第594話 冬の怪物
わたしの家には冬になると怪物があらわれる。
それは庭の納屋のなかにいる。
雪がしんしんと降りだして、空がすっかり澄み切ると、怪物がやってくる合図。
ことしの冬は気がめいるような寒さだった。
わたしは毛糸のセーターを着て、冬の寒さから身を守ろうとしたけれど、厳しい寒さはやさしいセーターなんて簡単に貫いて、わたしのこころの奥深くまでを雪まみれにする。
そんなとき、わたしはこころのなかで雪だるまをつくって、寒さなんてたいしたことはないよ、と考えることにしている。
納屋には近づいてはならないといわれている。
おとうさんやおかあさんは、冬の怪物のことをおじいちゃんの幽霊だと思っているみたいだった。
おじいちゃんはよく、納屋にこもって夜通しなにかを作っていた。
おじいちゃんは発明家だった。といっても、自称、という言葉をおとうさんやおかあさんにはつけられてしまっていたけれど。
自称がつかない発明家とおじいちゃんのことを呼ぶのは、おじいちゃん自身か、それともわたしぐらいなものであった。
作っていたのはへんてこなものばかり。
日記に天気を自動で書き入れてくれる装置。ただしでたらめだ。なつやすみの終わり。絵日記がぜんぜん書けていないことを相談したら、天気だけでもうめておけばいいと作ってくれたのだ。
お墓の風水測定装置。おばあちゃんが死んだとき、縁起のいい場所に埋葬したいといって発明したもの。風水師の人にお願いすればいいような気もするけれど、おじいちゃんは自分の発明で、おばあちゃんにふさわしい場所を見つけたかったみたいだ。
それから永久除雪機関。おじいちゃんは”永久機関”という言葉に強いこだわりをもっていた。長く使われるものにこそ、真に価値があるというようなことを、わたしによく話していた。この永久除雪機関というのは、冬に溜めた雪を、夏に溶かすというような仕組みになっていて、一年がかりの除雪。冬のうちに雪がどけられないなら、たいして役にもたたないのだけれど、おじいちゃんはこの発明品がおきにいりのようだった。
そんなおじいちゃんは冬に死んだ。いつもどおり、納屋でなにかを作っていたのだけれど、雪で扉があかなくなって、とじ込められてしまったあげく、寒さで命をおとしてしまったのだ。
納屋のなかには真っ青になったおじいちゃんと、それから発明品を燃やして火を起こそうとした形跡が残されていた。
冬になるとわたしはおじいちゃんのことを思い出す。そして、入るなといわれている納屋に自然と足が向いてしまう。
庭に降り積もった雪をふみしめて、コップのような足跡をきざみながら、納屋の前まで歩いていく。
ときおり、庭のおおきな木の上や、家の屋根なんかから、はしゃいだ雪がすべりおちてくるけれど、もうなれっこになっているわたしは、そんなことでおどろいたりはしない。
納屋の扉は金属で、氷みたいに冷え切っている。すででさわると、しもやけになってしまいそう。きちんとわたしはてぶくろをしている。ばちん、と静電気をはじけさせながら、わたしはおもい扉を引く。そのあいだ、納屋のなかからはギリギリギリと小動物があばれるような音がしていた。怪物がたてる音だ。わたしはそんな音にけおされることなく、納屋のなかに入っていく。
もってきた懐中電灯でなかを照らす。なにもいない。そして、なにも変わっていない。おじいちゃんが使っていた工具の数々が雑然と、あのときのまま残されている。
雪が吹き込んでこないように、扉をしめる。それに扉をあけっぱなしだと、おとうさんやおかあさんとの約束をやぶってここにきていることがバレてしまう。
すっかり扉をしめ切ると、扉の内側にぶらさがっている人形が目に入る。扉の取っ手の部分に、針金で結びつけられている。ちいさなちいさなお人形。おじいちゃんがわたしに作ってくれた、冬のおともだち人形だ。冬にだけ、命を得るというお人形。
わたしはお人形をそっと持ち上げて、真っ青なお洋服をてぶくろで包みこむと、やさしくやさしくなでてあげた。
すると、お人形はギリギリギリと音を立てるのだ。わたしはじっとお人形の言葉に耳をかたむける。
なんてことはない。このお人形が怪物の正体。静電気で動くちいさなお人形だ。
わたしは冬がくるたびにこのお人形と会話をする。それをおとうさんやおかあさんは、母屋でふと耳にしたりなんかして、勝手に怪物だなんだといって、怖がっているのだ。
けれど、わたしはそれを訂正しようとなんて思わない。
これはきっとおじいちゃんの最高の発明だから。
おじいちゃんは永久機関を完成させていたのだ。わたしもその機関の一部。おとうさんやおかあさんも。冬がくるたびに、わたしたちは怪物を呼び起こす。わたしがおとなになって、こどもができれば、今度はそのこどもが冬の怪物を呼び起こすだろう。
ずっと、ずっと、冬はくるのだ。わたしたちのこころを、ほんのすこしざわつかせて、次にくる春を彩るために。夏の暑さを恋しくさせるために。過ぎ去った秋を懐かしむために。




