第957話 仲裁屋
閑静な住宅街に響き渡る、けたたましい怒号。
仲が悪さで有名な夫婦が、今日も今日とて喧嘩に明け暮れていた。
「お前は妻失格だ!」
「あなたこそダメ夫よ!」
「家事もろくにできないのか!」
「安月給で切り盛りできているのは誰のおかげだと思ってるの!」
罵り合いは激しさを増して、家庭事情は外に筒抜け。
近所の住民たちは、もううんざり。誰もが同じく、いい加減にしてくれと思っている。しかし、わざわざ注意するのははばかられる。巻き込まれてはかなわない。
「ばか!」
「あほ!」
言い争いはもはや無意味な言葉に成り果てて、がしゃん、と物が壊れる音。
しかも、立て続け。
がしゃん、がしゃん、がしゃん。
そんなすさまじい喧嘩っぷりのさなか、玄関の呼び鈴が鳴った。
ぴんぽーん。
「クソ女!」
「ゴミ男!」
ぴんぽーん。
ぴんぽーん。
ぴんぽーん。
「なんだよっ! やかましいなっ!」
ぴんぽーん。
「なんなのっ! しつこいわねっ!」
ぴんぽーん。
鳴りやまない呼び鈴に苛立ちを募らせた夫婦がそろって玄関へと向かう。
表からは呑気な調子で「すみませぇん」
夫婦は荒々しく扉を開けて、
「うるせえぞ! いつまで鳴らしてんだ!」
「そうよそうよ! こっちの迷惑も考えなさいよ!」
ものすごい剣幕。けれども、表にいた男は蛙の面に水といったふう。
にこにこ笑顔を絶やさずに、腰を低くして、
「ご機嫌麗しゅう。どうもどうもはじめまして。わたくし、仲裁屋でございます」
「なんだって?」
「なんなのそれは?」
怪訝な顔で眉をひそめる夫婦に、男は名刺を差し出して、
「お二方の仲を取り持つのがわたくしのお役目。どうぞ、今回はわたくしの顔にめんじて、矛を収めてください。夫婦というのは持ちつ持たれつ。支えあって生きていくもの。喧嘩するほど仲がいいとは言いますが、まずはお互いを尊重して、理解し合うことが第一です」
藪から棒にそんなことを言われても、怒りが収まるわけがない。
むしろ逆撫でされて、
「他人にとやかく言われる筋合いはない!」
「さっさと帰って!」
聞く耳持たぬという態度。
仲裁屋の男はちょっぴり困った顔をしたが、それでもめげずに、
「まあまあ。落ち着いてください。お二方のお声は、そこの道をずうっといった先の大通りにまで届いてましたよ。大声大会だったら優勝確実。工事現場の騒音より大きい。つまり、それだけこのあたりの皆様が迷惑しているわけです。そのあたりのことを鑑みてですね。一時休戦としませんか」
客観的な視点を交えて、羞恥心を刺激する作戦。けれども、これも逆効果。
「どこのどいつがそんなことを言いやがったんだ? おれたちの声が迷惑だなんて言うやつがいるなら名前を教えろ!」
「近所のだれかがあんたを呼んだのね! そっちのほうが迷惑よ!」
ますますヒートアップしていく。
すると、
「どうもどうも」
突然に別の男がやってきて、三人に話しかけた。
「はじめまして。わたくし、仲裁屋でございます」
これには、元々いた仲裁屋の男も目を丸くする。
二番目の男は、眼鏡をくいと持ち上げて、
「皆様、なにが原因かは存じませんが、怒りという感情はエネルギーの無駄遣いもいいところ。喧嘩するぐらいなら、建設的な意見を出し合ったほうが、今後の人生において、実りある結果を残せるでしょう。怒りのピークは六秒だと言われていますから、まずは六秒。たった六秒。いったん口を閉じて、お互いに我慢をしてみてはどうでしょう」
つらつらと持論を並びたてたが、夫婦には響かない。
「ぐだぐだ言いやがって。何様のつもりだ。六秒なんて時間は、もうとっくに過ぎ去っているんだよ! こちとら何年喧嘩してると思ってんだ!」
「そうよ。馬鹿げたことを言ってないで、あんたこそ口を閉じていなさいよ!」
怒りを露わにしたのは、夫婦だけではなかった。最初にきた男も便乗して、
「そうだそうだ。帰れ帰れ。どこの社の仲裁屋かは知らないが、こっちが先だったのを横取りしようだなんて、無礼なやつだ。どうせろくな会社じゃないんだろう。ここはわたしひとりで十分。他社の出る幕はないんだよ。尻尾を巻いて、回れ右をするんだな」
「なんだって?」
あまりにもな言い草に、二番目の男が不快感を示す。
「そっちこそすっこんでろ。横入りと言うが、仕事が遅いのが悪い。二流どころか三流仲裁屋風情が大口を叩くんじゃない。この程度の喧嘩を仲裁できないで、仲裁屋を名乗るだなんてちゃんちゃらおかしい。さっさと引退するか、火に油注ぎ隊とでも改名して活動するんだな」
「だったらそっちは憤死させても委員会だ」
「ガキみたいなことを」
「どっちがガキだ」
売り言葉に買い言葉が止まらない。夫婦そっちのけで、仲裁屋同士で喧嘩をはじめてしまった。
そこへ、三番目の男がやってきて、
「どうもどうもはじめまして。わたくし、仲裁屋でございます」
夫婦は、またか、という表情。
「あんたもおれたち夫婦の喧嘩を止めにきたのか」
「もう間に合ってるわよ」
すると、三番目の男は首を横に振って、
「いえいえ。わたくしが仲裁するのはこちらの……」
一番目と二番目の男に視線を投げかける。
「どうやら見たところ、おふたりとも仲裁屋のようですが、それがこんなところで喧嘩だなんて、なんとも嘆かわしい限りですね。すこしは恥を知ったらどうです。ここはお互い譲り合って、あとはわたくしにお任せください。きちんと仕事を引き継いで、やり遂げておきますから」
「後からきたくせに生意気だぞ」
「くだらない理屈を並べて仕事を奪おうだなんて、恥知らずはいったいどっちなんだか」
仲裁屋たちは睨み合って、みつどもえの様相を呈する。
夫婦はもはや呆れてものも言えない。
そんなところへ、四番目の男が……




