2話 髪喰い虫
女はホッとしたように、焚火の方へと歩み寄って来た。
火に照らされた女の顔は、貴族とは言え、驚くほど美人だった。
ボロボロで薄汚れていてもこれだけ麗しいのだから、盗賊に襲われる前は目が眩んでしまう程、凄絶な美貌を持っていたに違いない。
そして俺が、警戒を解いて、ふたたびクスノキの根っこに腰をおろそうとした時だった――
焚火の向こう側にあった倒木に座ろうとした女の頭からパラパラと何かが落ちたのが見えた。
咄嗟に立ち上がった俺は、焚火の傍から、慌てて数歩後ろに下がった。
女は、急に俺が動いたので一瞬身構えたが、自分から遠ざかる俺の行動に不思議そうな顔をしていた。
俺は、パドルテールの毛を編んで拵えた狩人の帽子の鍔を倒し、耳たぶの下まで引き下げると、さらに首にしていたスカーフを引き上げて口元を覆った。
「い、いかがなさいましたか?」
女も、俺の只ならぬ行動に不安を覚えたのか、動揺している。
「アンタが、今、虫除けのオイルの上を通った時、頭から何かが落ちた」
「えっ!?」
今度は貴族らしくなく、女は声を出して驚く。しかしすぐに冷静になったのか顔を赤らめた。
「恥ずかしながら、ここ数日、禄に湯浴みも出来ない有り様でございました。おそらく埃が落ちたのではないかと……」
「違うな……、たぶん。ちょっと調べさせて貰えるか?」
「な、なにをですか?」
「アンタが虫に寄生されていないか、どうかをだよ」
森で寝泊まりする狩人にとって、本当に恐ろしいのは魔物ではない。自分より弱い魔物は倒せば良いし、強い魔物なら逃げれば良い。
真に、警戒し、用心し、恐怖しなければならないのは、目には見えない、いつの間にか人を害する小さな虫である。
俺はポケットから羊皮の薄手の手袋を取り出すと、満遍なく虫除けのオイルを手袋に染みこませ、恐る恐る女へと近づく。
「わたくしは大丈夫です。寄生などされておりませんわ」
女は訳が分からず慄いたが、俺は歩みを止めない。
「動くな!」
俺は、帽子、マスク、手袋、体に空いたところがないかを再度確認すると、鉱石や魔石の価値を見る時に使っているルーペを左目に挟み、たじろぎながらも女の前髪を掻き上げた。
そして即座に、転がるように後ろに下がって、女から離れる。
「間違えない、髪喰い虫だ。寄生されてる」
「な、なんですの? それは?」
狩人や森に頻繁に出入りする冒険者の中では常識だが、貴族のお嬢様ではさすがに知らなくて当然かもしれない。
「アンタ、この三日間、どこで寝ていたんだ? 水浴びはしたか?」
「そ、それは仕方なく地面で寝るしかないではありませんか。水浴びは……、ドレスを一度脱いでしまうと、自分一人では着ることが出来ませんので、……しておりません」
女は恥ずかしそうに答えた。
「そうか。だったら、すぐそこに川があるから、今すぐスッポンポンになって飛び込め。それから頭まで浸かって、しばらく潜っていろ」
女はワナワナとした。――貴族の女性に何を言っているのだ!――と怒鳴りたいところなのだろうが、現状の立場として、あまり強くは出れないのだろう。そして一旦落ち着こうとしたのか、胸に手を置いた。
「どうして裸になる必要があるのですか? それに、その髪ナントカって、一体なんですの?」
「髪喰い虫だ。アンタの髪に寄生している。それに虫除けのオイルを撒きもせず、テントも使わずに地べたに寝っ転がってたんだろ? だったら髪の毛だけじゃなくて、体の他の場所の毛にも寄生している可能性がある」
俺は冷静に適格に説明したつもりだが、女は唖然としていた。
「体の毛……」
「ワキ毛やアソコの毛なんかのことだ」
女は独り言のつもりだったようだが、俺はつい答えてしまった。
「ワ、ワキ毛などありませんわ!」
女は甲高い声をあげた。顔を真っ赤にしている。
「そうか、貴族の女にはワキ毛はないのか、知らなかった。でもアソコの毛はあるんだろ? だったら、早く川に飛び込め」
女は口をパクパクさせて、何とか、この訳の判らない状況を整理しようとしていた。
そして結論が出たのか、女はキッと睨みつけた。