第43話 泣き顔同盟
決して悲しみを忘れないこと。悲しみ以外の感情を捨て去ること。泣き顔同盟に入る条件はたった二つだけだった。同盟と言っても大それた集まりではない。悲しみを抱えた者たちが同じ屋敷で共に暮らし、悲しみを分かち合うのだ。それは悲しみを忘れる為ではない。決して消えない傷として心深くに刻み込む為だ。そして同盟の参加者には多額の報酬が与えられた。
その屋敷には悲しみを持たない者が二人だけいた。一人は同盟を運営する小男、もう一人が画家だ。同盟はこの画家の為に存在していた。
画家は悲しみという感情に憑りつかれていた。そのたった一つの感情を表現することに一生を捧げていたのだった。だからいつも尽きることのない悲しみの泉を求めていた。それを探し出して集めてくれたのが小男であった。画家のファンだという彼はどこからともなくふらりと現れて、この同盟を作り上げた。同盟の参加者は小男がどこからか連れてきたが、いずれも劣らぬ悲しみの持ち主ばかりだった。
同盟が完成すると、画家は制作に没頭した。作品の評価は描くごとに上がっていき、絵の売り上げは同盟の維持費として使われた。同盟は巨大な悲しみの集積装置としてますます成長していったのだった。
同盟参加者たちは決して悲しみを手放さない様に日々努力し、悲しみを発散させてしまうようなあらゆる行動を制限していたが、永遠に色あせないままでいられる者はいなかった。長い月日が過ぎると誰もが悲しみを見失い、それが溢れる根源にいつの間にか蓋がされてしまうのだった。
同盟を抜けることは悲しいことではなかった。脱退者は清々しい気持ちで過去を忘れ、新たな人生を歩んでいくのだから。
その日もまた一人泣き顔同盟から脱退する者が現れた。同盟を運営する小男は膨大な量の名簿を広げて、同盟員とその支援者を忙しく見比べていた。そんな時、机の上に置かれた真っ赤な電話がけたたましく鳴りだした。小男は作業を止めて、水を一口飲んで唇を濡らしてから電話に出た。
「はい、こちら罪悪感同盟です」
「…彼女が同盟を抜けたって連絡を受けたものですから」
電話の向こうでは怯えた様子の男が声を震わせていた。脱退者が出るとその支援者に自動で連絡がされるようになっているのだ。
「ええ、もう大丈夫ですよ。悲しみと一緒に恨みや怒りもきれいさっぱりなくなっています。これ以降は警察に何か言ったり、訴えられたりすることはないでしょう。今まで資金提供ありがとうございました」
「ああ、よかった。いつか復讐されると考えただけで夜も満足に眠れなかったんです。でも彼女にお金を出して支援していると思えば随分心が軽くなっていました」
契約についての詳しい話が終わると男はしきりに感謝して電話を切った。するとまた電話が鳴り出し、休む間もなく小男は対応した。
「はい、こちら罪悪感同盟です」
「あの、私、罪を犯してしまったんです。その所為である人が不幸のどん底に…」