第6話 私とわたし
深く暗い森の奥。忘れられた古城の片隅に、苔と蔓に覆われた高い塔が立っていた。側面には窓一つなく、塔の真上に明かりを取る為の穴がぽっかりと開けられている。時折旅人が通りすがり、塔の足元に近づくと、ずっと遠い空の上から少女の歌声や楽し気な笑い声が聞こえてくるような気がするのだった。
私はずっとこの塔のてっぺんにある部屋で暮らしている。遥か昔には教師がやって来て、いろんなことを教えてくれた。だからここが塔で、てっぺんだということも知っているのだ。けれどしばらくすると教師は来てくれなくなり、顔も声も名前すら忘れてしまった。
この部屋に足を踏み入れる人がいなくなったのはいつだったろうか。今は毎日決まった時間に食事が差し入れられるだけだ。食事を差し入れる手も、日が経つほどにやせ細り、もはや枯れ木のようになっている。
けれど私はひとりではない。わたしがずっと一緒にいる。
小さな部屋の中で追いかけっこして遊ぶ。わたしはとってもすばしっこくて、私はなかなか追いつけない。なんとか部屋のすみっこに追い詰めても、わたしはぐっと背を伸ばして私から逃れようとする。
次の遊びはかくれんぼだ。ベッドの下や本棚の後ろに、わたしがすっぽり隠れると、私は見つけるのにとっても苦労してしまう。それでも私ががんばって見つけ出すと、わたしはにっこりと笑うのだ。
眠る前には私がわたしに本を読み聞かせてあげる。部屋の外には出たことがないが、私たちは想像のなかでいくつもの素晴らしい世界で旅をした。
しんと静まり返った雪の降る夜は、この世界に私たちふたりしかいないように思えた。そんな時はどうしようもない寂しさが、体の芯まで染み入ってくる。
「愛してる」
私が言った。
「嘘」
わたしが答えた。
「うそじゃない」
私は反論したが、わたしの表情は暗かった。
「お互いしか知らない二人が愛し合っているなんておかしいよ」
「なぜ? かみさまの世界のはじまりも、たったふたりだって書いてあったよ」
「もう一人いたら、その人を好きになっていたかもしれない」
わたしはそっけなく言う。
天井から月の光が差し込んで、わたしの輪郭が濃く浮かび上がった。冷たい夜に心まで凍りついてしまいそうだった。
「もうひとりなんていない。私たちはふたりだけ。だからおかしくなんてない」
私は駄々をこねるように、言葉を絞り出した。
「それは依存だよ。相対的な尺度がない。自己愛さ」
わたしはきっぱりと言い捨てたが、私はあきらめなかった。私はわたしに抱き着いた。ざらざらした肌に頬を押しつけると、お互いの体温が混じり合った。
「風邪をひくよ。ベッドで眠ろう」
私と同じように、わたしにも私を愛して欲しかった。私は愛されたかった。
「愛してるの」
私がかたくなに言うと、わたしは何も言わなくなった。
その日以降、差し入れられた食事が食べられることはなかった。氷のように冷たい石の床の上で、自らの影を抱きしめる様にして一体の骸が微笑んでいた。