第724話 人間アレルギー
やせた男。落ち着かない様子でリスのように首をふって、白い部屋の隅々に視線を向ける。それから、おずおずと正面に座っている白衣の人物を目にとめた。
ここは病院の診察室。いままで男の話を聞いていた医者がこくりとうなずく。
「なるほど。なるほど」
カルテにペンを走らせながら、
「人と対峙するのに不安を感じると。つまり対人恐怖症……」
と、言いさした医者の言葉を、勢いこんだ男がさえぎる。
「いえ。そんな生易しいもんじゃありません。精神的というより、肉体的な問題。人間アレルギーと言ってもいい。いまこの瞬間、あなたが目の前にいるだけでも、蕁麻疹ができるぐらいなんです。ほら見てください」
腕をまくってみせる。ぶつぶつと赤い発疹。
「長年の悩みなんです。悪化する一方なのが心配になって医者に診てもらおうと考えた次第でして」
「ほう」医者は目を見張って、しばし考えこんでいたが、
「……それは服屋なんかでマネキンを見たときも同じですか」
「うーん、ぎりぎり大丈夫ですかね」と、男。
「ではロボットではどうです」
「ロボット、といいますと?」
「わたし、実は医者型ロボットなんですよ」
「は?」
男は怪訝に医者の姿を眺めまわす。どこからどう見ても人間にしか見えないが、ロボットと言われると、そんな気もしないでもない。やや動きが硬いような。ここまで精巧なヒューマノイドロボットが開発されているなんて信じがたいが、技術の発展めまぐるしい昨今。ありえないとも言えない。
考えれば考えるほど、本当だろうか、という気持ちが、本当かもしれない、となり、本当に違いないぞ、という確信に変わった。男自身、なぜだかわからなかったが、医者の話がすべて真実に思えたのだった。
この相手は医者型ロボット。
「気分が落ち着くお薬を出しておきましょう」
医者は機械的な動作でカルテを記入して、処方箋を書いてくれた。
それを受け取って、男は診察室から出ていった。
数日後、男がまた医者の元にやってきた。
医者は機械的にあいさつして、診察用のベッドに男を誘導する。
「おひさしぶりです。では、前回と同じように、こちらのベッドに腰かけてもらえますか」
座った男は上着を脱がされ、聴診器を当てられる。人間アレルギーという男は、かすかにふるえたものの、医者がロボットであると知っているので、アレルギーの症状がでることはなかった。
男は考えていた。この医者のような精巧なヒューマノイドロボットが存在するということは、自分が知らないだけで、普段接している同僚なんかも、実はロボットだったりしないだろうか。
「体調はどうですか」医者が聞く。
「マシではあります」
「それはよかった」
たわいのない会話をして、薬が処方されると、男は帰っていった。
しばらくして、男が定期健診にやってくる。
前回、前々回と同じようにベッドに腰を下ろして、医者と相対した。
「いいですか。これをよく見て」
医者はいつものように、男に催眠をかけた。振り子をゆらす。右、左、右、左。
「あなたは私がロボットだと信じています。病院の職員も、あなたの職場の人々もロボットです」
ここまでは前回与えた暗示と同じ。今回はもう少し踏み込んで、
「街ゆく人々も、実はロボットなのです。いいですか。いまはそういう時代なのだと信じてください」
これはいま考案中である催眠療法。医者はいい被検体を得て、それを試しているところ。
近頃、男と似たような症状の患者が増加傾向にあった。SNSの普及が原因ではないかと予想しているが、原因の究明は後回し。まずは症状改善に向けて、治療方法の確立が優先。
処方している薬は特に意味のないビタミン剤。本命は催眠療法。医者が苦心の末にたどり着いた、もっとも効果てきめんな治療方法だった。
病院からの帰り道。男は車を運転し、帰路を急いでいた。買い物をしていたら、ずいぶんと遅い時間になってしまった。茜に染まる道路はすいている。町をでて、山のほうへ。自宅は山の向こう側にある。
陽が沈んで、暗くなりはじめた。それと同時にぽつぽつと雨がふってくる。ワイパーを動かす。右、左、一定の速度。なんだか既視感があるような気がするが、なんだったか思い出せない。右、左、右、左……
――あなたはいまから眠りに落ちます……
そんな幻聴が聞こえてきた瞬間。
大きな衝撃。
「うわっ!?」
急ブレーキを踏みながら、思わず叫ぶ。ワイパーに気を取られていて、前方の注意がおろそかになっていた。その結果、山道に突然あらわれた人影を轢いてしまったのだ。
おそるおそる車外にでる。首をひっこめて、あたりをうかがう。倒れた人。微動だにしていない。
「あの……生きてますか……?」
たずねてみるが、返答はない。
「死んで……」
と、思ったが、気がついた。
「……なんだ。びっくりさせやがって」
倒れているのはロボット。こんなところをうろついているなんて人騒がせな。
「くそっ」
肝を冷やした。腹立たしくなってロボットを蹴りつける、すると、血のようなオイルにまみれた機械の体は、ごろごろと坂を転がり落ちて、鬱蒼とした緑のなかに吞みこまれた。
「故障でもしてこのあたりを彷徨っていたんだろうか」
そうに違いない。わざわざこんな山道をロボットに歩かせる意味なんてないのだから。
車に戻って、激しい動悸がおさまるのを待つ。
なんだか、気分がよかった。すっきりしている。アレルギー対象である人間を模したものを打ち破ったからだろうか。悩みを乗り越えられた気がする。
発進する。
ゆるゆると、速度を上げる。
そうだ。
いいことを思いついた。
また山道でロボットを見かけたら、ぶつかってやろう。こんなところを歩いているロボットなど、壊れているに決まっている。スクラップにしてしまっても、かまわないはず。そのはずだ。




