表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
井ぴエの毎日ショートショート  作者: 井ぴエetc


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

503/1204

第503話 天国を失った動物

《天国へ行く方法》


1.ヒトに飼われないこと

2.ヒトに育てられないこと

3.ヒトに殺されないこと


 イヌは静かに涙した。

 ああ、なぜぼくは、いやいや、ぼくだけではない、イヌという種族は、こんな運命をたどってしまったのだろうか。

 ぼくらは天国を失くしてしまった。

 せいいっぱい生きて、せいいっぱい死ぬ。たったそれだけで、あとはストンと落ちていくだけだったはずの場所は、濡れた鼻先のひとしずくですら届かない場所になってしまった。

 しかし、ぼくはヒトから離れて生きていくすべを持たない。おのれの残酷な運命のレールの行く末を知ってなお、トロッコから飛び降りることもなく、ただマテとオスワリを続けるおろかものでしかないのだ。


 ぼくに天国へ行く方法を教えてくれたのはノライヌじいさんだった。

 ノライヌじいさんは言った。

「わしゃあもうすぐおっぬが、そのまえに若いもんに教えてやらにゃあ気がすまんでな」

「はあ。なんでしょう」

 ぼくはノライヌじいさんの毛の一本一本のうすぎたなさに気を取られながら、耳をピンとそそり立てた。

「おまえさんは天国っちゅうもんを知っとるかい」

「ええ。死んだらぼくらのたましいが行くところでしょ」

 ノライヌじいさんはヘッヘッとわらって舌をたれさげた。

「ほうほう。まあそんなとこだ。だがなあ、ヒトにはヒトの天国、イヌにはイヌの天国があって、それらはまったく別の場所なんじゃよ」

「そうなんですか」

 ぼくはだからなんだと思っただけで、この話の重要性をこのときはぜんぜん理解していなかった。

「おまえさん。ヒトに飼われておるじゃろう」

 ぼくはうなずく。

「イヌの天国に行くにはおやくそくがあるんじゃよ。まずひとつ。ヒトに飼われないこと。ふたつ。ヒトに育てられないこと。みっつ。ヒトに殺されないこと」

 くだらない、と思ったけれどくちには出さずに、ぼくはただただしっぽをとんがらせただけだった。けれど、ノライヌじいさんはぼくのしっぽの具合から、ぼくの機嫌を読み取ったらしく、こびるみたいな視線を向けて鼻先をさげた。

「かわいそうにのう。ほんとうにかわいそうじゃ」

「あなたにあわれがられるいわれはありませんよ」

 プイとそっぽを向いてやる。けれど悪魔がささやくみたいな声はとまってはくれなかった。

「さっき言ったおやくそくをやぶると、イヌの天国じゃあなく、ヒトの天国に連れていかれるんじゃよ。そりゃあもうイヌにとってはえがたいような場所じゃ。あらゆるものがヒトのためにある場所。イヌのためのくさはらも、あなぐらも、水浴びできる泉だってありゃしない」

「でもヒトの天国に行けば、そこでもご主人と一緒にいられるわけでしょう」

 ぼくが言うとノライヌじいさんはガッハッハとおおわらいしはじめた。そのわらいにこもった侮蔑ぶべつの色は、ぼくが思わず牙をむいて遠吠とおぼえをあげそうになるほどだった。

「ご主人、ご主人か」

「なにがそんなにおかしいんです」

「なんにも知らないおチビちゃん」

 ノライヌじいさんはうたうように言葉をつむいだ。

「ヒトの天国。ヒトのたましい。イヌのたましいひきつれて。天国でだってイヌを飼う。そうして自分をなぐさめて、イヌをなぐさめたりはしない。イヌにゃあ地獄じゃ。イヌにゃあ地獄じゃ」

「帰ってください!」

 ぼくはえたてた。するどい威嚇いかくにノライヌじいさんはキャンと鳴いてとびのいたものの、すぐにニタニタとくちもとをゆるめて、

「わしゃあ勝ったぞ。天国に行くぞ」

 と、くりかえしながら去って行った。


 次の日。ノライヌじいさんはトラックにひかれて死んでしまった。ヒトに殺されたのだ。

 ノライヌじいさんはすこしお節介すぎるところがあったけれど、わるいイヌではなかった。きっと地獄ではなく天国に行くだろう。じいさんの言う通りならヒトの天国へ。

 ヒトに飼われているぼくならまだしも、ヒトに飼われていなかったノライヌじいさんにとって、ヒトの天国に行くのはとっても苦しいことだろうと思った。

 ぼくはなにもノライヌじいさんが言っていたことを鵜呑うのみにしたというわけではない。けれど、じいさんの死にさいして、どうしても天国というもののことを考えずにはいられなかった。

 おサンポのたびにおサンポ仲間のイヌたちに天国のことを聞いてまわった。すると、ノライヌじいさんが話していたようなうわさを幾度いくどとなく耳にすることになった。

 本当に、ヒトの天国、イヌの天国、それぞれの天国があるのだろうか。

 いや、あるに違いない。

 ぼくはそんな風に考えるようになっていた。

 ぼくはもうヒトに飼われている。生まれたときから飼われている。そしてヒトに育てられた。もしまだ間に合うとしても、ヒトの手から離れて暮らすなんて考えられない。もしできたとしても、ノライヌの運命など、じいさんと同じく車にひかれて死んでしまうか、炭酸ガスでの殺処分が関の山。運が良ければ引き取り手などが見つかって、ヒトに飼われ、育てられる立場に逆戻り。

 イヌの天国に行くことなどできないのだ。

 ぼくは沈みがちになってしまって、ご主人などはたいへん心配してくれた。ありがたいが、そうして大好物のリンゴなんぞを薄くスライスしたものをもらったりするたびに、イヌの天国が遠のいていく足跡が聞こえるようであった。

 近所のおサンポ仲間たちもすこし様子が変わっていった。ぼくがひどく気にしていたからだろう。不安が伝染し、ナイーブな気分になってしまったようだった。ぼくらは集まり、しりの匂いを嗅ぎあったり、鼻先の濡れ具合をたしかめあったりしながら、どうしたものかと頭をひねった。

 そうして知恵を出しあった末に、ひとつの結論にたどりついたのだった。


「ねえ。おかあさん」

 ヒトのこどもが居間のソファを指差した。テレビには高原が映し出され、のんびりとした田舎暮らしをリポーターが紹介している。

「あれ見てよ」

 ヒトのおかあさんが目を向けると、そこには片ひじをついてソファに横たわり、ぼんやりとテレビを見ているイヌ。

「休みの日のおとうさんみたいね」おかあさんが言うと、

「人間みたい」と、こどもがわらう。

「きっとあの子、自分を人間だとかんちがいしてるんじゃない」

「そうかも」

 そんな会話はあらゆる家庭でおこなわれていた。

 まるでヒトのような態度をとるイヌ。ヒトと同じものを食べたがり、ヒトのこどもを自分のきょうだいのようにあつかい、果てはガウガウガウと鳴き声で、ヒトの言葉をマネしたりもする。

 イヌのヒト化は確実に広がっていた。

 イヌはヒトになろうとしていた。もはやヒトの天国に行くことはさけられない事態。そこがイヌにとっての地獄なら、おのれがイヌでなくなればいい。おのれがヒトになればいい。ヒトの天国は、ヒトになったイヌにとっては、天国にちがいないのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ