第493話 移動への熱意
おれは寝台列車に乗って空港へと向かっていた。
朝。車窓から見える外の風景は、緑の野がしばらく流れ、その後、暗い木陰に入り込んで、真っ暗なトンネルへと変わった。
おれは食堂車にいって軽い朝食をとる。この列車で知り合った何人かが起きだしてきたので、同じテーブルに誘ってなごやかな会話を楽しんだ。
そうしているうちにも、列車はトンネルを抜け、こまやかな光が粒となって車窓から飛び込んできた。おれたちは示し合わせたように同じ動きで外へと視線を向ける。広大な湖。鏡のような水面が朝の陽射しを浴びて痛いぐらいの美しさで輝いている。雄大な樹々に縁取られた水場は色鮮やかな鳥たちが羽を休める憩いの場だ。
目を細めてすこしずつ咀嚼するように湖を眺め、風景をじっくりと味わうと、おれたちはまた朝のなにげない会話に興じた。
朝食を食べ終わったおれは、他の者にあいさつをして部屋に戻る。
少々手狭なベッドに腰かけて、本を読んでいると駅に到着した。
数日に渡る列車での旅の終わりは少々、名残惜しくもあったが、空港にて新たな旅へと思いをはせると、沈みかけた気分はすぐに浮かんでくる。
荷物を預けて、飛行機に搭乗。予約していた席へ。
飛行機はすぐに出発し、滑走路を進んで空へ向かって飛び上がった。
気圧の変化で一瞬、耳鳴りがしたが、すぐにおさまる。ぐんぐんと離れていく地上はモザイク画のようにばらばらになって、精緻なイコンの如き煌めきに収束すると、薄い雲の海に呑み込まれていった。
雲海がどこまでも続いている。
遠く遠くの雲が何度も瞬いて、雷雨の予感を雲の上にまで届かせていた。
霞のように飛行機にまとわりついては離れていく雲を飽きることなく眺めていると、沈む太陽が遠くから雲をじりじりと焦がしていく。そうすると、自然と眠気がやってきた。
客室乗務員が夕食を勧めてきたが、飲み物だけを貰うことにした。珍しい酒があったので、それを注文する。なかなかいい風味。雲を肴に杯が進む。そうするとやっぱり腹が減ってきて結局、夕食をお願いすることにした。
機内食は、鶏肉をソテーして濃厚なソースを絡めたものとサラダ。おれは舌鼓を打ちながら胃におさめて二杯目の酒を注文した。
すっかり酔いが回りはじめると、気持ちのいい気分で夢に落ちる。
目が覚めると目的地に到着する直前だった。降機する準備をしていると、ちいさな揺れと共に飛行機は滑走路に着地して、ゆるやかに停止した。
人の流れがおさまるのを待ってから、おれも飛行機を降りる。外は突き刺さるような冷たい空気で、雪でも降りそうな空模様であったが、雲間から覗く太陽の光は温かく、それほど寒さは感じなかった。
預けていた荷物を受け取って、空港を出ると港へ。
おれが乗り込んだ船は、彩を帯びた海を滑るように進んでいく。
潮の香りが肺いっぱいに満ちていく。サンゴ礁を通り過ぎると、イルカの群れが現れた。ひとなつっこく寄ってきて、キュイキュイと鳴きながら大ジャンプを披露してくれた。おれは拍手喝采を送り、持参していたカメラのシャッターを切った。
そんなイルカたちと別れ、到着したのは無人島。
おれが大枚をはたいて購入した島だ。
浜に用意されていた車に乗って、ジャングルに分け入っていく。そのうち車が通れないぐらいに生い茂った樹々に阻まれたので、車を降りて徒歩に切り替えた。
麗しい花々の薫り、名も知らぬ鳥たちの歌。心地良い木漏れ日を浴びながら森を抜けると丘に到着した。
横にナイフを通されたケーキの断面のように平らな丘。おれは用意していた機材でありとあらゆる測定を行う。写真と映像で記録をして、抜かりなくこの地の状態を確認した。
日が暮れるまえに浜に戻る。おれを待っている間、船の船員は釣りをしていたようで、帰りがけの船上では新鮮な魚料理が振舞われた。脂の乗った魚を食い、おれは旅の疲れも忘れて船員と盃を交わした。
港で一泊して、次の日。ほのかに頭が痛い。飲みすぎたかもしれない。
顔を洗って身だしなみを整えると、かなりマシな気分にはなった。
これからまたおれは飛行機に乗り、寝台列車に揺られ、自宅に戻ることになる。
自宅に戻ると、おれはかねてからの計画を一気に進めることにした。
あの無人島の丘に施設を建設するのだ。
それも一部の隙もない施設でなければならない。
おれは各業者に連絡をして、必要な手続きを終えると、さっそく仕事にとりかからせた。
細心の注意が必要なので、作業中、おれは何度も現地を視察に訪れた。寝台列車から飛行機、そして船を経由する。帰りは逆の手順だ。
土台が作られ、床、壁、屋根が取り付けられる。水や電気も利用できるようにソーラーパネルや浄水器が用意される。都市から離れた無人島なので資材の運び込みにとにかく時間がかかった。その分、費用もかさんでいく。
数年をかけて生活空間は概ね完成。しかし重要なのは一室だけだ。その一室は完璧で完全に作られていなければならない。
その部屋はわずかな傾きも許されない。
清浄でなければならず、虫一匹入り込んではならない。
ゴミひとつとしてあってはならない。
雨漏りなどもってのほか、風が吹き込んでもならない。
そんな場所がおれには必要だったのだ。
ついにできあがったとの知らせを受けて、おれは現地に赴いた。すみずみまで確認して、できに満足すると、早々に自宅へと戻る。
さて、これからが本番だ。
ようやく試す時がきたのだ。
おれは超能力者。
瞬間移動という、ある場所から別の場所へと一瞬で移動する能力が使える。いわゆるテレポートだ。
能力を発揮したことはいままでに一度もないのだが、自分に超常の能力が備わっていることは確固たる事実であり、その使い方も十二分に理解していた。生まれ持っての超能力者とはそういうものなのだ。
瞬間移動を行うには準備が必要だ。移動先に物体があってはならない。壁のなかに瞬間移動でもしようものなら、おれの体は壁と融合したあげく、押しつぶされて死んでしまう。
だからありとあらゆる危険を排除した清浄な部屋を用意したのだ。
自宅のリビングの真ん中に立ったおれは精神を集中しはじめた。
移動先の風景を思い浮かべる。
無人島に建てられた施設。その一室。
あの清浄な部屋。
なにもない空間。
やがて集中力が極限に達すると、おれは見事、瞬間移動を成功させた。
まぶたを開くと、おれは確かに遠い地にあるはずの清浄な部屋のなかにいた。
深く息を吸って、吐く。体の状態を確かめるが、異常はない。
台所にいって水で喉を潤す。
かなりの疲労感。数日に一回ぐらいが限度かもしれない。
しかし、いままであれだけ時間と労力をかけてここまできていたのが嘘のようだ。
寝台列車、飛行機、船。
これまでの旅が次々に脳裏に去来する。
もうあれらが必要なくなるのだ。
おれは窓の外を眺めて、ふう、と息をはくと、ぽつりとひとりごちた。
「普通に移動する方が楽しくていいな」




