3話 泣いている女には弱い
「無理ですわ。貴族の女が屋外で裸になることなど出来ません」
毅然とした態度だった。さすがは侯爵令嬢である。
「そうか。だったらアンタはどこかへ行ってくれ」
俺は淡々と答えを出す。
「わたくし、お腹が減ってますの。それにもう一歩も動けませんわ」
女は強気に出ることにしたらしい。これが本来の彼女の姿なのかもしれない。
「わかった。なら今そこで焼いている肉はアンタにやるよ。焚火も使ってくれ。俺が出ていく」
俺は、女を遠巻きにして魔物除けの香を回収し、調理で使った道具類を片付け、折角張ったテントも潰して、荷物を纏めた。
それをアワアワとしながら見ていた女だったが、俺は着実に移動の準備を進めていく。
剣帯を腰に巻いて、お尻のすぐ上でマチェットが水平になるように装備する。矢筒は、マチェットを抜くときに邪魔にならないよう、左側の腰に佩く。そしてどデカいリュックを背負うと、クスノキの木に立て掛けてあった、母の形見である風の精霊の加護がついた風迅の弓を手に取り、何も言わずに踵を返した。
「待ってください! 先程の約束はどうなるのですか?」
女は叫ぶが、俺は振り返らずに歩く。
「ちょ、ちょっと待ってって、言っているではないですか」
女が二、三歩、こちらへ歩み寄ったので、俺は振り返り、「来るな!」と威圧した。
女が止まったので、再び俺が歩き出すと女の泣き声が聞こえて来た。
「お、おねがいじまじゅー、いがないでぐだざいー」
女は泣き崩れた。
俺は一旦止まって考えた。女は髪喰い虫に寄生されている。しかし水浴びを拒否する。ならば数時でさえ一緒にいるわけにはいかなかった。このままここに居続ければ、朝になる頃には、俺にも移っている可能性があった。俺は、髪喰い虫などと言う厄介な虫に害されたくはない。
ただ俺は泣いている女に弱い……。唯一、父に似たところかもしれない。
「幾ら何でも騒ぎすぎだ。魔物が寄って来るぞ」
俺がそう言うと、女は声を殺して泣き始めた。
「わたくしが、水浴びをすれば、行かないでくれますか?」
女は心が折れたように消沈していた。
「そうだな。今いる虫を水で流してしまえば、俺には移らないだろうからな」
「こ、これは移るのですね。そ、それで……。でも、しかし、すこし大袈裟ではないですか?」
女は――移る――ということで、なぜ俺が逃げ出したのかは理解したが、事の重大さには気がついていないようだった。
「だったらアンタは、俺が伝染病にかかっていて、死ぬと判っていても近づいて来るのか?」
「死ぬのですか……? えっと、もし水浴びをしなかったら、わたくしはどうなるのでしょう?」
「アンタの髪の毛にいつ寄生したかは判らないから、もう手遅れかもしれないが、寄生して大体三日くらいで頭皮から体の中に入る。そして運が悪ければ……、頭の中が虫だらけになって死ぬな」
女は顔を引き攣らせ
「た、たす、たすけてください」
ガタガタと震えている。
「だから先ずは、俺がさっき言ったように水浴びをして来い」
「はっ、はいぃーーー」
女は、這うようにして川に向かって駆け出し、ボロボロになったドレスを引き千切るようにして全裸になると、川へ飛び込んだ。
さすがに俺も、若い女を見殺しにするのは忍びないと思っていたので、すこしホッとした。
女は川の深いところを探して、何とか頭まで潜っていた。
「髪を水の中に付けたまま手でガシガシしろ」
俺はライトの魔法で川面を照らしながら指示する。
女の両手に掻き毟られた長い金髪が、川の中で盛大に乱れ、かなり不気味だった。
「ついでにアソコの毛もガシガシしとけよ。体中の毛の生えてる場所は全部だ」
女は水の中で身悶えするようにしばらく暴れ続けた。
「よし、もう良いだろ」
俺はリュックサックの中から、ベッドシーツにも使える大き目の綿布を出すと、全裸で川から上がった女に手渡した。
「あ、ありがとうございます」
女は綿布を体に巻き付けると、トボトボと焚火の前にあった倒木に腰掛けた。
「よし、これで俺に移ることはなくなった」
「まず最初に言うことがそれですか? あなた、少し無神経すぎません? こんなところで、しかも見知らぬ殿方の前で裸になったのですよ、わたくしは……」
――どうしてくれるんだ!――とは言わなかったが、俺を見る女の目つきは批難めいている。実に心外だ。
「いやいや、髪喰い虫が外れたんだから、良かったんじゃないの?」
「まあ、それはそうなんですが……、それで、これからどうすれば……」
「そうだな。まずは診てみないことには、何とも言えないのだけれども。アンタ、ライトの魔法は使えるか?」
「そんな生活魔法くらい簡単に使えます」
別にバカにしたつもりはなかったが、どうやら貴族の矜持を傷つけてしまったようだ。