第713話 のぞき魔
ちぇっ、と心のなかに嫌な気分がじんわりと広がっていく。
私の素敵なおうち。
海の底にあるおうち。
そこから水面を見上げると、あいつがいた。
のぞき魔だ。いやんなっちゃう。
大空洞におさまった刺激的な海。壺の形に膨らんで、海底は丸みを帯びている。底は横穴に伸びて、上に曲がり、また下がる。海底洞窟。そこが私のおうち。
あいつはぴかぴかと瞳を輝かせ、ぐねんぐねんと左右を見回し、なにかを探しまわっている。そうして、海中にある大空洞の壁面を丹念に眺めると、私のすんでいる狭く細い洞窟の近くにまで、ぐぐぐっ、と伸びてきた。入り口がぎらぎらと照らされる。しばらくのあいだ、こちらをのぞき込んでいたが、逆移動をしてするすると戻っていった。
帰ってくれたようだ。
けれど、きっとまたやってくる。
何度も何度も、あいつはしつこくあらわれるのだ。
あいつがはじめて姿を見せたのは、刺激的な海で満たされた大空洞の壁面に穴があいたときだった。白っぽく変色した部分がぼろぼろになって、クレーターみたいに壊れた。その頃から私は嫌な予感がしていた。不吉なことが起きるとおもった。天変地異の前触れだ。
いろんなものが海には投棄される。ふっくらしたものだとか、ほそながいものだとか、つぶつぶしたものだとか。それらは、みずみずしかったり、ぱさぱさだったり、あぶらぎっていたりする。
海でも浄化しきれなかった投棄物が、きっと毒を出したのだ。波は大荒れ。異常気象。それが壁面の穴の原因となった。そして、のぞき魔がやってきた。
はじめてのぞき魔を見たわたしはびっくり仰天。びっくりしすぎて、体がちぎれるところだった。一体何者なのだろうか。正体はいまだにわからない。わかっているのは、いやらしい目つきをしたやつだということだけ。
のぞき魔がやってきてから、海にさらさらしたものが注がれるようになった。あいつの手引きなのだろうか。
繰り返し。繰り返し。
縦になり、横になるたびに。
波は徐々に低くなり、鳴動はゆるやかに。
のぞき魔は海の平穏を取り戻そうとしているのかもしれない。
けれど、あいつがのぞき魔であることは変わらない。
許可なく私のおうちをじろじろと。いやらしいったらありゃしない。
縦になったり、横になったり、形を変える刺激的な海を眺めていると、大空洞の壁面にあった穴がいつの間にか修復されていた。
なにもかもが元通りになった。
元通り以上だった。
海底洞窟に流れ込んだ投棄物の残りカスたちが、滑らかに通り抜けていく。
のぞき魔は相変わらずやってきた。
とても長い期間をおいて、一定の間隔で。
付き合いが長くなると、のぞかれるのにもちょっぴり慣れてしまった。
慣れたくもないけど。
水面を仰いであいつをにらみ返す。
嫌な奴。嫌な奴。
あっ。
目が合った。
「どうでしたか?」
苦しそうな声。せきこんで、口元をぬぐう。
「ちょっと。いいですか」
医者がモニターを指差す。
「ほらここ」
「はあ」患者は眼鏡の縁を持ちあげながら「なんですかね」
「サナダムシですね」
胃カメラを片付けながら医者が言うと、患者はギョッとして、
「えっ! そんな……、胃潰瘍が治ったばっかりなのに」
がっくりとうなだれる。
「大丈夫ですよ。任せてください」
医者はにっこりと笑って薬を探す。
「駆虫薬で追い出しちゃいましょう。まったく、人体に対する不法滞在ですよ」




