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第57話 魔女と月

 都会に出てきたばかりの私は世間知らずの田舎者だった。箒で空を飛び回り、人を驚かせようとしてビル風に煽られて電線に絡まりそうになったり、惚れ薬を飲ませた人が危険薬物の使用で錯乱状態になっていると勘違いされて捕まりそうになったり、思い返すとろくでもないことばかりしていた。

 けれど今は大分成長したように感じる。仕事を見つけてカフェの店員として働き始めて、マスターに色々なことを教わった。叱られたりして辛いこともあったけれど、いい思い出もたくさんある。もう人をカエルに変身させることもないし、眠り薬や痺れ薬を作るなんてこともしなくなった。

 魔法は私の役に立ってくれないということが都会の暮らしでいやというほど分かった。箒で飛ぶよりも車の方がずっと速いし、猫に変身して優雅な散歩を楽しもうものなら保健所に連れていかれそうになる。私が暮らしていた田舎とは文明もルールもまるで違うのだ。いつしか私は魔法を使わなくなった。使わなくたって全然困らなかった。

 都会での生活が続くと、私にも夢ができた。世界では魔法で叶えられないような願いがたくさんあることを知った。私の夢もそのひとつだ。私は月に行ってみたいと思ったのだ。

 月の都市は年々発展しており、今では多くの人が地球から移住して暮らしている。私はお金を貯めて、やっとのことで月に住む権利を獲得することができた。

 カフェのマスターは少し寂しそうにしていたけれど、精一杯祝福して送り出してくれた。私も名残惜しい気持ちになりながらも、背中を押されて旅立ったのだった。


 宇宙船の窓から見えていた地球は遥か遠くの青いビー玉になっている。黄色いボールがどんどん大きく近づいてきて、でこぼことしたその表面を覆う都市が見えてきた。そうしてやっと到着するという時だった。突然警報が鳴り響いて、宇宙船の中にはどよめきが起こった。

 みんな部屋を出て廊下で状況を確認しようと右往左往しているが、乗組員たちが慌ただしくあちこちを駆け回っている以外のことは分からない。呼び止めようとしても彼らはそれどころではないといった様子であった。

 乗客たちが不安そうに顔を見合わせていると船内放送が始まった。廊下にあるスピーカーから船長の声が響く。

「乗客の皆さま。どうか落ち着いて行動して下さい。当船の中で事故があり、脱出艇の一つが故障しました。もう一艘残った脱出艇を使って、念の為半分の乗客を避難させることになりました。案内に従って行動して頂きますようお願い致します。もう半分の方々は当船の船長である私が責任をもって月までお送りすることを約束致しますのでご安心ください」

 続いて脱出艇に乗る乗客が次々に呼び出された。

 事故とは何なのか、宇宙船に残された方は安全なのかという不安で多くの者が顔を青く染めていた。やがてその不安は膨れ上がり、暴動へと発展してしまった。脱出艇に乗れない乗客たちが脱出艇の乗り込み口に殺到し、口々に乗船させるように主張し始めると収拾がつかない事態になった。いつ怪我人が出てもおかしくはない危険な状況だ。

 私は遠くからその騒動を眺めてあたふたしながら、危ない、止めなきゃ、と思ったがどうすることもできなかった。私は混乱の中で自分の荷物をとりあえず手元に置いておこうと考えて、部屋に戻った。箒と大きなリュックサック。リュックの中には今まで作りっぱなしで放置していた薬がいくつか入っている。魔法を使わなくなってからも、どうしても捨てる気にはならなかった物たちだ。それらを見た時、私の中でふと閃くことがあった。

 私は箒にまたがって浮かび上がると、喚き散らす集団の元へ向かった。そして上から眠り薬を撒き散らしたのだった。人々は瞬く間に眠り、すっかり静かになった。ふうと息をついた私に向かって、少し離れた廊下から驚いたような声が掛けられた。

「君は、魔法使いなのかい?」

 きちんとした身なりをした男は箒を指差して言った。胸のバッジと声でそれが船長だと分かった。私は周りで眠りこける人々を見て、自分がとんでもないことをやらかしてしまったような気がして身を縮こまらせた。

 船長はずかずかと歩み寄ってくると、

「彼らを全員脱出艇に乗せることができる魔法はないだろうか」

 と、切羽詰まった表情で尋ねてきた。私は久しぶりに魔法を使ったこともあり、頭の中はパンク寸前だったが、体に染みついた魔法を忘れる訳はなく、すぐにアイデアが浮かんできた。私はつっかえながらも、

「みんなをカエルに変身させれば、できると、思います」

 と、提案した。船長は真剣に私の言葉に耳を傾け、

「ぜひお願いしたい。先程の放送では事故と言ったが、本当の所はエイリアンが船に乗り込んでしまったんだ。船員たちが何人も犠牲になっていて、とても太刀打ちできそうにない。情けない話だが、もう一刻の猶予もないんだ」

 船長は申し訳なさそうに言い、船内放送での屹然とした話しぶりとは打って変わって弱気な心情を吐露した。

 私たちは協力することになり、起きている乗客たちを全て眠らせて大人しくさせると、次々にカエルに変身させた。潰れないように一匹ずつ箱にいれて、箱がなくなれば脱出艇の床にマットを敷いて綺麗に並べた。最後には乗組員たちもカエルにすると、なんとか無事に全員が脱出艇に乗ることに成功した。人間として残ったのは操縦をする船長と私だけだ。

 私が後ろで見守る中で、船長が脱出艇を発進させる準備に取り掛かった。けれど順調だったのはここまでで、船内を徘徊していたエイリアンが遂にこの場所を嗅ぎつけてしまったのだった。

 猛烈な勢いで走ってくるエイリアンに気がついて、船長が隔壁を閉じようと操作したが、間に合いそうになかった。私は咄嗟に箒に乗って空中を矢のように一直線に飛ぶと、エイリアンに思いっきり体当たりした。エイリアンと私はもんどりうって廊下の奥の壁にぶつかった。エイリアンは衝撃で一瞬動きを止めたが、すぐに動き出して私を睨みつけた。

 後ろから船長の叫ぶような呼び声が響く。振り返ると隔壁が今まさに閉じようとしていた。私は箒にしがみついて、狭まっていく隙間に向かって全速力で引き返したが、ほんの少し間に合いそうになかった。背後からはエイリアンが唸り声をあげながら迫ってきている。もう隔壁の隙間は私の体よりも細くなってしまっている。このままでは激突するが止まることもできなかった。頭の中が真っ白になり、固く目をつぶると隔壁が閉じる轟音が鳴り響いた。

 もうだめだと思ったが、恐る恐る目を開けると私は体はなぜか小さな隙間を潜り抜けていた。無意識のうちに魔法を使っていたのだ。私の体は子猫に変身していた。

 船長が慌てて駆け寄ってきて、猫の私を拾い上げると脱出艇に飛び乗る。そして船は無事に出発して、私たちはほっと胸をなで下ろした。

 船長は緊張が解けたように体を椅子に投げ出して、膝の上に乗る私に優し気な眼差しを向けた。

「本当にありがとう。君のおかげで乗客全員を助ける事ができた。魔法というのは素晴らしいものだね」

 私は恥ずかしくなって体を丸めた。船長の感謝の言葉にではなく、今まで自分の為にばかり魔法を使って、役立たずだなんで思っていた自分が恥ずかしかったのだ。それでもやっぱり誇らしい気分にもなって、私はニャーと照れ隠しの泣き声を上げると、近づいてくる月をみつめて胸を高鳴らせたのだった。

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