表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
106/112

2―51・迷いはあれど自分で決めて

お題はなんとなく。

迷いはあれど……なんちゃらにするつもりだったけれど、浮かばなかったから奇をてらわずいきました。

あとがきには久々の短編。

実はこれを書いてて遅れたりしたのは秘密です。







 三班本部裏口に居着きだしたヨツバは、シャクナゲが陽の光を浴びるべく裏口から表に出た時もそこに腰掛けていた。

 地下にいた時間感覚はあやふやだったが、それでもまさかもう陽がとっぷりと沈んでいる時間帯だとは思わなかった為に、太陽の姿が見えない事が少々残念な気はしたものの、湿っぽい地下とは違う外気の気持ちよさに思いっきり伸びをしながらその隣に腰を下ろす。

 そして僅かな肌寒さを纏う空気を身体に馴染ませるように大きく息を吐いて、いつものごとく能面を思わせる感情が見られない顔立ちの男に声をかけた。


「変わりは?」


「……特にあらへん」


 ヨツバの返答が僅かな間を持って返された事に少しだけ違和感を感じたが、かけた言葉自体が単なる挨拶代わりのものとして現実を改めて認識する為の意味合いが濃かったから、とりあえずは気にしない事にする。

 恐らく、スイレンがナナシを地下に通す時にでも一悶着あったのだろうと予想は出来たし、ヨツバがその結果に『問題なし』だと判断し、スイレンもそこに対して特に言及しなかったのだから、それで構わないと思ったのだ。


「帰ってきたんやな」


「あぁ、同じ相手に二度も敗れるわけにはいかないだろ?」


 漏れる苦笑は、果たして誰に対してのものなのか。

 それはシャクナゲ自身にもわからない。

 地下で一人どたばたしていた自分に対しても苦笑を禁じ得ないし、そこで消えた過去の幻に対してもそうだ。

 また、三階までとはいえ勝手にナナシを導きいれたスイレンにも苦い笑いが漏れてしまう。


「絶対に勝てん相手には何回やっても勝てん」


「……手厳しいな。前の時も手を抜いたつもりはなかったんだけどな」


 そんなシャクナゲを気にした様子もない、簡潔極まる返答と会話中にも視線すら向けてこない異様。

 それは別にヨツバがシャクナゲに何か思うところがあるからではない。彼はいつでも誰が相手でもこんな調子であり、どんな時でも確かな答えしか返さないのだ。

 ただ抗弁する気力すらも奪う調子で……完全無欠の真理のみを返すだけだ。


「動くんか?」


「そのつもりだよ」


「そうか。なら俺にも役割がもらえるんやな?」


「それもそのつもりだ」


 単調で、簡潔な会話。

 ヨツバの特長ともいえるそれが通じるのは、黒鉄中を見渡しても……歴代の黒鉄達を挙げていっても、シャクナゲをおいて他にはいない。

 アカツキやミヤビでもこうはいかなかった。

 相棒として、同僚として、シャクナゲと同じぐらいの時間を共に過ごしたスイレンとて、このように積極的ではないものの真っ直ぐな問いを投げ掛けられる事はほとんどない。このような会話自体をヨツバから向けられる事は滅多になく、彼がスイレンに向ける会話のほとんどは確認の言葉でしかない。

 自分の行動はあっていたのかという確認――つまり『この相手は殺さなくていいのか』『さっきの相手は殺してもよかったのか』の確認の言葉だけだ。

 ヨツバがスイレンに投げ掛ける会話は、ほとんどがそんな確認の言葉であるか、もしくはYesかNoの返答でしかない。

 ヨツバから誰かに話しかけるところすら見た事がある者はほとんどいないだろう。

 彼は殺す者であり、蹂躙する者でもあるが、単にそれだけでしかない。それ以外の事は自身の行動や判断ですらも他人任せなのだ。


「そうか、それならええ」


 シャクナゲの言葉にも単調にそう返したヨツバは、ようやくその閉じたままの瞳をゆっくりと向けると起伏のない平坦な調子で続ける。


「……俺は殺す事しかできんヤツや。あんたとはちゃう。守る事なんか出来ん……もう守れんかったって結果が残っとるただの殺人者や。

 そんな俺に出来るたった一つの事にあんたは意味を持たしてくれる。そうやな?」


「あぁ、俺がお前の力を使い潰して、守れるだけ全部を守ってやる。殺人者で『失格守護者』だったお前とその力に『意味』をやる」


 その言葉に、シャクナゲは僅かに顔をしかめるもその視線は反らさない。

 『誓約に縛られた自分』が『約束』で他人を縛る矛盾。

 それに仕組まれた皮肉じみたものを感じたが、まっすぐに視線を向けあった。


「俺にはもうなんもない。俺みたいな野良犬を拾ってくれた上に、家も役割も苗字もくれて、執事として使ってくれた『星城家』がなくなってもたあの時に全部がなくなってもた」


 その言葉に抑揚はない。感情も含まれていない。

 しかし、それは何も思う事がないからではない事をシャクナゲは知っていた。


「昔は別に何がどうなってももうよかった。関西軍もこの国も俺には関係なかった。もうあの家はないんやから、全部壊れてもて何もかもが消えてもても、俺にはなんの関係もない……そう思ってたわ」


 もう思う事は思い尽くして、悩めるだけ悩み尽くして、感情の全てを爆発させてしまって、守るべき相手も守りたいと願った相手も守ってみせると誓った相手も死なせてしまって。

 そうして倒すべき相手も殺すべき相手も全部を殺してしまった後で、本当にする事もしたい事もなくしてしまった後だからこそ、ヨツバは今のヨツバとなっただけだと知っている。


「お嬢様はめちゃくちゃに乱暴をされて殺されてた。旦那様も死なしてもた。家には火がつけられて燃え落ちた。俺だけ――たまたま家の所用で出かけてた俺だけが生き残っとる。俺が本来この身を盾として使うべき相手だけを死なせてな」


 恐らく、ヨツバと呼ばれる彼が出かけた隙を狙っていたのだろう。そうシャクナゲは考えている。

 昔の彼は――『ヨツバではなかった頃の彼』は、今ほど反則的な力は持っていなかったと聞くが、例え今の半分ほどの戦闘力しか持っていなくても、既存種や並の力しか持たない変種からすれば十分過ぎるほどに反則だ。


「あぁ、今も覚えとる。胸に焼き付いとる。思い出も守るべき場所も灰にしたあの炎の燻りを。それに守りたかった人を失って心が壊れてく感覚も」


 彼はただ一瞬で全ての感情を燃やし尽くし、一切合切を振り切ってしまって、その結果全てのリミットが壊れてしまっただけだ。

 感情も思考も、そして元々持っていたらしい『力』も、一時に限界を越え過ぎて制御すべき回路を焼き尽くしてしまったからこそヨツバはヨツバになったのだろう。


「あの時から、俺は死に場を探す『リビングデッド(生ける死体)』や。残されたものは死ぬという当然の結末だけ。

 灰は灰に、塵は塵に、死者は死体に。

 でも、そんな結末に流れてた俺にあんたは言うたな。

 ――俺がこのまんま死んでもたら、誰があの家の事を思ってやるんやって」


 彼は憎悪を燃やし尽くして、殺意を絞りきったが、その後に他の何かにそれを向ける事はなかった。

 例えば東海随一の同族殺したる『死にたがり』のように、仇によく似た相手……ヴァンプの全てを憎まなかったし、京の復讐者たる『蒼』のように仇を追い詰めて討った後、自暴自棄にもならなかった。

 そしてシャクナゲのように、結果から逃げ出さなかった。

 だがそれは、彼の心が強かったからでも自制心が働いたからでもない。単にそんな余力がなかっただけだ。

 彼はもう、生きていく意味を見いだせず、生きていたくすらもなかった。有り体に言えば全てがどうでもよかった。

 そんな時にシャクナゲは彼と出会ったのだ。

 その時のヨツバはまさに廃人と呼ぶに相応しい風情で星城家跡にいた。それはその場を守る墓守というよりも、そこにしか行く場所がなくて、ただその場で無様に果てる時を待つだけの罪人のような有り様だった。


「あの人らの為だけに鍛えてきたこの力を……あの人らがくれた星城って居場所を守る為だけの力を、なんも成せへんまま潰えさせてもたら、俺が星城家におった意味はほんまになんもなくなる。

 あの人らが家族と呼んでくれ、あの場所に拾われて生き長らえた俺は――あの人に顔向け出来ん間抜けな俺は、せめて星城家が家族と呼んでくれた者として……最後の星城として、野垂れ死にだけはしたら絶対にあかん。それは二度目の裏切りに他ならん。

 あんたはそう言ったな」


 ――星城家。

 そこはヨツバになる前の彼が拾われた場所で、執事兼用心棒としての居場所を与えられて、長い時を経て想いを寄せあった人がいた家だった。

 土地を貸し出していた地主のような家系であり、それなりに裕福な家庭ではあったが、営利目的に土地を開発し、使い潰していなかっただけに不況の煽りもそれほど受けなかった。


 そこが食うに困った集団に襲われ住人全てが殺された時に、ヨツバという人間は死んでいた。少なくともその心は愛した人と恩人に殉じていた。

 そして共に得るべきだった世界を……見るべき光を捧げた。

 彼はまさしくただ身体が生きているだけだった。


「あんたが言うたんや。星城家が残したもんに――どうせ死んどる俺に、意味のある最期をくれるってな」


 そんな彼が望むものは、『心と光を捧げた相手が想ってくれた人間として恥ずかしくないだけの死に場所』。

 そして『最後の最期まで守れなかった家族を忘れないという贖罪の時』。

 ただ一人の為だけに鍛えてきた力を無意味にしない事。

 それだけだ。それだけしかない。



「でもな、あんたは俺とはちゃう。あんたは俺なんかとは違って、まだ『守るもんがある』。山ほどあるやろ」


 独白にも似た言葉が終わり、それでもヨツバはシャクナゲに向けた視線を反らさなかった。

 そんな彼に真っ直ぐに閉じられたままの瞳を向けられて、シャクナゲは思わず息を飲む。

 先程地下で墓標に誓った言葉を反芻されたかのような錯覚を覚えたからだ。


「あぁ、そうだな」


 それでもなんとかそう返して。

 鋭すぎるヨツバの言葉に舌を巻いて。


「それにあんたが本当に救いたい人もまだ生きとる。まだこの世界におるんやろ」


「……っ」


 次の言葉には何も返せなかった。

 言葉どころか思考すらも止まってしまった。


「……あんたは足掻いたらええ。足掻いてもええんちゃうか。足掻く価値はあるやろ。

 あんたは俺とは違うんやから。俺のとこまで堕ちてきてへんのやから」


 ――あんたは俺がおるとこまで堕ちてきたらあかん。あんたにはそんなん似合わへん。


 そう言って立ち上がり、フラフラと歩き去るヨツバに何かを言い返そうとして。

 結局はなんの言葉も浮かばないままシャクナゲは唇を硬く噛み締めると、いつものように空へとその手をかざした。


「せっかく覚悟を決めたのにさ、悩ませるなよ。俺は弱いヤツなんだから」


 半分に欠けてはいても、なおはっきりと光を放つ月へと。

 灰色世界とは違う、白き月光の源へと。


「……俺には足掻く資格もそんな余裕もないんだ。俺じゃあいつを――あいつらを相手に足掻く程度の力すらも足りていない」


 その声は震えていた。

 泣き出しそうなほどに震えていた。

 それでもギリッと噛み締めた歯を鳴らし、クルッとその掲げた手のひらを回してみせる。


「――Set」


 灰色世界に進化を促し、退化をほどこす時の仕草そのままに。

 まるで今のどうしようも世界そのものに変わってしまえと言っているかのように。


 ――りぃ、(あきら)。俺達はもう昔には戻れない。あの頃には帰れない。そうなんだよな?



 そう小さく一人ごちて。

 そして次の瞬間には、深く硬くどこまでも冷たい声音で、黒鉄第三班の暗部たる地下空間にほど近い裏口に向けて声をかけた。


「――『スクナ』」


 そこを……その地下空間を支配する名無しの一人にして、『二人のスクナビコナ』のうちの一人に対して。

 しかし、彼のその呼び掛けに返答はなく、気配一つ生まれる事もなかったが、特に気にした様子もなく夜闇の中へと言葉をかける。


「お前が暗く湿った場所が好きな事も、その性癖から対人恐怖症である事も、表向きはコード持ちである妹と仲が悪い事も知っているけど……悪いな、そのお気に入りの場所から本格的に動いてもらう事になりそうだ」


 答えはない。無音で無味無臭な闇があるだけだ。

 どのような達人であれ、あるいは気配に敏感な野生の獣であれ、そこになんらかの存在を見いだす事など出来はしないだろう。

 でも『彼はそこにいる』のだ。

 いるのだとシャクナゲは知っている。

 名無しの三番にして、黒鉄随一の殺人鬼たる少年。

 『シャクナゲ』が街の為に為したと皆に思われている暗殺の内、実に三割近くの殺しで実際に手を下した生粋の殺し屋。

 名前を知られず、存在も知られず、手管も知られず、能力を知られず、その姿すらも知られていない本物の暗殺者。

 『宵闇の影』にすら隠れる本物の漆黒。

 そんな存在がすぐ側にいる事をシャクナゲは確信している。


 かつてシャクナゲに――力任せな、あるいは反則任せな戦い方しか知らなかったシャクナゲに、殺しの技能と身体の扱い方を教えてくれた、自身も職業暗殺者だった過去を持つ『クロネコ』は言っていた。

 『殺す前に自分の存在に気付かれるヤツは三流以下、殺した後に気付かれるヤツでやっと二流。本物の一流は殺した後にもその存在を気付かれないものだ』と。

 その意味でいえば、意図的にであれ自らの殺しを誇示したシャクナゲは二流で、本物の一流とは名無しの三番の事だろうと思う。

 かつてシャクナゲに師事したエリカですらもその存在にうっすらとしか気付いていなかったぐらいであるから、二人目のスクナに気付いている者など同じ名無し亡霊達ぐらいしかいまい。


「一番アオイが執政者・アカツキの代わりなら、二番は監視者・アカツキの代わり。四番がアカツキに満たない……能力に偏りがあるアオイの補佐で、五番が二番の補佐。六番と七番もそれぞれアカツキの抜けた穴を埋めている。

 けれど、三番であるお前だけは『宵闇』である俺じゃ足りない部分を補う為にいる。全てのネームレスの中でお前だけが光ではなくダークサイド(俺の側)だ」


 その少年はヨツバのように敵対すれば全てを殺すわけではない。圧倒的な力で捩じ伏せるやり方や、狂っているとしか思えない戦い方をするわけでもない。

 ただ単に『敵対した者ではなくても、生命を目にするだけで全てを殺したくなってしまう』だけだ。

 『動くものを止めてしまいたくなる』だけだ。

 冷静に、冷徹に、冷酷に、冷淡に、思考を『殺す事に向けてしまう』だけだ。

 ヨツバとは違う。邪魔だから、敵だから排除するのではない。その意味で言えば、ヨツバの方がまだ生命体としての在り方は真っ直ぐだろう。

 三番たる彼は、ヨツバよりも明らかに『マスターシヴァ』よりなのだ。

 だからこそ『殺人鬼』。殺す事を目的に殺すシリアルキラーであり、精神疾患を持つがゆえのサイコキラー。

 彼がマスターシヴァよりも異常な点を挙げるとすれば、彼は『マスターシヴァとは違い純正型ではない』事だ。

 つまり、その殺人衝動は強大な力を持つがゆえの後天的な歪みによるものではないのである。


 だからこそ冷静で理性的な面も持つ。後天的に学び備えた道徳観を持つ。

 誰かを殺す事は『いけない事』なのだという、学んだ常識と相反する殺人衝動に悩まされている。

 その為に地下に一人引きこもっている少年が――その性癖のせいで人と向き合う事を恐れ、ネームレスに身をやつした存在が地下に入った誰かを見逃すはずもない。

 だから彼はそこに絶対にいる。

 そこに彼がいないと思えるのは……いるか確信が持てないのは、『単に彼の存在に気付けていない』だけに他ならない。

 ばったり出会してしまえば絶対殺したくなってしまうのだから、そうならないように誰かの息吹を感じた時には、彼はより下へより深くへと潜りこんでいく。地下を抜けた時も本当に自分の領域を抜けたのかを確認する為についてくる。

 気付かれないように、視界に入れてしまわないように、殺したくなる命を目にしてしまわないようにしながら、そっとすぐ間近の闇の中から付いてくるのだ。

 そうして自分の目にしないように、付かず離れず付いてまわって、地下から出た時にようやく一息つく。

 ――あぁ、殺さずに済んだ、と。

 その瞬間、自身の理性が勝った瞬間が好きで、その達成感が快感だと言っていたのを聞いた事があるから、彼が付いてきていないはずもない。そう彼は確信している。

 そして、常識的で人間的な感情も持つからには、地下にいまだいるであろうナナシより『自分の知っている人間の方』が会いたくない(殺したくはない)と思う事が当たり前だ。

 ナナシであれば、例えうっかり出会してしまっても『運が悪かった』と納得し、『こいつは仕方ないんだ』とお互いの間の悪さを嘆き、『さて、この間の悪いヤツは誰だろう?』と『殺した後で』悩み、『またやってしまった』と罪悪感に苛まれるだけで済むだろう。

 もちろんシャクナゲからすれば、そんな理由で殺されたくはない相手であるが、地下に引きこもる三番からすればそう考える。

 顔見知りであり、自分が唯一殺せなかった相手でもあり、時おり地下で視界に入らない位置から話し相手にもなってくれるシャクナゲであれば、『ついうっかり出会ってしまった(殺してしまった)』では済まない。

 そんな考えでは彼個人も納得出来るはずもないし、それが許される相手ではない事ぐらいは分かっている。

 さらには自分が住む場所を与えてくれた恩義もある。

 だからこそ『三番はそこにいる』。


「ネームレスサード。今までの俺にお前に何かを命令したり、頼んだりする資格はなかった。あくまでも俺はコード持ちで、立場的にはネームレスに関与出来る位置にはいなかったから」


 ――でも。

 そう続け、少しだけ言葉を詰まらせてから言葉を続ける。

 一瞬だけ葛藤を見せてから、ゆっくりと言葉を噛み締めるかのように。


「ネームレス・『ゼロ』なら――無限の弾丸を放つシャクナゲとしてじゃなくて、『万の鎖』を持つ純正型であり、堕ちた灰色でもある秘された黒鉄、ネームレス・ゼロとしてならお前に言葉を向ける資格がある。

 存在を認められていないネームレスの頭は、数字の1ではなくて0なんだから」


 名無しであり、立場を持たない者であり、秘された者でもあり、存在を認められていない者。

 あくまでも、どこまでも数字のみで現される者。

 それが『ネームレス』の資格であり、前提条件であるならば、その頭格の存在は意味も質量も持つ『有』である1ではなく、『無である0』で現される方が道理だ。

 単にそのゼロたる存在が自らの立場を自覚しておらず、自身の力を否定して立ち止まっていたからこそ一番から七番までしかいなかった。

 一番が仮のまとめ役だっただけだ。

 それで回るように組織が作られていたから……黒鉄の創始者であり、ネームレスの創始者でもあるアカツキがそう作ったから、ネームレス・ワンが頭でも構わなかっただけだ。


 ――能力ゼロだったからゼロと呼ばれただけの俺が、ネームレス・ゼロってのも皮肉が過ぎるだろ。


 そうアカツキに文句を言ってやりたい気持ちもなくはなかったが、ネームレスをも動かせる『ゼロという立場』、その力を残してくれた辺りにはもはや苦笑も浮かばない。


 ――あいつはどこまで先を見ていたんだろう。


 そう呆れさせられて


 ――ちょっと俺を信じすぎだろ。


 と、嘆息を漏らす他ない。


 ネームレスの面々を必要とする時……つまり『動くと決めた時』が来ると思っていなければ、『ゼロ』なんてポストを用意しておくはずもない。

 いつまでもうだうだしていた彼に、その立場を強要する真似をするでもなく、そこから逃げる選択も残しておきながら、『いずれ絶対に必要になるだろう』と力も残しておく。

 その周到さが信頼でなくてなんなのか。

 謀られたように感じはするものの、それでも悪くないと思えるようなこの感覚が、絶対の信用によるものでなくてなんなのだろうか。

 そんなくすぐったさにも似たものを感じながらも、その場を後にすべくシャクナゲはゆっくりと腰を上げた。


「しばらく地下深くにいてくれ。もう最下層……『希望の間』の手前までなら行っても安全だ。『災厄の間』の主はすでに代替わりしたから。

 でも、しばらくは三階には近付くな。うっかり目にして『殺したくなる』のは嫌だろ?」


 その言葉と背を向けたまま腰を上げたシャクナゲに、ほんの僅かに背後で闇が動いた感覚があった。

 それに今までいるかいないか気配では読めなかった『三番』がそこにいて、自分の言葉に従った事を確信する。


「少し策を練って、どう動くかを決めてからまた迎えにいくよ。スキル・ゼロだった頃――策を練るしか出来なかった頃の感覚が鈍ってなかったらいいんだけど」


 そして、一瞬で返答代わりに漏らした気配を再度殺した三番にそう告げて、シャクナゲは歩き始めた。


 能力ゼロで純正型でもなかったあの頃。

 少なくとも純正型だとは思っていなかったあの頃。

 その頃の彼は、単なる策士で謀略家で悪知恵が働いて、それしか出来なかったからひたすらその方面でばかり動いていた。

 当時の自分を思えば、いまのカクリと印象的には似通っている事をシャクナゲは自覚している。

 正確に言えば、カクリよりもタチが悪かった事をだ。


 ――四年のブランクは痛いけど……そういった方面はアオイに投げっぱなしだった事は悔やまれるけど、まぁ結果的には悪くはないか。


 災厄は砕いた。確執があったナナシと向き合えた。何より過去の過ちを自覚して、自分のすべき事が見れた。


『あんたは足掻いたらええ。足掻いてもええんちゃうか。足掻く価値はあるやろ。

 あんたは俺とは違うんやから。俺のとこまで堕ちてきてへんのやから』



 そんなヨツバの言葉は微かに心に棘を残していたものの、『この街を守る』という前段階に変わりはない。敵を求めて、敵からこの街を守るという拠り所にすがる気持ちは消えていたのだから。

 坂上という敵がいなくなった事に対しての不安はなくなっていたのだから。

 足掻くにしても、すべき事を為すにしても『まずはあの地獄に帰らなければならない』。

 帰ろうという思いが生まれた事だけは間違いないのだ。


「尋、長尾、学園、水賊。その全てが厄介ではあるけど、俺はもう一人じゃない。一人じゃない」


 残されたものは確かにあって、昔からいまだ残っているものも確かにある。

 錬血が残した宝物達は、自ら鍛えあげたこの一年でゆっくりと……でも確かにその輝きを増し始めている。

 暁の残滓は確かな力を放ち、漆黒の闇を放ちながら、廃墟の街網のあちらこちらにいまだ残っている。

 そして、灰色の時代からずっと近くにいたものは……友であり、配下であり、命の恩人でもある女性と、妹であり、同僚でもあり、心の恩人でもある少女とその守護者達は、幾多の困難を越えた今でもすぐ側にいてくれているのだ。


「昔の俺に言い忘れた事があったな」


 『……俺とした事が』そう小さく呟いて、シャクナゲは舌打ちを漏らす。

 その顔を僅かに笑みの形へと変えながら。


「お前は間違ってるけど――やり方から考え方までどこまでも間違いだらけで、それはやっぱり致命的に許せない事なんだけれど、最後まで安易な道に流されなかった事だけは間違いじゃなかった。そこから逃れようと足掻いた事だけは間違いじゃなかったんだ」


 過去の自分は間違っていた。

 考え方を間違って、逃げ場を求めてばかりいた。

 どうしようもないバカ野郎で、臆病者だった。

 でも諦めて流される事だけはしなかった。

 大事な二人に寄り添って、『一番楽な道へと流される事だけはよしとしなかった』のだ。


「俺はその先へと行ってやるよ。お前が挫けて諦めた困難の先へと行ってやる。今度はりぃから逃げる為じゃなく、あいつを助ける為に向かい合ってみせる」


 それは過去に向けた誓いの言葉であり、未来へと掲げた宣誓の言葉だ。

 最悪を向こうに回し、最強を敵に回す言葉でもある。

 でもはっきりとそう言ってみせる。一度は逃れたその先にいた他人任せでありながら他人に甘い親友のごとく、どこまでも傲岸不遜で大胆不敵な調子で。

 先へ先へと歩き続け、結局は相棒をすっ飛ばして先に行ってしまったくせに、後から付いてくる自分に残すものは残しておいてくれた少女のように真っ直ぐな言葉で。

 迷いはある。先への不安はある。でも大丈夫。

 大丈夫な根拠はないが、そんなものは必要としていない。そんなものは歩みを止める理由にはならない事はもう知っているのだから。


 ――いってきます。

 人知れず残された墓標に対して。

 そこで見た過去に対してそう言って。

 躓いて、うずくまって、ようやく起き上がってはみたものの、動く勇気はまだなかった自分自身にさよならをした。



カクリの考察・番外――正式に三班に加入した事を受けて、とりあえず様々なアンケートを実施してみた。


仲間となり、同僚となった上で、その新たな仲間達の考え方やつけこむ隙――もとい、現状に対する不満、つまり意識調査をそれとなく施してみる事にした。

とりあえず第一の目標は、紅薔薇会の組織拡張――さらにもとい。元二班のメンバーが爪弾きにされないようにする事である。

その為に、私が個人的に貯めに貯めてきた資材を使い、三班食堂にて新メニューの御披露目会を行う事にした。

何しろ三班の食事は、はっきり言って美味しくない。量はあれど……そして食事風景は和気あいあいとしてはいても、メインである食事は雑なものが揃っている。

この班は、量を食べる事に主眼を置いた資材管理をしており、その為に娯楽としての食事などはもっての他。

楽しい食事となるか否かは食事時の雰囲気任せだ。味などは食べられたら問題ないという考えなのである。


その食事会自体は、かなり食べる連中がいた事により懐には大打撃ではあったが、成果で言えば大成功だったと言えるだろう。

カーリアンが振る舞う『必殺だし巻き』や、『渾身のかやくご飯』、『魅惑の山菜佃煮』、『最終兵器豚の角煮』は間違いなく皆の心をがっちり鷲掴みにしたと思う。(命名カクリ)

元二班のメンバーと三班のメンバーは、顔見知りが多かっただけに、その垣根自体そう高いものではなかったけれど、この食事会により連帯感は高まったんじゃないだろうか。


……懐には大打撃だったけれど。


その食事会の簡単な参加資格として、アンケートの協力を求めたのだ。

損して得とれ。

リスクマネジメントというやつだと納得しておこう。


……ヒナギクのチビッ子と、どこからか参加していたゴスロリ女め。

出資者の三倍以上も食べやがって。


とりあえず以下に、いくつかのアンケートの結果を残しておく。

注※記載者はイニシャル


・新たな仲間となった元二班のメンバーが加入した事について。

『カーリアンがシャクナゲに引っ付きすぎです!H』

『ぶっちゃけ関係ないですぅ。N』

『いやぁ、コキ使える駒が増えて大助かりですよ。A』


……あんまりイニシャルにした意味はないかもしれないが、続ける。


・現状に対する不満について。


『特にないけれど、あんまり裏で危ない事はしないでね、副官補佐さん。S』

『私も三班に入りたい。スズカ』

『カーリアンがシャクナゲやアオイさんの邪魔ばっかりします!H』


……とりあえずアンケートで語りかけてくるのは辞めてほしい。あとイニシャルって言ったはずよ、スズカ。


・新たに副官補佐となったカーリアンについて。


『だし巻きが美味かったわ。Y』

『シャクシャク♪N』

『友達。スズカ』

『あんまり物は壊さないように、と言っておいてくれ。アオイが頭を抱えてるから。S』


とりあえずだし巻きばかり食べていた狂戦士は置いておいて、シャクシャク?よく分からないけれど、なんかカーリアンにぴったりくるのが嫌だ。

それとあんたもアンケートで話しかけてくるな、雑草野郎。


・医療小隊設立においての要望。


『助かるよ。あんまり着服はしないように。アオイにはすぐバレるから。S』

『小隊設立を隠れ蓑に、少しぐらいの資材ならちょろまかしても構いませんが、渡した分以上の成果は期待していますよ。A』

『ばっちり私腹を肥やしている事はバレているから、そろそろやめておいた方がいいわよ。S』

『嘘はダメ。スズカ』


……どやかましい。

なんで上層部――例外が一つあったけれど、全部が私宛てなのよ。


・最後に食事状況の改善を目指したいと思いますが、どう思いますか。


『私もそう思ってきたし、手伝いたいとも思うのだけれど、シャクナゲが本気で、ヒナは泣いて止めるから、賛成表明はするけれど微妙な感じね。S』

『実施してもいいと思うけれど、スイレンは絶対に厨房にいれるな。班長からのお願いだ。S』

『スイレンが参加するならヒナは断固反対ですっ。死人が出ますよ!H』

『いいと思いますよ。ただスイレンさんが参加表明したならご連絡を。色々手を打たねばなりませんので。A』

『……スイレンも参加するならもうここの食堂には来ない。スズカ』


スイレン。あんた一体何をした!

スズカがもう三班の食堂には来ないって辺りに、一番恐怖を覚える。

とりあえず……スイレンは厨房にいれるな、と二班から連れてきた調理師には伝えておこう。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ