4話 卵
「とりあえず自分の頭をライトの魔法で照らしてくれ」
女は手にライトの魔法を掛けて自分の頭を照らした。それと同時に綿布が体からスルリと滑り落ち、決して大きいとは言えない胸が露わになった。
「……」
「……」
一瞬固まった女であったが、ゆっくりと顔をあげて俺の顔を覗き込んだ。そして、何も言わず静かにそっと綿布を引き上げると、改めて体に巻き直し、何もなかったかのように素知らぬ振りをして、自分の頭を照らした。
俺は、座っている女の傍らに立つと、ポケットからルーペを取り出して左目に嵌め込み、上から丹念に女の頭皮を診た。
「ど、どうでしょうか?」
女は、体を硬直させて固唾を飲む。
「うん、どうやらまだ大丈夫だ。形跡はあるが、ほんの数か所だけだ。これなら、街へ帰って、医者に虫を取り出してもらえば、何とかなるだろう」
髪喰い虫から犯されると、特徴的な緑色の点が出来る。狩人なら見慣れたものだ。もし緑色の点があったなら、ナイフで切開して虫を取り出さなければならない。女の頭にも緑色の点がみとめられたが、数か所だけだった。場所にもよるが、頭は切ると思った以上に出血してしまうので、緑色の点が無数にある場合はもう対処のしようがない。多量の出血で死期を早めてしまうだけなので、医師も匙を投げてしまうのだ。
「形跡はあるのですね……」
女は唇を震わせて不安そうに怯えていた。
「だが、これぐらいなら軽症だ。あとは街へ帰るまで、毎日、出来れば一日に二回は、髪や体の毛を洗って、これ以上、侵されないようにすればな」
「えっ、髪喰い虫は、先程の水浴びで、洗い流せていなかったのですか?」
女は、自分の頭にまだ、その耳慣れない奇怪な虫がいるということに、怖気立つ。
「いや、虫そのものはちゃんと洗い流せている。ただ、卵がな……」
俺は苦笑いを返す。
「えっ? たまご?」
「ああ、いっぱいあったぞ。髪喰い虫は水で簡単に洗い流せてしまえるけど、その卵は、水やお湯、また石鹸を使っても、全部は取れないんだ」
「だ、だったら、どうすれば……」
女は不安に押しつぶされそうだった。
「髪を切る、いや、剃るしかないな」
「えっ⁉ そる?」
「そう。髪の毛から、眉毛、ワキの毛……は貴族にはなかったんだったな。アソコの毛も含めて、卵が付着した部分の毛は全部剃らないと病根を残すことになる。あっ、ちょっと見せてみ!」
俺はもう一度ルーペを左目に嵌め込み、女の顔を見る。
「マツ毛は大丈夫だ……、よかったな。それからマユ毛は……、あぁ~、少し卵があるな」
顔を間近で見られたことが恥ずかしかったのか、女は顔を赤らめた。
「えっと、その卵というのは、どれぐらいで孵るのでしょうか?」
女は、この世の終わりのような顔で訊いてくる。
「そうだな、順を追って説明する。髪喰い虫は人や動物の毛に寄生すると、すぐに卵を産みつけるらしい。それを人や動物の体内に侵入するまでの約三日間で、10回から15回程繰り返すそうだ。卵は約一日で孵るらしい。それから髪喰い虫が人や動物の体内に侵入するのは卵を産んだ個体で、メスだけだそうだ。まあ、すべて父の受け売りだけどな」
これは父から直接教わったわけではない。父が死んでから読むようになった、父が残した数多の論文の中に、考察の一つとしてあったものだ。
「わたくしの頭の中に入り込んでいる、えっと髪喰い虫は、いつまでに取り出さなければ、わたくしは死んでしまうのでしょうか?」
「死ぬといっても数年後だそうだ。頭には骨があるから、しばらくは大丈夫らしいぞ。ワキやアソコの場合だと、死にはしないが……、まあ……」
頭に侵入した髪喰い虫の殆どが頭蓋骨に阻まれそのまま動けなくなって死に絶えるのだそうだ。ただ頭蓋骨には隙間があり、丁度その場所から侵入した髪喰い虫は、頭内部へと入り込み、そこで増殖していくとのことである。確率は低いが、その場合、人は確実に死に至る。だから頭に数か所しか緑色の点がない女の命が助かる可能性は高い。
だが、本当に恐ろしいのは頭ではない。動物と違って衣類に身を包んでいる人間には、滅多にあることではないが、最も危険なのが心臓に近いワキ毛だと言われている。男に限り胸毛もだ。
人や動物の体内に侵入した髪喰い虫は血管を通り宿主の体内を這いずり回る。大方は死滅してしまうらしいが、運良く心臓へ至った髪喰い虫は、そこで変態する。体を石のように硬化させ、生きる為の機能をすべて宿主に依存して、宿主と一体化していくのである。
髪喰い虫には――魔石虫――と言う別名があった。
それは死んでいるのか、生きているのか判らない状態でありながら、宿主の養分を搾取して成長していくのだという。
そして、成熟した魔石虫は完全な魔石となり、宿主を魔物へと変えてしまうのである。
すべて父の論文の中に書いてあったことだった。だが貴族である女には最も危険だとされているワキ毛がない。先程見えた胸にも毛はなかった。それなら説明しても、むやみに怖がらせてしまうだけだろう。言葉の最後を濁したのはそういうことだ。
「とにかく、毎日、水浴びをしていれば、しばらくは大丈夫なのですね。ところで、ここから街まで、どれ程掛かるのでしょうか?」
女は、今すぐに死ぬわけではないと判ったからか、幾分、表情が和らいだ。
「ん~、そうだな。森の中を普通に真っ直ぐ突っ切れば三日半で着くが、川沿いを下って、毎日水浴びをしながら、ゆっくりユレイブの街を目指すルートとなると、五日から、もしかしたら六日は掛かるかもしれないな」
これまで俺は、川沿いを通って街へ降りたことはなかった。大した獲物もいない『浅い森』で、わざわざ遠回りしてまで行くところではなかったからだ。
「そのルートを通るとしたら、盗賊は大丈夫なのでしょうか? アジトがあったのは、川沿いだったと思いますが……」
「あっ!」
俺は盗賊のことをすっかり忘れていた。無論、その存在は知っていたし、アジトの場所も狩人仲間からある程度は聞いていたが、その規模も、どんな奴らなのかも、判らなかった。そもそも盗賊がいつからこの森に蔓延るようになったのか。俺が成人するより前の話だが、領主の依頼で、父が討伐したこともあった。それが今は、どうなっているのか、俺は知らなかった。
「参ったな……」
「盗賊を回避していくルートはないのですか?」
つい漏らした俺の独り言に、女の不安がまた膨れあがる。
「ないことも、ないんだけどな。ただ毎日水浴びをするとなると……」
俺は頭をボリボリと掻く。
途中、川から離れた場所に湿地帯がある。けれど、そこから先に思いあたる水場はなかった。他にも、いろいろなルートを頭に思い描いてみるが、どうしても、何日か水場のない場所を通らなければならなかった。
それでも俺は考える。考えるが、彼女をユレイブの街へ無事に届ける方法がどうしても見つからなかった。