78話 信じるだけでございます
冷たい風。何もない草原。暦の上ではまだ秋ですが、真冬のような冷たい空気でございました。
「あれが竜王山だ」
フォーリオ様は穏やかな表情で周囲の景色を見渡し、遥か向こうに聳える大きな山を指し示されました。
「聞きしに勝る大きさですね……」
普通に会話をしておりますが、わたくしはヘルメットを首に掛けて吊るしております。わたくしの顔や頭を遮る物は何もありません。つまりフォーリオ様にはすべてが見えているはずなのです。
「もしかして、ここは国境を越えてしまってませんか?」
「あぁ、その辺の許可はとってるらしいぞ」
「そう言えば、お義母様はアールヴフェイムでしたわね」
先程、水溜まりに映った顔はもはや人の顔ではございませんでした。わたくしは以前よりずっと筋肉質になった自身の腕に触れました。
顔立ちそのものは変わっておりませんが、眉間から眉に沿うように白い羽毛が生えておりました。丸かったはずの耳もエルフのように尖っております。
作業用ヘルメットをかぶった時、小石が挟まったような違和感。あれはわたくしの頭部両側に小さなツノがあったからでした。
背中に感じたムズムズも、確認しておりませんが、おそらく羽のようなものがあるのでしょう。
またわたくしの慎ましかったお胸ですが、いつの間にか大きく膨らんでおりました。
どうやらわたくしは魔物になってしまうようです。いえ、なってしまったようでした。
そして、わたくしが一番驚いているのは、こうなってしまっているにも拘わらず、わたくし自身があまりショックを受けていないことです。もちろん多少の戸惑いは覚えますが、淡々と事実を受け止められています。
以前のわたくしだったならば、気絶していたのではないかと思うのです。少なくとも発狂ぐらいはしたことでしょう。
メンタルも魔物になってしまったのかもしれません。
自覚してしまえば、これまでに思い当たることはいろいろございました。思考が本能的になっていたことも、おそらく魔物になった影響なのでしょう。
もはやフォーリオ様に隠し通せるようなことではございませんでした。一見すれば明々白々なのですから。
それなのに、なぜかフォーリオ様は平然としておられるのです。
捨てられることも、或いは殺されることも、覚悟の上でヘルメットを脱いでいるのですが……。むしろ――魔物になりました――と猛烈アピールをしているのですが……。フォーリオ様はなぜそんなに普通にしていられるのでしょう。
「何だか嬉しそうですね」
そう、フォーリオ様は楽しそうなのです。
「そうか? 初めて仲間をここへ連れて来たからな。それが面白くてな」
「仲間ですか? 今は、まあ、それでいいですわ」
何となくですが、――仲間――という響きがしっくりきました。
「道中、おまえが言ってた変なことについても、いろいろ聞かせてくれ。冬の間は雪でずっと小屋を出れないからな。良い暇つぶしになる」
「暇つぶしですか……。それより仲間とおっしゃるのなら、名前で読んで下さいませ」
こうなってしまったからには、もはやフォーリオ様の妻になるなど到底無理な話です。こんな醜い姿になったわたくしを――抱いてくださいまし――などと言えるはずもございません。
ならば最後の思い出として、愛しい方に名を呼んで頂きたいと思うのは、我儘でしょうか?
「ん? なんだって……」
「な・ま・え・です。まさかわたくしの名前がお判りにならないのですか? 仲間ですのに」
「……」
「恥ずかしいのですか? 仲間ですのに」
「………ロ、ザンナ」
「おかしなところで切らないで下さいまし。仲間ですのに」
「ロザンナ」
「はい、フォーリオ様」
ありがとうございます――
ありがとうございます――
これでわたくしに思い残すことは何もございません。
いつ捨てられても心残りはありませんわ。
そう決心したところで、フォーリオ様はわたくしの手を強く握って下さいました。そして、これまでに無いような優しい眼差しを向けて下さるのです。
やめて下さいまし。つい期待してしまうではないですか。一緒にいたくなってしまうではないですか……。わたくしは泣いてしまいそうでした。
その時、わたくしは、ハッと気がついてしまいました!
歩くたびにバインバインと揺れるわたくしの胸にフォーリオ様の視線がチラチラと向けられていることを。も、もしかすると――。
そんな時、わたくしの思考を遮るように、前面に広がる小さな森の前に銀色の毛並みを風に揺らす巨大な獣が立ちはだかっていました。
「ウルフ⁉」
――失礼な娘だねぇ。フェンリルだよぉ――
あれが神獣フェンリルですか。頭の中でハスキーな女性の声が響くという奇妙なことが起こっています。もし今のわたくしが魔物メンタルでなければ、パニックになっていたことでしょう。
――フォーリオ、あんた、その娘をこの地へ入れるのかぁい?――
「あぁ、そうだ。この女、いやロザンナの治療をしなきゃならないからな」
フォーリオ様はフェンリルと会話を始めました。
――その娘は、もう……。さっさと魔獣のところにでも捨てておいでぇ――
「それは出来ないな。俺はロザンナを助けると決めた」
ただそれはとても奇妙なものでした。なぜならフェンリルの声は頭の中に直接響いて来るのですが、フォーリオ様の声は耳から聞こえてきます。それでわたくしは少々混乱しております。出来れば会話方法をどちらかに統一して戴きたいものですが……
――なぜだぁい? なぜ、そんなモノを、この地に入れるんだぁい? その娘なら、竜王山の麓に、もっとお誂え向きの場所があるだぁろぅ――
「そんなことは知らん。とにかく、そこをどけ」
そもそも本人の前でその嚮後を大声で話し合うのは如何なものでしょう。
――どうしても通ると言うのならぁ、あんたでも噛み殺すよぉ――
「ほう」
フォーリオ様とフェンリルは戦闘を始めてしまいましたが、止めるまでもありません。なぜなら双方からまったく殺気というものを感じないからです。まるで子供同士がじゃれ合って遊んでいるかのようでした。
何でしょうか、この仲良しさんたちは……。
わたくしは、ただそれをぼんやりと眺めていました。
――やるじゃないか。強くなったね。だけど、まだまだだね――
「そんなことは言われなくても判ってる」
――その娘はあんたの何なんだあぃ? どうして、そこまでするんだあぃ?――
「番だ」
フェンリルが愕然としているのが伝わってきました。
その眼差しには憶えがあります。貴族学校在学中、リズブロン公爵家の末の御子息から婚約を申し込まれたことが御座いました。貴族学校では同学年だったと思います。卒業後はどこかの子爵家へご養子に出るとのことでしたが、それほど興味もありませんでしたので憶えていません。
無論、お父様はお断りになられたようですが、その後のお茶会で、姉である故王太子妃から向けられた胡乱なその目と同じです。
しばらくわたくしを見ていた小姑フェンリルでしたが、そのまま何も言わずに森の中へと消えていきました。
「大丈夫ですか?」
フォーリオ様はふらふらと立ち上がりましたが、清々しい顔をされておりました。楽しく遊んで帰って来た子供のようです。そのままフォーリオ様に肩を貸して歩きました。
すると前方に山小屋が見えてきました。想像したものよりかなり小さな建物でしたが、ようやく、わたくしは勇者の山小屋へ辿り着いたのです。
「丸太小屋だ」
「これが、そうなのですね……」
フォーリオ様はそのまま山小屋の方へ歩いて行かれましたが、わたくしは立ち止まって、これまで歩んで来た道を振り返りました。木立の隙間から赤い夕陽が見えます。ここへ来るまで、長かったようで、あっと言う間だったような気もします。
そしてその時、シャツを突き破るようにして、わたくしの背から両手を広げたぐらいの真っ黒な翼が飛び出してきました。
道中、背中がずっとモゾモゾしていたので、わたくしは――遂にか――と思っただけでございます。
――翼を持たずに生まれてきたのなら、翼をはやすためにどんな障害も乗り越えなさい――
家庭教師のココ先生が最後にくれた言葉でした。
言い得て妙です。
翼はともかく――。わたくしは腕を組んで巨乳を支え、ブルンブルンと揺らしてみました。
「ムフフ」
この病が治るのかどうか判りません。もしかすると、もっと酷い状態になるのかもしれません。それでも、フォーリオ様は、――治す――と仰ってくださいました。こんなわたくしを――番――と呼んで下さいました。
ならば、わたくしはフォーリオ様を全力で信じるだけでございます。
(一旦終了)
…
……
………
おおよそ300年の月日が流れました。
魔物となったからというわけではないのですが、わたくしは変わらず生きております。また旦那様、つまりフォーリオ様もやはりまだ見目麗しいまま生きておりますよ。
なぜ人間のフォーリオ様が?
とお思いになられるかもしれませんが、そこは――魔王――と呼ばれた方ですので、その辺は御察しくださいませ。
さてフォーリオ様とわたくしの恋の旅路。その後のお話をチラリとご紹介したいと思います。
魔物となったわたくしとフォーリオ様は、勇者の山小屋で甘く切なくハートフルでエロティックな生活をスタートさせます。
殆ど、雪に閉ざされた二人っきりの日々でございましたが、とても幸せな数ヶ月でございました。
そして春になり、病を克服したと言いますか、進化を遂げたわたくしとフォーリオ様は、諸事情により、山を下りユレイブの街へ向うことになります。
そこで勇者リオ様亡き後、好き勝手していたクズ代官と、わたくしの夫を自称するバカ勘違い代官息子を――ざまぁ――するのでございます。
その後は、代官を裏から操って、ユレイブの街を乗っ取ろうとしていた大貴族を成敗すべく、わたくしとフォーリオ様は王都へ向うことになるのです。その大貴族が何者かは、ここでは伏せておきましょう。
王都への道すがらの街々で、わたくしたちは髪喰い虫の犠牲者に何度か出遭うことになります。
王都では、国王陛下やお父様にお逢いしたり、いろいろなことがありました。ちなみに聖女になられていたフィオナ様は旅に出られたとかで、お会いすることは叶いませんでした。
フォーリオ様とわたくしは髪喰い虫(魔石虫)の発生源を突き止める為に大陸中を奔走いたします。
世の為、人の為に戦っていらっしゃったにも拘らず、フォーリオ様は――神と精霊に仇なす者――として、なぜか悪者にされてしまうのでございました。
ホント許せませんね。
聖女フィオナ様の思惑とは?
神の意思とは?
勇者パーティの皆様方は?
いろいろと書き連ねたいところではございますが、今となっては、もはや過ぎたことでございます。いつかまた機会がございましたら、顛末を語られることがあるかもしれません。
それでは、ごきげんよう。
ここまでは、物語全体からすると、プロローグ部分になります。このまま続けていくことも可能ですが、一旦撤退しようと思います。
当初の構想では、主人公は魔王フォーリオと中年聖女フィオナだったからです。ロザンナ視点は後から書き足したものです。それで全体が狂ってしまいました。ロザンナが勝手にはしゃいでしまったからです。
書き続けるにしても、もう一回プロットを再構築しなければならなくなりました。
まあ、低評価に心が折れてしまったというのが一番なのですが(笑)
本当は、入れ替わりで新作を投稿する予定でした。ただ何をどうすればウケるのか? 導入部をどうすれば、多くの方を引き付けられるのか? 悩みに悩んで、投稿するのが怖くなってしまっている状況です(汗)
ここまで書き続けられたのは毎話「いいね」をしてくださった方のお陰です。本当にありがとうございましたm(__)m