第889話 しゃべるハエ
ぷ~ん
ぷ~ん
ハエだ。コバエ。
――いやだなあ
耳元を飛び回られて、うざったくってしょうがない。
手をひらひらとふって、追い払おうとしたが、ハエはそんなのおかまいなし。
ぷ~ん
ぷ~ん
飛び続ける。
ものすごく気が散るが、虫一匹にかまってばかりもいられない。
仕事をしないといけないのだ。
おれはとっても忙しい。
無視を決め込むことにする。
そうして、パソコンでの作業に没頭していると、耳元にいたハエが、今度は視界に飛び込んできた。
ぷ~ん
ぷ~ん
画面の前を右に左に。
おれは両手で、ぱちん、ぱちん、と手をたたいて、仕留めようとがんばったが、ハエにはかすりもしやしない。
――ちぇっ
舌打ち。
残念ながら殺虫スプレーは切れている。いまから買いに行くのは面倒だ。それに、とにかく仕事を急いで片付けないといけない。クライアントが待っている。
今度こそ絶対に無視してやると気合いを入れて作業再開。
かたかたかた、とキーボードを打つ。
ぷ~ん
ぷ~ん
とことん邪魔をするつもりらしい。
ふらふらとおれの手元におりてきて、あろうことかキーボードの上にとまりやがった。
――ふざけたやつだ
――もう許さん
おれは勢いよくハエのとまったキーを押す。
ひらりとかわして別のキーにとまるハエ。
もう一度、ハエを指でつぶそうとする。
またしても、同じようにハエは移動。
再度、殺意のこもった指を落とす。
だが、ハエはしぶとく逃げ回る。
そんなやりとりを繰り返した末、ハエの撃退に成功。
ティッシュでくるんだハエの死骸を捨てて、やっと心の平穏を取り戻す。
――これで仕事に集中できる
と、顔を上げるとパソコンの画面に妙なことが起きていた。
”はじめまして”
こんな文章を打った覚えはない。
けれど、しばらく考えて気がついた。
さっき、ハエを退治するときに押したキーが、偶然この文字列になる順番だったようだ。
気味が悪いが、奇跡的な確率でならこういうこともあるだろう。
実際になっているのだから認めざるを得ない。
せっかく邪魔者を排除したのに、いやな気分がもやもやしていた。
はあ、と溜息をついていると、
ぷ~ん
ぷ~ん
――まただ
キーボードの上にハエ。
カッとなったおれは、がむしゃらにハエを退治しようとした。
ハエのとまったキーをたたく。たたく。たたく。
――なんだっていうんだ!
やっとのことでハエを仕留めて、おそるおそる画面を見ると、
”ゆるさない”
ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
ぷ~ん
ぷ~ん
ぷ~ん
ぷ~ん
ぷ~ん
ぷ~ん
ぷ~ん
ぷ~ん
……




