第459話 桃太郎のその後
「よう。桃太郎」
イヌが厭らしい顔で舌をべろべろ垂れ下げながら、縁側から顔を覗かせた。おれは腐った畳に寝っ転がって、言葉を忘れてしまったように、ただただ溜息を漏らすばかり。
「ちぇっ。陰気臭い奴だなあ」
言い捨てて、「ほらよ」と、ヨモギ色のきびだんごを置くと、イヌは帰っていった。はあ。肺がふいごになったみたいだ。だんごの匂いに腹がぐうと鳴った。縁側まで這っていくと、イヌと同じ格好で貪る。そうしてできるだけ惨めったらしくしていると、贖罪の念に襲われずに済む。
庭の樹の枝にとまったキジが、けーん、けけーん、と笑った。そんな嘲笑も気にはならない。おれにはこれがお似合いなのだから。
鬼を退治し、財宝を持ち帰った。そしておれたちは英雄になった。
あの日のことを、いつだって思い出し続けている。
赤、青、黄色を見るたびに、赤鬼、青鬼、黄鬼が死にゆく寸前の苦悶の表情が脳裏に蘇る。
サルが赤鬼の首をへし折った。キジが青鬼の目玉をくりぬいた。イヌが黄鬼の四肢を噛み千切った。おれはと言えば、血だまりのなかにいた。子分鬼の軍勢を切り伏せ、その返り血で全身を染め、血が渇いて冷え切ると、体の内、心の中まで凍えてきて、凄惨な光景にただただ虚脱してしまった。
おれはなぜ、こんなむごいことをしているのか。
鬼たちは村からありとあらゆる財宝を奪った。それらを鬼ヶ島に持ち帰り、私腹を肥やした。おれたちにとって奴らが悪であるのは間違いない。奴らが悪事の報いを受けたと言われれば確かにそうだろう。しかし、しかし、おれはこんな風に手を下したくなかった、と言えば、おれを育ててくれたおじいさん、おばあさん、それに村の者たちは怒るだろうか。
おれの逡巡などお構いなしに、鬼たちは死んだ。避けられない死の運命に呑み込まれた。サル、キジ、イヌが手際よく財宝を荷車に積み込んで船へと運んでいく。
「どうしたんだ。ほれ、勝利の美酒ってやつだ」
サルが酒をおれに渡した。鬼たちから奪った酒だ。おれは口をつける気にはならず、赤青黄鬼の遺体にそれをかけると、せめて迷わず地獄に行けよと、手を合わせた。三匹の畜生どもはおれに怪訝な眼差しを向けただけだった。
村に帰ると鬼の横暴から解放されたこと、財宝が手に入ったことで村は大盛りあがりだった。持ち帰った財宝は奪われた量の比にならない宝の山。余剰が過ぎる。しかし、返すあてはなく、貰わぬ手はないと、全て村の財産になった。
おれは祭り上げられ、村の外れに建てられた豪邸に押し込められた。サルキジイヌの畜生ですら御大名様扱い。サルは村の若い女衆を侍らせ、きびだんごを作らせては腹いっぱい食い、キジは猟師を排除し、イヌは人間に芸を仕込んでは、それを見てはおもしろおかしく過ごしていた。
おじいさん、おばあさん、も、おれを拾って育てたとして、村では特別な地位についた。ふたりはおれとは別の豪邸に住み、顔を合わせる機会はなくなり、どうしているものか、元気なのかも分からない。
おれは日がな一日豪邸でごろごろとして過ごした。時折やって来る村人が勝手に家の前で拝んでは帰っていった。
無気力。なにもやる気にならない。
あの鬼たちは本当に退治されてしかるべき存在だったのだろうか。そんなことばかり考える。おれはたくさんの命を奪った。奴らが奪ったのは財宝だけで、命ではなかった。これは釣り合いが取れていると言えるのだろうか。
鬼を斬る感触が、何度もフラッシュバックした。気分が悪い。日に何度も吐き戻し、おれは見る間にやつれていった。
「へーい。桃太郎」
サルがやってきた。女たちを侍らせてご機嫌な態度。宝石を全身に纏って、ずいぶん成金じみている。
「みんな聞いてくれよ」と、大仰な身振り手振りで、きい、きい、と甲高い声。
「この桃太郎が雑魚どもをばったばったと斬っている間に、この僕が屍の山を乗り越えて、敵の総大将、赤鬼の背中に組み付いて、ぼきり、と縊ってやったのさ」
あら、とか、まあ、とか、歓声とも悲鳴とも判別できない声が上がる。きっと鳴らしている本人たちにも分かっていやしないだろう。そうして身を鳴り物にしていれば、サルが金をばらまいて、飯にありつけるというだけだ。
あらかた自慢話を終えると、サルは帰っていった。話のだしに使われるのは大いに不快であったが、いまはもうそれを止めたり言い返したりする気力がない。ただやりたいようにやらせておくのが、おれにとって一番いいのだ。
おれはだれにも会いたくなくなって、二階の物置に引きこもった。ふと窓の外に目をやる。豪邸は丘の上にあり、物置の窓からは村全体が見渡せた。
久しぶりに見る村は、見まごうほどに発展していた。
太い道が縦横に走り、大都会と言っていい。たくさんの商人たちが行き交って、そこかしこで商品の取引がなされていた。
眺めていると、ほんのきまぐれ心が湧きあがり、気分転換にすこし外に出てみることにした。
丘を下りる。わざと粗末な服を着てきたので、だれもおれには気がつかない。それでなくても心労でかなり見た目が変わったから、たとえ戦装束を纏っていたとして、あの桃太郎だと思う者はいないに違いない。
鬼に痛めつけられていた時にはしょぼくれていた村人も、ぎらぎらとした目つきになって、商売繁盛に没頭しているようだった。ぶらぶらと歩いているだけでも、かなり阿漕なやり取りが耳に入ってきた。商売上手、というより、これでは商売の鬼だ。
どうやら莫大な財宝が村人の心を変えたようだった。ぴかぴかの店構え。いかにも金持ち御用達といった面だ。サルキジイヌもそれぞれ大店の店主におさまって、金を儲けているらしかった。
気分が悪くなってきて、店と店で挟まれた細い脇道の日陰に入って、壁に寄りかかって休んだ。
そうしてぼんやりとしていると、背中の壁ががたがたと動く。振り返ると戸板だった。
「これは失礼した」
詫びを入れて体をどけると、戸板が開いて、子供がひょっこり顔を出した。おれはその子の頭を見て、腰を抜かしそうになった。
角だ。
鬼。
「こちらこそ……。ご休憩中のところお邪魔してしまいまして、大変申し訳ございませんでした……」
鬼の子供は平身低頭、地面に頭でも付けそうな勢いだったので、おれはそれを押しとどめて、
「こちらが悪かったのだ。店の壁を貸して頂き感謝している」
と、できるだけ穏便な声を出した。それでも子供がまだ謝ろうとしたので、おれは足早にその場を離れる。
おれはショックだった。大地を確かに踏み締めているのに、泥沼の上を歩いているようだった。
おれはあちこちでそれとなく聞き込みを行った。
話によると、鬼ヶ島には生き残りがいたらしい。大人の鬼は全て殺されたが、子供たちは隠れていた。けれど子供だけでどう生きれるというのか。鬼ヶ島から出てきては、商売で発展しているこの村で日銭を稼いで暮らしているのだという。
けれど、この村はかつて鬼に襲われた場所。鬼に対しての当たりは強い。過去を理由にタダ同然の薄給と、酷い扱いを受けているということだった。
おれはそれ以来、浪人風の小汚い着流し姿で丘を下りては、小鬼にささやかな飯を持っていった。自分でも愚かしいと思う罪滅ぼし。子供は戸惑った様子であったが、腹が減るのはどうしようもない、おれからの施しを受け入れた。聞けば幼いきょうだいがいるらしく、自分が働いて養わなければならないということだった。おれが多めに飯を持っていくと、ありがとうありがとう、と小鬼の目に涙が溢れた。
その涙に充足感を得る己に、おれは吐き気がしそうであった。
ちらちらと雪が降る、とりわけ寒い日であった。冷え込むと、鬼の血で凍えたあの時のことを思い出す。肩に降り積もる雪が血に見えてきて、神経質な心が自動的に腕を動かし、すこしでも白が濃くなるたびに何度も何度も払い落とした。
おれは店の裏口の戸板の傍に寄りかかって小鬼を待った。
小鬼はいつも決まった時間に店の用事で外に出る。
がらり、と戸板が開いて、いつも通りピンと伸びた角が見えた。おれは懐から飯の包みを出して、小鬼に渡そうとしたが、それを店の者が見咎めた。
「ご浪人さん、なにをするんです!」
角のように尖った目、尖った口、尖った声。
店の者はすこし前からおれの行為に気がついていたらしかった。
「あんたがそんなことをするからこの鬼がつけあがるんですよ!」
言って店の者は小鬼を殴った。殴られた小鬼は力なく雪に覆われた冷たい地面に倒れる。
店の者の言う所によると、小鬼は店の商品をくすねていたらしい。身一つで幼いきょうだいたちを養うには、この店の薄給では無理があったのだろう、と、おれは想像したが、店の者にとっては小鬼の悪事こそが全てであるらしかった。
「食わしちゃいけないんですよ。まともに成長したら人間なんてかなわない馬鹿力に成長するんですからね。こいつを飢えさせるのは、この村の者としての義務ってもんです」
小鬼の痩せた体に蹴りが入れられた。
鬼も地獄であれば閻魔に雇われ生きられようが、この世界ではどうにもうまくいかないようになっているらしい。
おれは腰に提げた刀を抜いた。倒れる小鬼がおれを見上げた。店の者は「やるってんならどうぞご自由に。清々しまさあ」と、平然と小鬼の首を指差した。
おれは桃太郎。
鬼に刀を振り下ろした。




