第473話 ある宇宙人
その宇宙人はふらりと地球に立ち寄った。宇宙船の燃料が切れて、その材料となるものが必要だった。というのが、おれの想像。けれど事実もさほど変わらないのではないかと思っている。
おれは牧場主。ウシやヒツジなんぞを飼育している。あとは数匹の牧羊犬。牧舎の外には予備の干し草が山ほど積んであって、ときおり山にすむ野生のヤギが下りてきて勝手に食うが、好きにさせていた。被害というほどでもないし、見かけても知らんぷりして気にしない。むしろおれの干し草で、山の自然の一部が維持されるのなら、それで上等だとすら考えていた。
ある日、そいつはやってきた。ふと外に積んである牧草に目を向けると、見慣れない動物がいるではないか。ヤギのようでもあるが、顔つきが違う。おれはここにくるヤギ全員の顔を覚えている。動物がきちんと見分けられなければ牧場経営などできないのだ。
ヤギのようでヤギじゃないそいつは干し草を口にくわえると、食うでもなく山の裾野に広がる森の方へと運んでいった。おれはなんだか気にかかり、そいつのあとをこっそりとついていった。
宝石のような木漏れ日が落ちる森の奥。ギラギラと鈍色に輝く宇宙船があった。
皿を二枚合わせたような形。継ぎ目は一切見当たらない、なめらかな表面。陽の光を浴びると虹色につやめく。大きさはおれの牧舎よりひと回りちいさいぐらい。そんな宇宙船が、まばらな梢に囲まれた原っぱに腰を下ろしている。
おれはそのヤギに似た生き物が、宇宙人だということを確信した。
宇宙人が近づくと、宇宙船の側面に亀裂が走り、細く開いた隙間から、スプーンみたいな突起が突き出された。その上に干し草が置かれると、出てきた時の動作を逆再生したような具合で宇宙船に取り込まれる。
エンジンが稼働するような、かすかなうなり。宇宙人は音が鳴っているあいだ、ふさふさしたラッパ型の耳をくるりと回していたが、音が止むとヤギそっくりの角をかかげて、体の正面を宇宙船に向けた。
先程よりも幅の広い亀裂が宇宙船に走る。隙間からまばゆい光。消毒液っぽい匂いがぷんと香ってくる。タラップが下りてきて、宇宙人は蹄でそれをのぼっていった。姿が完全に宇宙船内の光に呑み込まれると、タラップは回収され、つなぎ目も残さず隙間は消える。
しばらく待っていたが、それ以上動きはなかった。
おれは夢のなかにいる気持ちになりながら牧場に戻り、普段通りにウシやヒツジの世話をして、夜になると眠った。
窓から見える星空が妙に気になって、流れ星が落ちるたび、その音で目を覚ました。
そうして朝になった。
その日も宇宙人はやってきた。他のヤギに混じって干し草をくわえている。おれが視線を向けても野生のヤギは干し草を食うのに没頭しているが、宇宙人だけはかすかに身じろぎした気がした。ヤギのふりをしているのか、それとも元からそういう姿なのかは分からないが、カールして筋張った角といい、ふっさりとしたあごひげといい、どろんとした瞳といい、見れば見るほどヤギに似ている。ヤギを見慣れているおれみたいな者でなければ、ささいな違和感も覚えないだろう。牧羊犬すらなにも反応しないので、擬態だとすればたいしたものだ。
おれが背中を向けると、それを待っていたように宇宙人は干し草をくわえて、離れていった。森に消える背中を横目で確認して、おれは仕事に戻った。
次の日も、また次の日も、毎日、宇宙人はやってきた。ほんのすこしの干し草をかすめとっては、森の宇宙船に運んでいく。ときおり様子を見にいくと、宇宙船はすこしずつ形を変えていた。平たかった形が、上下に引き伸ばされたように球形に近づいている。鈍色だった表面は銀色になりつつあった。おれは、きっとエネルギーが補給されているのだな、と思った。
宇宙船はまん丸を越えて、上に伸ばされた卵型になっていった。
おれはなんとなくだが、別れが近いことを感じ取っていた。言葉を交わすわけでもなく、ただ顔を合わせるだけの関係。それでもおれはなんだか宇宙人に一方的な愛着のようなものを感じてしまっていた。
明後日か、明日か、それとも今日が別れの日かもしれない。
そう思ったおれは落ち着かない気分になり、気づけばつい声をかけてしまっていた。
「よう」
宇宙人と二頭の野ヤギ。宇宙人は自分が話しかけられたのだとは思ってもいないらしく、野ヤギの陰に隠れるようにして、干し草に鼻先をうずめている。
「毎日ごくろうさん」
われながら宇宙人とのファーストコンタクトにしては冴えないあいさつ。
宇宙人はおれの顔を見上げた。視線をたどって、それが自分にぴたりと合っていることを知ると、驚いたように首をすくめた。
めええ、と弱々しい鳴き声。まるで自分はただのヤギですと主張して、場を取り繕おうとするかのような。
おれの心に罪悪感がどっと押し寄せた。触れてはならぬものに触れてしまった感覚。宇宙人が逃げ腰になって尻尾を垂れ下げる。じりじりと後退し、くるりと踵を返すと、一気に駆け出した。
とっ、とっ、とっ、と小気味いい蹄の音が遠のいていく。
後悔だけが残った。それは鍋底の焦げ跡みたいにこびりついて、ちりちりとおれを苛んだ。
それ以来、宇宙人は牧場にこなくなった。宇宙人が持っていく分、すこしだけ高く積み上げていた干し草は、強い風に吹かれて、だらしなく崩れ落ちた。
森の奥を訪れてみる。
宇宙船はまだそこにあった。卵型からさらに引き伸ばされて、ロケットみたいな形になろうとしているらしかった。宇宙人の姿は見えなかったが、見にいくたびに変形は進んでいた。森の反対側には別の牧場がある。もしかしたら、そこで干し草をもらっているのかもしれなかった。
ある夜。空が妙に明るく輝いて、おれの目を覚まさせた。窓のそばに立って、満天の星がちりばめられた夜空を眺める。
流れ星。ひときわ強い光を放つその星を視線で追う。なんとも雄大で、神秘的な光景だった。
光の尾が短くなり、一点の光になって完全に見えなくなると、おれはベッドに戻って眠りについた。
朝一番に森へ行く。
宇宙船はなくなっていた。
おれはまっさらな野原に腰かけて、空を見上げた。突き抜けるような青空。爽やかな風が吹いて、頬をヒラリとくすぐっては、いたずらっぽく梢を揺らした。おれの深い溜息も風に乗って、空へと打ち上げられていった。




