第552話 魂の言語
魂に言語があるなら、それは何語だと思いますか。
日本人の霊魂なら日本語、アメリカ人の霊魂なら英語でしゃべるのでしょうか。
霊の世界になっても言葉の壁があるなんて悲しいことですが、もしそうなら、それはなにによって決まるのでしょう。
生前に話していた言葉?
それとも、魂に刻まれている言葉?
赤ちゃんの霊が流暢な言葉をしゃべったという怪談を聞いたことがあります。なら後者なのかもしれません。私は後者だと思っています。魂に備えられた言語があるものだと。つまり、日本人の魂なら、日本語でしゃべる。アメリカ人の魂なら英語でしゃべる。
私がそう考えるのは、いま挙げた赤ちゃんの霊の話以外にも根拠があるのです。
これは、私が体験したお話です。
祖母が死んで、祖母の遺品を整理をしていると、古い人形が出てきました。
日本人形です。
ちょこんとしたかわいらしい人形で、保存状態もよかったので、処分するのも忍びなく、かといって、私はそういった置物を雑に扱ってしまう性格なので、私の家に置いておくのも、すぐに痛ませてしまいそうで躊躇われました。
母はこういった物を大事にできる人だったので、生きていれば預けたいところでしたが、それも叶いません。なので思いついたのは、友人の子供にプレゼントしようということでした。
友人は喜んで受け取ってくれました。
私は、子供と遊べた方が人形も嬉しいだろうと思って、もらってくれた友人に感謝しました。
それからです。
友人と食事をする機会がありました。食事を楽しみながら会話がはずみ、人形のその後についての話題になりました。
友人の子供は人形と会話して遊んでいるそうなのです。
そのときは子供らしい遊びだとしか思いませんでした。友人も同じように思っているふうな話しぶりでした。その子は幼いながらに英語教室に通っていて、日本人形相手にも英語。それを聞いた私はアンバランスさに笑ってしまいました。
英語がしゃべれない私は、友人の子供にひとしきり関心しました。
そうして、世間話をして、私たちは別れました。
季節が変わりました。
しばらくぶりに友人と会いました。
子供は相変わらず人形相手に会話して遊んでいるそう。
けれど、すこし妙なことがあると友人は言うのです。
英語教室の先生から指摘されたそうなんですが、その子の英語の発音にアメリカのとある地方のなまりが混ざっているというのです。日本語で言うと関西弁とか、東北弁に該当するものです。当然ながら英語教室の先生はなまりのない標準語の英語を教えています。
友人は先生から、子供がなまりのある地方出身のアメリカの方と話しているのではないか、と聞かれ、心当たりがないものだから非常に困ったということでした。
それで、よくよく考えたとき。もしかしたら、と友人は思い当たったのです。
子供が英語教室以外で英語をしゃべるのは、日本人形相手だけです。
友人は子供から日本人形を取り上げることにしました。すると、その子は火がついたように泣きじゃくって、たいへんな騒ぎよう。子供からおもちゃを取り上げるのですから、当たり前の反応とも思えるのですが、友人は子供の態度になんだか異様な雰囲気を感じたそうです。
友人はその人形を持参していました。
目の前に突き出されて、返す、と言われました。
私には拒否できません。
人形は私の手元に戻ってきました。
それからすこし時間が経って、友人から、子供の英語のなまりが消えたと聞きました。やはり、人形のせいだったに違いないと。
日本人形が英語をしゃべったのだろうか、と私は不思議に人形を眺めました。
人形には魂が宿るとは言いますが、どこの誰の魂なのか。
祖母は戦前生まれの人です。
戦後でアメリカの方と交流があってもおかしくはありません。
そのなかの誰かでしょうか。
誰かさんの魂の怒りを買わないようにと、衣装の崩れを直したり、人形の髪を梳かしたりして調べていると、その髪が人毛であると気がつきました。
日本人形に人毛を使うのは珍しいことではありません。
――この髪の毛の持ち主の魂が宿ってるんだ。
と、私は思いました。
けれどそれだけではなにもわかりません。DNA鑑定でも依頼すればいいのでしょうか。
そうやって悩んでいると、来客があったんです。
母の知り合いです。
家族ぐるみの付き合いで、昔からよくしてくれるおじさんです。
その人もアメリカ人でした。日本暮らしが長いので、日本語はペラペラです。
私はふと思いついて、おじさんの出身をたずねてみました。
すると、例のなまりのある地方と一致していたのです。
もしかしたら、と私は日本人形を持ってきて、おじさんに見せました。
私がなにか説明する前に、おじさんはひどく驚いた顔をしました。
「懐かしい」
と、言うのです。
「知ってるんですか?」
私は聞きます。
「これは君の人形だよ」
「私の?」
「そう。君が子供の頃に髪を切って、作ってもらった人形だ」
言われてみると、人形の顔は私に似ているような気もします。
すっかり言葉少なになった私に、おじさんは母の思い出話をしてくれました。
感慨深そうにするおじさんが帰ったあと、私はひとり座って、人形と見つめ合いました。
魂の言語というのはあるのでしょうか。
それは血を通して伝わるのでしょうか。
私の父は日本人でした。そのはずです。
昔から、どことなく異国風の顔だと言われることはありました。
からかわれたりもしましたが、あまり気にしてはいませんでした。
そんなこと、いままで考えたこともなかったのです。




