2―48・Grave―marker
「なんで最後の最期に笑ってんだ……そんなとこまでいちいちムカつくんだよ、お前」
肩口から切り裂かれた痕からは、炭化した肉と焼けた黄色い脂肪が覗き、ピンクの内臓までもがリアルに表現されていた。
そんな過去の自分に、シャクナゲは吐き捨てるようにそう言ってぐしゃぐしゃに自らの黒髪をかき混ぜる。
もはや自分の『世界』には災厄の残滓しか残っておらず、一色のみの灰色だけが広がっていた。
理を現す万の鎖もそこに乗せられた力もなく、ただ広がる灰色の原野と、安堵したようにも見える渇いた笑みに口許を歪めた『灰色の残滓』のみがあるだけだった。
「……死が救いってか。歪んでんな、俺」
その残滓はまさに自分そのものだった。
在り方も、荒れ方も、歪み方も、その死に様さえも。
死して笑い、生きて苦痛にまみれるその姿はまさに自分を模写したものでしかない。
「はん、先に逝ってろ。もう一人の……今とは違う先にいた俺。お前の歪さはまさに俺そのものだったよ。それだけは忘れないでいてやる」
生きて戦場の修羅、死して一握の灰――。
それは本来辿るべきだった『可能性』だ。本名を捨てられず、捨てる機会すらもないままただ沈むだけだった自分の成れの果てだ。
本来なら彼も自らの死を間近見た時には、歪んだ渇いた笑みを刻んでいただろう。
徒花の名前を得ず、選択を与えられなければ、彼は彼たりえなかった。アカツキという歪みに出会わなければ、彼は彼になれなかったのだ。
だからこそ目の前に転がる本当の自分に吐き気を覚え……同時に張り裂けそうなほどに胸が痛くなるのだろう。
「……奈落の果てで見てろ。俺は――この俺がお前に出来なかった最悪の罪を犯してやる」
今も泣いているであろう少女が脳裏に浮かぶ。
圧倒的で絶対的な力を与えられてしまっただけの普通の少女が独りぼっちで泣いている。
――助けて、私を止めて。
そう言われた事はなかったけれど……そんな弱音は誰にも見せない少女だったけれど、間違いなく彼の知る少女はそう言って泣いていた。
漢字が違うだけで同姓同名の少女。
産まれた日も、産まれた場所も同じで、同じように『ただの人としては産まれられなかった少女』。
――あぁ、俺が止めてやる。今度こそは俺が止めてやるよ、りぃ。
力の衝動とそこに潜む抗い難い快感。
他者を圧倒し、ひれ伏させる優越感。
何かを壊すという選択肢を持つ全能感。
そして誰かにすがられるという重圧感。
それは人を壊すには十分過ぎるほどの要因となる。
絶対にこいつだけは大丈夫だろう、こいつほど人間を信じられるヤツなんかいないんだから――そう彼が信じた少女でさえも、その重みには耐えられなかった。
何年も耐えて耐えて耐え続けて。
結局は何も報われず、ただより最悪な状況へと転がり続ける現実に、もう『何も我慢しない』という安易な道を――全てを壊してから『自分の居場所を作る』という簡単な選択を選んでしまったのだ。
その道を選ぶしか彼女にはなかったし、許されなかった。
もし彼女が関西に生まれていて、関東にアカツキが産まれていたのなら、その立場は全くの逆になっていただろう。
それは単なる仮定でしかなく、なんの意味も持たないIFの話に過ぎないけれど、間違いなく彼女は不幸で、アカツキはまだ幸運だったんだと思う。
それほどに『故郷』は地獄だった。関西の騒乱など比べ物にならないぐらいに最低だった。
あの地は『普通』じゃないものにどこまでも優しくなかった。最悪に『普通以外』を嫌っていた。
――この国はは狭いね。わたし達が普通に生きられるだけの場所もないなんてさ、この世界は狭すぎるよ。
かつて嘆いたその地獄(世界)に……その時よりもさらにずっと壊れてしまった現実に、今も取り残されたままでいる彼女。
そんな彼女の為に、『壊す』事しか出来ない世界を与えられた彼が出来る事など一つしかない。
壊れきってしまった故郷を元に戻せない以上、たった一つしか許されていない。
――彼女の絶望にまみれた今を終わらせる事。
これからも続くであろう今を壊す事。
つまり彼女自身の道を終わらせる事だけしか。
「はぁ、まだ俺にしがみついてんのかよ。そんなしつこさは本当に『持ち主』そっくりだな。
でも、もういいだろ。
……どけよ、ノーフェイト。運命を否定し、現実を否定する事しか出来ないお前なんかじゃもう俺は止められないんだよ」
過去を思い、彼方を思う間も自分を留めようと僅かに足掻く力がある事を感じて、彼は冷たい声で吐き捨てた。
目の前で死に様をさらす存在が、いまだ消えずにそこにある事こそが、『運命毒』が自分を捕らえよう足掻いている証だったが、もはやそれに対しても何かを思う事もない。
かつては怖れ、嫌悪し、ずっと手を付けずにいたそれ。
それに単に『邪魔だ』と告げ、『どけ』と命ずるだけだ。
「だから、だからっ!消えろぉぉぉ――――!!」
轟。
荒れ狂う灰色世界はその領域を満たす灰を巻き上げて領域を満たす。マスターであり皇である男の意思に従って、灰色の理をより強固に広げていく。
歯車はカラカラと廻り、ガラガラと軋みをあげ、ゴロゴロと獰猛な唸りを発して世界をより濃厚な異界の空気で溢れさせる。
『具現』――あるいは『記憶』の世界は、『他の純正型の力を本来は認めていない』。そこに現される事を許さない。
それは『あらゆる記憶(力)』を現すこの世界においての原則であり、灰色世界における原点だ。
この世界は純正型の力を現せない。
理に記憶された力と同質の力を持つ他者が内部にいる場合は、これもまたその力は現せない。
それだけは絶対に覆せない。それが理だからだ。
『全く同質で差違の全くない力』はそれそのものが矛盾であり、灰色の理に軋みを生む。
そして、世界に世界を混ぜ合わせる矛盾に灰色の異界は耐えられないのだ。
他の純正型が、灰色世界に入り込んで自らの領域を広げたならば話は違うが、ここにいる純正型は『彼一人』。ノーフェイトという、『夢』を現す理とて本当ならば許されない。力を振るう事など許さない。
何故ならそれは『純正型ではなくあくまでも器物でしかない』のだから。
理は持っていても、それを使役する世界も純正型もいないのだから。
それでもノーフェイトがその理を入り込ませたのは、彼自身が『その夢を望んだから』だ。
甘さを望んで、あり得ない仮定を覗き見て、そこに浸っていたかったからに他ならない。
世界の核たる彼自身が迎え入れたからこそ、ノーフェイトという例外は持ち主不在のまま入り込み、純正型という存在はいないままその力のみを発揮したのである。
――でも、それももう終わりだ。
もうあり得ない仮定を見て、夢を見て、可能性を越えて、彼はもう『それ』を必要とはしなくなったのだから。
そして『最悪が迎え入れた災厄』は欠片も残さず消し飛ばされ、残滓は一握の灰すらも残らず灰色に紛れゆく。
世界に残されたものはただ灰色の空虚で、空には一つの紅き光。
落とされた水滴は、その世界の王様が溢した夢の残り火。
「……あぁ、くそっ。最悪だ。最悪だよ、気分も何もかもが最悪だ」
目覚めるなりそう呟いて、シャクナゲは倒れていたゆっくりと身体を起こした。
そして服に砂利がついた感覚と、倒れ伏していた顔に残された小石か何かの僅かな跡にさらに毒づいてから、軽く黒髪をかきあげる。
「暗くてはっきりは見えないけど、こりゃ絶対服が埃とかで斑模様になってるぞ。どうしてくれんだ、俺の数少ない私服だってのによ」
そう呟いておざなりに服を払ってみせて……大きく深い溜め息を漏らす。
「しかもよく考えたらこの上着、アオイじゃなくてエリカが見繕ってきたヤツじゃねぇか。あぁ、くそっ、『地下』で地面に寝転がってぐちゃぐちゃに汚した……なんて言ったら、帰ってきた時にガミガミ言われるな。あいつはアオイよりも口煩いのにってのに」
かつてはいつでも自分に付いてまわって。
どんな場所でも後を追ってきて。
そのせいで散々痛い目にもあってきたはずなのに、全く懲りた様子もなく後ろをウロチョロしていた少女は、アオイやミヤビなどよりもずっと口煩くシャクナゲに構ってきた。
昔からお洒落どころか日常着る服ですら頓着せず、とりあえず着れたらいいという考えしかなかった彼に、それなりに見れる服装を用意する役目を負っていたのは、かつてはその少女とミヤビだった。
二人がいなくなってその役割は新たに副官という役職についたアオイが請け負ったが、当時の服はいまだに残っている。
彼女が出ていってはや二年近いが、いつかは帰ってくると彼は完全に信じきっていた。出ていった理由もはっきりとは知らないのに
『とりあえず気が済んだら帰ってくるわよ。あの子が帰る場所はこの街なんだし。可愛い子には旅をさせろって言うにゃ〜』
というミヤビの言葉に、疑いなんて全く持っていなかったのだ。
そのミヤビがいなくなった事をエリカが知っているかは分からないけれど、彼女なら知っているんじゃないかと思っている。それでも帰ってこない理由には思い当たらないが、やはり『気が済めば帰ってくるんだろう』という気持ちは変わらない。
「とりあえず洗えば落ちるよな。落ちなきゃ智哉のせいって事でよろしくな」
そう気軽に言って――なるべく気軽な調子でそう言って、軽く掲げた左手から『鎖』を飛ばす。
目の前でコンクリートに先端部を埋め込まれた錫杖に。
その形をした異物のすぐ脇に。
自分の意識を一瞬で捕らえると、内部に入り込み、あっさりと昏倒させて精神世界へと誘った遺物のすぐ間近に。
「ふん、こんなに間近に攻撃を向けても何もしてこないって事は、もうこいつの力は『灰色世界』には入り込めないって事かな」
結城智哉というマスターを亡くしたそれが、もはや今の自分――灰色世界を持ち、造られた夢を求めていない自分の脅威にはならない事を確認すると、苦笑とも取れる小さな笑みを浮かべた。
「……そういやお前に墓標はなかったな。自分にゃそんのもんは必要ないって言って――『身体は燃やして海にでも流せ』なんて言ってさ、残された者に墓参りすらさせてくれないんだもんな」
それを『らしい』と言うべきか、彼の用心深さゆえと見るべきかは分からない。
異質で異常な力を持つ純正型として、自分の死した後の身体が研究素体となる事を嫌ったのかもしれないし、単に海に流して自分の存在を街から完全になくす事で、いなくなった自分を頼る仲間達に自立を促すつもりだったのかもしれない。
「はん、夢を見せる遺物、お前個人のもので遺されたものがこれしかないってのは……さて、なんの皮肉なんだ?」
他人に荒唐無稽な夢と在り方を示した男が唯一残したものがそれ。
誰も訪れない深淵の底でただ突き立つ様は、まるで寂れた墓標のようで。
「俺だけはまた来てやるよ。俺にぐらいは墓参りを許してくれてもいいだろ」
そう言って、左手から伸びた鎖を地面に突き立てるとコンクリートを連結させた刃を生んだ。
世界は展開していないからこそ、剣軍ではなく一本きりの錬血の刃。今はそれが限界であったが、その一本で『ケリ』には十分だった。
「ふっ――!」
そして突き立ったまま錫杖の頭頂部のみを一呼吸で切り飛ばしてみせる。
突き立つそれを小揺るぎもさせず、『災厄』としての一個の存在を示す『それ』だけを壊したのだ。
「ミヤビなら軽く墓碑銘くらいは刻んだんだろうけど、俺の剣の腕もそう捨てたもんじゃないだろ?結局ミヤビにゃ剣じゃ勝てないまんまだったけどさ、これでも一応暇を見て鍛えたりもしてたんだ」
――剣の素性も悪くないしな。
そう言って握っていた朱の色を冠された剣を、無機質なコンクリート塊へと戻して踵を返した。
「墓参りと約束。この二つを果たすのに一年以上だ。ノロマな俺だけどさ、ノロマなりにやってくよ」
――俺はなんでも出来る人間じゃない。そんな器用な人間なんかにゃなれない。でも、こんな俺でも何も出来ないわけじゃない。そうだろ?
その言葉に返事はない。あるはずがない。
それでも構わなかった。何故なら、それ以上のものをすでに貰っているのだから。
『後は任された』。
『後を続いてくれる仲間』も貰った。
これ以上何かを求める必要などどこにもなく、それ以上を必要ともしていない。
「仲間達は任せろ。ほったらかしになんかしないから。そして全てが落ち着いたらさ、俺は俺のすべき事をしてくるよ。その前にもう一回顔を出すさ。
――今度は血に濡れていない花でも持ってな」
深淵の底にある遺物の残滓。
それは人知れず朽ち果てるだけの遺物。
皇から人へと堕ちた男を、さらなる戦場へと誘った道標の跡だ。
そこを訪れる者は一人もいない。
ただ忘れ去られる事を望むかのように、その存在はたたずむだけだ。
運命を否定し、現実をも否定して。
ただ朽ちる事をよしとするその姿は、自分自身の物は何も残さなかった男の在り方そのものだ。
そして。
ノーフェイトという名前も失った遺物は、今も単に唯一遺されたものとしてそこにある。
個を壊され、力を失ったただの墓標として。
表題は『墓標』。 いや、墓標のまんまにしようかとも思ったんで すが、それだと表題からなんとなく連想しちゃ うんじゃないか、なんて思ったから英訳で。 多分これであってるはず……うろ覚えですけ ど。
アカツキ個人がアカツキ個人の物で残したも の……それは実はあんまりないんですよね。 話にも出してないはずです。 災厄といった形ではあっても、それは友人が個 人のものとして唯一残したものです。それをど う思うか……その辺りが書けてたら嬉しいで す。 二部は出会いと再開、歩みがメインですが、 シャクナゲに関して言えば『墓参りに行っただ け』と言い換えられるかもしれません。
次回、シャクナゲとナナシのお話。 ナナシがかっこよく、不器用に書けてたら幸い です。 ご期待ください。