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井ぴエの毎日ショートショート  作者: 井ぴエetc


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第669話 旅の恥はかき捨て

 彼女にせがまれてテーマパークにやってきたものの、おれは昔からこういった、にぎやかな場所が苦手であった。キャラクターの着ぐるみがそこいらを闊歩かっぽして、子供なんかと握手あくしゅをしたり、手をふりあったりしている。園内のグッズ販売所には動物の耳をかたどったカチューシャや、キャラクターの顔がでかでかとプリントされたシャツがところせましと並ぶ。彼女はそういったものに興味津々で、ペアルックをしたがっていたが、おれはどうしても恥ずかしくて、しぶってしまう。

 彼女がおれのそでを引く。

「せっかくきたんだから、一緒に楽しみたいのよ」

 おれだって彼女を喜ばせたいとは思っているし、気持ちにこたえたいのはやまやまなのだが、羞恥心というのはやっかいきわまりない代物しろもの。心の正面に陣取って、てこでも動いてくれないのだから。

 けれど、しばらくすると、おれは百八十度の心変わりをしていた、というのも、アトラクションなどをめぐるうちに、自分だけが浮かれていないことが恥ずかしくなってきたのだ。ごうに入ればごうしたがえ。旅の恥はかき捨てともいう。羞恥心は逆さ絵だったらしく、反対を向いても同じ顔をしていたというわけだ。羞恥と羞恥がぶつかると、相殺されて消え去った。

 やってみれば、なかなか楽しい。どんどん気分は染められて、おれは普段なら絶対にしないような大笑いだとか、少年のように走り回ってみたりだとか、ショーのキャストに声援をおくったりと、まるで生まれ変わったような気持ち。

 彼女はそんなおれの様子にびっくりしながらも「新鮮で楽しいね」と、いつにも増して魅力的に見える笑顔。

 そうしてテーマパークを一巡したおれたちは、敷地のはしのほうにあるお化け屋敷みたいな施設にたどりついた。

 洞窟風のその建物は回廊式のアトラクションになっていて、一本道の通路を歩いていると、横から怪物なんかがバアッとあらわれて、おどろかせてくるというものらしい。

 入口の係員はひまそうにしていたが、おれたちが近づくと、ピシリと笑顔をはりつけて、はずむような声で迎え入れてくれた。

 なかは暗い。外の喧騒けんそうが嘘のように、静寂せいじゃくに満ちている。

「雰囲気あるね」

 声は金属質に反響して、ぼうっと震えて消えていく。

 進んでいくと通路の側面にぼんやりとした光が浮かんで、ぬぼっとした怪物があらわれた。いかにも機械的な動きで、張りぼてだが、なかなかの迫力。恐竜を思いっきりデフォルメしたような見た目。まったくこわくない。滑稽こっけいさが勝っている。彼女なんかは指を差して「かわいい」などと言っている。

 それからも子供だましの怪物がおそってきたが、いずれも似たり寄ったり。おれはすこし飽きてきて、出口はどこだろうと考えはじめていた。

 そんなときであった。彼女のするどい悲鳴。

「きゃあ!」

 おれも叫びそうになったが、彼女がいる手前、歯を食いしばって、喉に押し込める。

 そこにはおぞましい怪物がいた。いままでの怪物など小手調べ、ついに本気を出してきたというような、恐怖をあおる集大成。まるでサメとマンボウとイソギンチャクをごちゃまぜにしたような姿。機械的ではなく生物的な動き。着ぐるみなのだろう。ぬらぬらとした触手がなめらかにふられている。

 触手はむちのようにしなって、下手をするとおれたちにあたってしまいそうだ。もちろんのこと、客であるおれたちに危害がおよばないようにしているだろうが、そうとは思えないほどの迫真ぶりで、怪物は通路の真ん中に立ちはだかっている。

「どうしよう。横を通り抜ければいいのかな?」

 彼女が怪物と壁のあいだを通ろうとした。と、なんと怪物は彼女のほうをぐるりと見下ろして、がっしと抱きかかえたではないか。

「なにするんですか!?」

 おれは急いで彼女の元へと駆け寄る。彼女はおどろきのあまり声もでない様子。

 引きはがそうとするが、すごい力ではなしてはくれない。おれはついには強硬手段に打って出て、怪獣を殴り飛ばした。くぐもったうめき声。どうにかして着ぐるみを脱がそうとするが、継ぎ目のような部分は見当たらなかった。

「助けて」

 まだ触手の一本が彼女の足に絡みついている。おれは生まれてこのかた暴力などふるったことはなかった。けれど、テーマパークをめぐるうちに新たな自分に変心していた。いまだけは正義のヒーローにでもなったかのように、彼女を救わなければならぬという使命感で、怪物を痛めつけていた。

 やっと解放された彼女を連れ、急いで外へと向かう。息を切らして飛び出して、

「なんだったんだろう」

 おれは青空にほっと安心しながら、出口の奥の暗がりをふりかえる。

「ああいうアトラクションだったのかな」と、彼女は胸をおさえて息を整える。

「大丈夫?」

「わたしは大丈夫。でもあの怪獣のスタッフさん、ケガしてないかな。戻って謝っておく?」

「いや、元はといえば向こうが悪いんだ。あんなのは変質者と変わらないよ。むしろ苦情をいれたいぐらいだ」

 と、おれは言いながら、風にあたっているうちに冷静になってきた。自分があんなことをしたとは信じられぬ思い。彼女も同じらしく、

「なんだか別人みたいだったね。いつもだったら部屋に虫がでたぐらいでもわたしを呼ぶのに。びっくりしたけど、あんなに必死になって助けてくれてうれしい。戻っても面倒なことになりそうだから、このまま帰っちゃいましょ」

「そうだな」

 どっ、と疲れが押し寄せてきて、おれたちはすぐに家に帰ることにした。

 玄関をくぐると、心はすっかり元通り。さっそく虫が一匹出たが、彼女を呼んで始末してもらわなければならなかった。彼女はあきれながらテーマパークでの出来事を蒸し返したが、あれは例外中の例外。あんなことをしてしまったのは、場の雰囲気に呑まれていたからにすぎない。

 いま考えると、話し合うなり、他のスタッフを呼びにいくなり、暴力以外にもやりようはあったはずだ。つくづくあのときは、心のブレーキがゆるんでいたのか、普段と違う自分に酔っていたのか、とにかく冷静でなかったというよりほかない。


「はあ」

 と、衛星軌道上。まったくもって失敗した。ちょっと観光のつもりが、楽し気な雰囲気に呑まれて、異星人との接触までしてしまった。あんなことをするつもりはなかったのだが、旅のテンションというのはおそろしい。反省して、次からは気をつけねば。

 おそろしい顔をした怪物は、まったくもっておとなしい仕草で、ふう、と息をつくと、宇宙船の操縦席にどろりと身を沈めて、はる彼方かなたの宇宙の果てへと進路を向けて、飛び去っていった。

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