夜はほとんどの人間が眠る時間帯となっている。昼になれば無償で光を灯す存在があるというのに、わざわざ燃料を燃やし、資源を消費してまで何かをする事は無駄でしかないからだ。
ここ、廃都と呼ばれる廃墟が並ぶ街でも、夜目の効く人間が警備要員として要所を守り、周囲を厳重に巡回しているだけで、夜通し遊んだり騒いだりする輩は一人もいない。
そんな余裕がある者はおらず、日々の糧を得る為の労働に疲れ果てる者や、そういった人々を守る為に日がな一日頭を悩ませたり、身体を酷使して自らを鍛えあげたりしている者がほとんどで、夜はまさに廃都という名前に相応しい死した街のごとき静寂に包まれている。
そんな中、一人の若い男が苛立たしげに爪先を踏み鳴らし、かなり遅れて来た待ち人に噛みつくように歯を剥いた。
「くそっ、陽が出る前に出来るだけこの街から離れなきゃなんねぇってのに」
その男は端々に神経質な所作が滲んでおり、精神的に芯の細そうな印象があるものの、その外観は今の時代には見合わない派手な出で立ちをしていた。
くすんだ赤髪は、そのくすみが地味に見えないようにあちこちを乱雑に跳ねさせており、耳から鼻からあちこちにピアスを光らせて、派手に見える格好をしている。
そういった目に見えるところで派手さを強調する辺りから、かなり見栄っ張りで自意識の高い性格とその男の芯の脆さが透けているとも言えなくもない。
「おい、なんとか言えよ、紫念のスクナさんよ」
そんな男に噛み付かれているのは、まだ年端もいかない少女だった。
体型からすれば少年のようにほとんど凹凸のないスタイルではあったが、男にはない色香が滲みでており、夜という闇の中に見れば幻想的な何かに見えなくもない。
見るからに線が細く、薄い白金の髪は微かな風にも靡いている。淡く焼けた小麦色の肌をしているのに活動的な印象はなく、呆然と佇む様はまるで幽玄のような印象すら受ける。
インド周辺の民族衣装であるサリーのような、長い布を身体に巻き付けただけの服装は、その少女の幻想的な出で立ちに拍車をかけていた。
そんな少女はがなる男の声に反応すらも返さず、ただ中空をぼんやりと見ている。
「おいっ!」
「今日はいい夜ね。
スクナは独り言を呟くかのような声でそう言った」
少女はただ中空を見ていて、男には視線を合わせない。そこに何かがあるかのように、中空の一点だけを見ている。
その物言いも、何故か第三者の語りのような不可思議なものであったが、何より彼女の何も見ていない視線こそが不気味なものであり、声を荒げていた男は息を飲んだ。
いつ見た時であれ、何もない、誰もいない場所を見ているだけの少女。
彼女は今夜も底知れない不思議な雰囲気を撒き散らし、不気味さを醸し出していた。
それゆえの恐怖。自分には分からない何かを見ていて、自分とは違う感性を持つ者に対する理解出来ないという恐怖。
それが男に声を荒げさせる。
それでも……そんな理解出来ないというファクターがあったとしても、その少女が持つ力は男からすれば魅力的だった。
黒鉄でコードを持っているというステータス――男と同じくコード持ちだという付加価値は、今の彼には捨てがたいものだ。
だからこそ、長い時も我慢して待っていたし、苛つきはしてもそれを爆発させはしなかった。
「月は昔から満月ばかりが褒めそやされている風潮にあるけど、半分に割れた月も悪くはない。そうは思わない?
そう呟いて、スクナはそっとその手を月に伸ばした」
それでも少女は理解不能なスタイルを崩す事はなくて。
その言葉通りにその手を『見てもいない月』に伸ばし、呆気に取られたかのように固まっていた男をなおも相手にはしない
「あぁ、そうだ、『カリヤ』。たしか今夜の待ち合わせ相手はキミだったんだよね?うん、脳みそお花畑の夢見るパラノイア(妄想症)……今は民政部で事務をしている『五番』が言ってたよ。今夜キミを呼んだからって。
そう言って、スクナは軽く眉をしかめる」
そのスクナという少女は、中性的な美しさを持つ少女であったが、どこまでも影が薄く圧倒的に存在感がなかった。
ただそこにあるだけで……あるという風に見えるだけで、実際は存在していないのではないかと錯覚しそうなあやふやさが付きまとっている。
「でもね、実際にスクナが待ち合わせたワケじゃないのに……『一緒に廃都を抜けよう』なんて声をかけたわけでもないのに、してもいないそんな約束の時間に遅刻したと責められるのは割りに合ってない。そうは思わない?
混乱し、一歩後ずさるカリヤにスクナはそう言って、ワケも分からず口を開こうとする彼に首を傾げてみせる」
「何を――」
『――言ってやがんだ。てめぇが廃都を抜けるなら連れていってくれって言ったんだろうがっ』
言葉のほとんどは二人が同時に……寸分の違いもなく重なって放っていた。
やや掠れた男の張り上げた声と、同じく掠れ気味な声の少女の二つ。
それは全くの同時に辺りへと響き渡る。
涼やかな少女の声がぞんざいな男言葉をあげ、カリヤと呼ばれた男の声に寸刻のぶれもなく重ねたのだ。
まるで男のその反応を読んでいたかのように。
あるいは、今までにそれに酷似したやり取りを何度もしてきたかのように。
「ふふっ、驚いたかな?でも、今回もそういう『設定』でしょ?五番はいつもそうだからね、返ってくる言葉はいつも似たり寄ったり。飽きちゃうよ、ほんとね。第一、キミみたいな落伍者にスクナから声をかけるなんてあり得ない事なのに。
そう嘲笑って、いまさら恐怖に囚われたのか微かに震えているカリヤへとスクナは一歩近付いていた」
「……お、お前、なんなんだよ、俺とこの街を抜けて、黒鉄の情報を高く買ってくれるとこに……俺達を正当に評価してくれる勢力に行くんじゃなかったのか?」
「冗談はキミの顔と異次元に直通していそうな五番の頭の中身だけにしてよね、『鉄拳』。スクナがなんでそんな事をしなくちゃならないの?スクナは君と違ってスクナが望んで『ただのコード持ち』って立場にいるのにさ。
哀れな落伍者には憐憫にも似たものを覚えなくもない。でもスクナはそう切り捨てて天を仰ぐ」
全く違う方向を見たまま、自分には顔を向ける事すらしないままでゆっくりと近付いてくる少女。
真っ暗な夜には、そのシチュエーションだけでも恐怖を感じかねないが、目の前の少女の不気味さは夜などというものを凌駕してカリヤと呼ばれた男を包み込んでいく。
「俺と同じように……ただのコード持ちとしてしか認められず、大きな役職ももらえない、そんな黒鉄を見切ったんじゃなかったのかよっ!?」
「言ったでしょう?スクナは望んでただのコード持ちに甘んじてるだけなの。オリヒメに班長をさせて、サクヤに副官を任せて、スクナはあの二人の日陰に立つ者としてあれば、キミみたいな力に見合わない自尊心だけを肥大させた人間は簡単に信用してくれる。身勝手なシンパシーを感じてくれる。君になら分かるでしょ?
ワケも分からず、ただわめくだけの裏切り者は見るに耐えない。これもお仕事だと割り切ってはいたが、漏れでる溜め息まではスクナも禁じ得ない」
侮蔑の言葉を投げ掛けてもそこには侮蔑の色は含まれておらず、憐憫の言葉を口にしてもその顔はあくまでも全く違う方向を見ていて。
軽く嘆息を漏らしてみせても、肩を竦めてみせる事すらなく。
足音はなく。
存在感すらも希薄で。
まるで不吉を体現した存在であるかのように。
気付けばすぐ間近まで迫っている不吉そのものであるかのように、少女はあやふやなままでカリヤのすぐ真ん前まで歩いていく。
「そう、カリヤみたいに、自分の力ならもっと高い位置に立てるはず……なんて考えを持った身の程知らずな人間は、全くの無冠で一番の下っ端なんかよりも、スクナみたいな立場にこそ自分を重ねちゃうものよね?」
――そうスクナは言うと、その視線を怯えているカリヤに向けた。
そして、その言葉と同時に少女はその紫紺の瞳を初めてカリヤへと向ける。
紫に輝く瞳……怪しく光る魔の輝きを印象付ける瞳を。
「あぁ、遅れちゃったけど、改めて挨拶はしておこうかな、鉄拳カリヤ。
スクナは紫念のスクナ。四班のスクナビコナ。黒鉄の暗部で、二人の両面宿儺の一人。裏ではちょっとした必殺仕事人みたいなお仕事をしているわ。
四番や五番には『死念』のスクナ……『死を念じる方のスクナビコナ』、なんてコードをもじって呼ばれる事もあるかな」
その怪しく光る瞳を見て、カリヤは動きを止めた。言葉も止め、思考も止めた。
瞳には何も映さず、ただスクナの紫の瞳を映しただけで、力の入っていたその肩ががっくりと下がる。
「初めまして。今日はとても月がきれいよ。本当にいい夜。こんな夜に深い眠りにつけたのなら、きっといい夢を見られるわ。
だから『さようなら』」
心臓は動き、細胞は動き、脳は動いていても、体も精神も動きを見せる事はない。
怪しく輝く瞳に魅せられたかのように、身体中を弛緩させる。
「聞こえていないだろうけど一応言っておくとね、スクナの能力は、みんなが知っているように念動力じゃないの。視線であらゆるものを殺す事。分かりやすく言えば、邪眼使いになるのかしら。普段は視線で物を殺して念動力に見せているの。知らなかったでしょ?
そう言って、思考を殺され、自我を麻痺させられたカリヤにスクナは歩み寄る」
瞳は光を失い、表情からは意思を失い、身体からは力を失って。
まるでスクナに魅せられたかのように、無表情のままスクナに視線を合わせる。
だらしなく口元を広げ、そこから涎が垂れても気にする様子もなく、ただ魔性の瞳を見つめ続ける。
「カリヤ、キミをこのまま絞殺してもいいんだけれど――いくら脳筋で力自慢のカリヤでも、今ならスクナの細腕でも簡単にくびり殺す事が出来るんだろうけれど、それはちょっと疲れちゃう。スクナは黒鉄最高の虚弱体質だって自信があるもの。
でもスクナの視線だけじゃあ、仮にもコードを持つ君の思考を一時的に殺す事ぐらいが精一杯みたい。そこは誇ってもいいと思うわ、既存種ならこの瞳だけで死んじゃう連中もいるからね。
面倒くさい。そう思いながらも、カリヤの首に軽く手をかけて引き寄せた」
そんなカリヤに、見るからに繊細そうな細い指先を向けると、その首もとに指を絡めてゆっくりと力を入れた。
しかし、それもほんの数秒の事。僅か数秒でその手を離すと大きく息を吐く。
それだけの所作ですでに軽く息切れをしている辺り、『黒鉄最高の虚弱体質』は自称によるものではないのだろう。
「はぁ、それに人目はマズいって他力本願な一番がガミガミうるさいから、君には『自分から死地に行って欲しいな』。今から三班の地下に行って『死んで』きて?
『スクナのお願い、聞いてくれるでしょう』?
そう囁いて、自らは何も考えられないカリヤに、スクナは死での道行きを指し示した」
意思が消え……いや、『殺された』カリヤは、そんなスクナの言葉にもただ小さく頷いて。
ゆっくりと背を向けて歩き始めた。その先にあるものなど考える事もない様子で。
ただの催眠であれば、死を命じても他人に強制など出来はしない。催眠とは、あくまでも生きている人間に暗示をかけたに過ぎず、生存本能がある人間に自死を命じてもその言葉には従う事はないのだ。
例えば高層ビルの屋上で、『この先には幸せばかりが詰まった楽園があるんだ。さぁ、行こう』などという事を言えば、催眠状態の人間ならば疑う事なく飛び降りる事もあるかもしれない。
でも、いかな催眠状態の人間でも、『ここは超高層ビルの屋上だよ。そこから飛び降りて死んでみせてくれないか』などという言葉には従わないのである。
そう、普通の精神状態を持つ人間ならば、だ。
「あぁ、安心していいよ。そこにいるサイコでシリアルな殺し屋のスクナお兄様なら、虫酸が走るぐらいにあっさりと殺してくれるわ。痛みや傷み、悼みさえも感じる事なく綺麗に逝けるはず。あの薄汚い殺人鬼は、能力から性格から正真正銘のナチュラルボーンキラー(生まれついての殺し屋)だから。
まぁスクナは『スクナお兄様』の力を向けられた事はないから確信は持てないけれど」
そう言って、少女は死地に送り出した男からあっさりと背中をむける。
もはや興味はないとばかりに、その視線は中空へと向けていた。
「これでまた一人神隠し。名無しの亡霊に手を取られて、人がまた一人黒鉄の闇へと消えてゆく。
スクナはそう言って、半分に欠けた月へとその手をかざした。あの月はまるで自分のよう……そんな事をかんがえながら」
その瞳は淀んだ紫をしている。
もはや魔性を宿してはいない。
ただ無表情なだけのローティーンの少女のような、でもどこか不鮮明な色を宿しただけの瞳だ。
「目に見える白き月と、目に見えない黒い月。一番近くて遠い様は、まるでスクナ達みたいね。薄汚い殺し屋風情で、どんなに認め難い異常者でもスクナお兄様はスクナのお兄様なんだもの」
彼女は『名無し』と呼ばれる存在の中で、唯一表の名前を持つ存在だった。
『紫念』という符号。
スクナという呼び名。
それらを持った『名無し』。
「夜の世界には、闇に紛れ仲間を裏切って逃げるような人間まで許しをくれるような神様は存在しないわ。いるのは断罪する亡霊だけ。誰もが眠る時間帯こそがスクナ達の世界。
表を歩く一番と四番、裏を歩くのはスクナ達他の名無し。表も裏も亡霊の目が届かない箇所なんてないの。
神に隠されたくなければ、黒鉄を裏切るな。スクナ達はいつでもどこでも見ているんだから」
――そう謳うように言って、スクナは歩き去る。
また一人、亡者に足を引っ張られ、闇の彼方に沈んだ咎人が、いつか悔い改めて安らぎを得る日がくる事を祈りながら。
そう小さな呟きを最後に漏らして、少女は表舞台へと帰る。
表にある仮初めの居場所、作られた仮の住み処へと。
亡霊と呼ばわった立場を隠し、自らを偽装して。
次に隠されるべき誰かが現れるまで、その身に『紫念』の名前を被る。
五番が裏切り者を見つけ出し、その力で死神との約束を取り付けて、二番がその存在を狩る。あるいはさらにタチの悪い死神である三番という名前の道先案内人となる。
彼らは今までずっとそうやって生きてきたのだ。
裏コードにして、コードを持たぬ符号取得者、ネームレス。
彼らは、自分達が陽の目を見る事なく消える存在だと知っている。自らがやがて朝露に紛れ、陽光に溶け行くだけの闇に属するものだと知っている。
純正型でもないのに理を持つ者、無形を殺す瞳を持つ者、有形を殺す力を持つ者、人の思考に紛れ込む者……それらの全てが自身ははみ出し者なのだと自覚している。
それでも黒鉄が出来た当初からその役割を負ってずっと生きてきたのだ。
僅かな裏切り者が出るだけで、危機に陥るような脆弱なる組織の守り手として。
仲間殺しではあっても、それは必要悪なのだと言い聞かせて。
――やがて自分達が必要とされなくなる時がくる事を知っていても。
四班の紫念さん。
スクナビコナとは日本の神様で、一寸法師の元になったといわれる小さき神。
織姫、木花開耶姫(コノハナ『サクヤ』ヒメ)、『スクナ』と四班は日本の古事記やらなんやらの物語の人物から名前を取っています。
本文にあった『リョウメンスクナ』は、確か飛騨かどこかに出てくる鬼神でしたかね?多分。
リョウメンスクナもスクナビコナも共通するのは二面性です。
両性具有説やら双子説を持つらしいスクナビコナと、反対側を向いた二つの頭を持つリョウメンスクナ。
これらからスクナさんは二人、二番と三番の二人が生まれました。
生まれついての邪眼持ちで、無形をも視線で殺す二番と、生物を殺す事だけに長けた三番。
ちなみに視線を何もない空間に向けているのは、その邪眼の特性ゆえです。
兄妹は結構出たのに、双子設定は初めてかも。
左右の兄妹やらシャクナゲ兄妹やら、全部の兄妹がどこかゆがんでるんですが、この二人ほど露骨に歪みまくってる兄妹もないかも。
簡単に言えば、まともな思考能力と道徳観があるのに、殺人嗜好という性癖があるためにひたすら引きこもってる兄貴と、絶えずどこか全然関係のないところを見ていて、変な語り口をする周りの人間全てに毒を吐く妹。
こんな二人がリアルにいたら嫌だなぁ、普通に。
ちなみに次回は三番が出ます。
ネームレスについては次回また。
三番、グライで終わりです。
一班、四班など他の班については、第三部にも関係している為、持ち越しの予定。
はい、またまた伏線残りました。