第41話 探偵とサーカス動物園
「わぁ。見てくださいよ。見事なもんですねえ」
探偵の助手がサルを指差して、はしゃいだ様子で言った。窓の外ではサルがピエロの扮装をした大柄な飼育員の動作を真似して大道芸を披露していた。探偵は言われて目を向けはしたが、気のない表情でどこか遠くの別の場所を見ているようだった。飼育員は続けてキリンの前に移動すると、身振り手振りで指示を出していたが、キリンはぷいと顔を背けて言う事を聞きそうになかった。
「ありゃあ。どうしたんでしょうか」
「死んだのが一番腕利きの飼育員だったそうだからね。動物もまだ慣れていないのだろうさ」
「ふうん。キリンの芸、見たかったなあ」
助手は残念そうに窓枠に体をもたれかけさせて、二階の窓に鼻を近づけて興味深そうに睫毛をしばたかせるキリンの顔をにこにこしながら観察していた。
ここは通称、サーカス動物園。三階建ての建物をぐるりと囲むようにして様々な動物が飼育されている。動物園と言うには規模が小さかったが、サーカスの要素を存分に取り入れた施設ということで人気を博していた。
客は中央の建物から動物を見ることができる。サル、キリン、ゾウ、クマ、イヌ、ブタ、ハトなどの動物が、仕切りのない開放的な野外でのびのびと生活していた。そのいずれにも芸が仕込まれており、決められた時間になると飼育員が指示を出して客に披露するのだった。
探偵が呼ばれたのはここで発生した事件の解明の為であった。建物の一番上、三階の一室で一人の飼育員が頭から血を流して死んでいた。朝になって職員に遺体が発見され、死亡したのは前日の深夜だと考えられた。事故死の可能性もあったが、縄で首を絞められた形跡があり、警察は他殺の線で捜査を進めている。縄は窓の外、地面の上に落ちており、三メートル程の長さで片方の先には結び目があった。遺体が見つかった部屋の扉には鍵がかかっており、窓は開いていた。遺体の後頭部の傷と窓枠に残った血の跡が一致しており、警察は犯人が首を絞める過程で被害者が押し倒されて頭をぶつけた事が死因と見ている。
「窓から入って、逃げて行ったんですよ」
助手が能天気な声で言った。
「君、よく考えて見給え。三階だよ。この施設はね、サルなんかの動物が間違って登ったりしたら危ないから、外壁にそれを防止する対策が施されているんだ」
「へぇ。じゃあ屋上から降りたんじゃないですか」
「屋上は厳重に施錠してあったし、あれをどうにかするよりも問題の部屋の入り口を開ける方がずっと簡単だろうね。わざわざそんな七面倒な事をする奴がいたとしたら見てみたいものだよ」
探偵に指摘されると助手は頭を抱えた。
「うーん。ならやっぱり犯人が鍵を持っていたってことなんですかね」
「そうかもしれないし、やっぱり窓から入ったのかもしれない」
「どっちなんですかもう」
いじけたように言う助手に、探偵は闇夜を照らす灯りのような瞳を爛々と輝かせて、細長い指で自分の頭をトントンと叩いた。
「まだどんな可能性も消えてはいないということだよ」
そういうと探偵は急に会話に興味を失ったかのように黙りこくって目を閉じ、調査結果を思い返した。
事件当日の夜、施設にいたのは老いた警備員が一人と飼育員が三人。この計四人が目下有力な容疑者だ。鍵を持っていたのは警備員で、被害者の死亡推定時刻には警備員室にいたと証言しているが証明するものはない。被害者を最後に見たのもこの警備員で、動物の餌を持って三階に上がっていくのを確認している。これは監視カメラの映像にも残っているので嘘ではない。被害者は新たなパフォーマンスを模索して例の部屋に閉じこもって鍛錬に励むということが度々あったそうなので、いつも通りのよく見る行動だったらしい。
飼育員三人の行動はそれぞれ、翌日の餌の準備、書類の整理、動物たちの体調管理の為のデータ確認となっている。飼育員たちはお互いの姿を時折確認しており、口裏を合わせていない限りは全員にアリバイがある。となると犯行可能なのは消去方で警備員となるが、動機が見当たらない。それに警備員は老人だ。現役の飼育員の首を絞められるとは考えにくい。
「このパンフレット見てくださいよ。キリンの芸は成功してたら、こうなってたんですね」
探偵が目を開くと、目の前に前足を浮かせて後ろ足だけで立ち上がるキリンの写真が掲げられていた。手に取って隅々まで見ると、死亡した飼育員も相棒のサルと一緒ににこやかな表情で大きく写っている。探偵は目を細め、何か考え込むようにしながらパンフレットを眺めた。
「ほら他のも載ってます。ゾウとクマは一緒に玉転がししてますよ。犬は逆立ちだ、すごい。ハトは、これなんだろう、何か運ぶのかな」
助手は横から覗き込んで、次々に指を差すと楽しそうにまくしたてた。そして急にハッすると、何か思いついたというように手をぺちんと叩いた。
「そうだ。ハトですよ。窓から入れますよ」
「ハトが縄を引っ張って首を絞めたとでも言うのかい」
「飼育員が芸を仕込んでやらせたんですよ」
「なるほどね。一羽じゃ無理だけれど、何羽かで協力すれば可能かもしれないね」
助手は胸を張って「そうでしょう」と自信満々に言った。
「でも羽音で気づかれてしまうんじゃないのかな」
それから次々と反証を並べ立てられ、反論しようとした助手は結局何も浮かばずに、一転してしょんぼりとしてしまった。
「いや。窓から入ったという説には僕も賛成なんだ。遺体の後頭部に傷があった。扉から入ったのなら正面から首に縄をかけて、それを絞めながら押し倒したということになる。いかにも不自然な状況じゃないか。部屋にはほとんど物がなくて人が隠れられるような場所はなかったし、あらかじめ中にいたということもないはずだ」
助手は先程の落ち込みをすっかり忘れてしまったかのようにケロリとして、首を縦に振りながら探偵の話を熱心に聞いていた。探偵はまたパンフレットに目を落とすと、今度は窓の外に目を向けて一頭のキリンを指差した。
「あのキリン。随分と背が高いじゃないか」
「ほんとですね。迫力あるなあ」
「あいつがこの写真の芸みたいに後ろ足だけで立ったなら、三階の窓に届くんじゃないかな」
助手は言われて目を見開いた。
「あっ。そうか。やっぱり犯人は飼育員の誰かで芸をさせて背中をよじ登ったんだ!」
助手の興奮とは対照的に探偵は冷ややかな態度を崩さない。
「そうは言ってないよ」
助手は「でも…」と何か言いたい様子であったが、探偵に制されて口をつぐんだ。
寒々とした夜。深夜だというのに空が明るく、月が事件現場を煌々と照らし出している。そこに佇む三つの影。探偵、その助手、そして警部だ。警部は探偵の昔からの知り合いであり、今回の調査の依頼主でもあった。
「探偵さんよぉ。何をしようって言うんだ」
呼び出された警部が屈強な体を寒さで強張らせながら、野太い声で聞いた。隣にいた探偵の助手が「私にも教えてくれないんです」と告げ口をする子供のように口を尖らせた。探偵は涼やかな表情でそんな不満を受け流すと、一本の縄を取り出した。
「これから実験をするんですよ。死亡した飼育員は死の直前に何をしていたと思いますか」
「新しい芸の考案をしていたって話だが」
手帳を確認しながら警部が答えた。
「それはどの動物の芸でしょう」
助手と警部は顔を見合わせて首を傾けた。そんな二人を尻目に探偵は縄を持って窓の傍に移動すると、窓枠に長い鼻を近づけた。
「警部もどうぞ匂いを確かめて下さい」
示された場所には真新しい血痕がまだ残っている。警部は顔を顰めたが、言われた通り大人しく匂いを嗅いでみた。
「うん? なんか、ちょっと甘い匂いがするな」
その答えを聞くと、探偵はおもむろにバナナを取り出すと、縄の一方に結び付けて開け放たれた窓の窓枠に引っ掛けた。窓の外にバナナがだらりと垂れ下がる。それを見た警部は「あっ、バナナの匂いか」と納得したように手を打った。
「ご覧の通りこの部屋はさっぱりしたものです。置き場所に困ってか、別の理由か、とにかくここにこうして引っ掛けていたのでしょう。そしてあでもないこうでもないと、一人で芸についてうんうん考えを巡らせていた。さて、これから何が起こるかお楽しみです」
探偵は手品師のように恭しく頭を下げると、部屋の隅に移動して壁に背中を預けた。その視線は開け放たれた窓にじっと注がれている。助手と警部も固唾を呑んで、何かが起きるのを待った。
そしてその時は急に訪れたのだった。窓の外からサルの手がひょいと出てくると、バナナを引っ掴んですごい勢いで持ち去っていった。結び付けられていた縄もするすると猛スピードで引っ張られていく。助手と警部がびっくりして窓の外を覗き込むと、すぐ傍にキリンの顔があり、再び驚いた二人は揃って尻餅をついてしまった。
「おそらくあのサルが犯人ですよ」
探偵の言葉に、警部は口を真一文字に結んだ。
「あのサルは死んだ飼育員の相棒です。頭が良くて力が強い。芸達者が過ぎて、動物に芸をさせる方法まで真似して覚えていたんですよ。あの夜も同じように縄が引っ張られて、運悪く首に絡まり、そのまま転倒してしまった。そして不幸にも窓枠に頭をぶつけた、という所なのでしょう」
「でもサルにできるなら、他の飼育員にだって…」
言いかけた助手に、探偵は口元をほころばせて優しい教師のように囁いた。
「君、キリンの首で人間の体重はとても支えられないよ。特に後ろ足だけで立った状態ではね。それにここの飼育員ときたら、誰も彼も図体がでかいのだから尚更さ」
助手は納得した様子で探偵を見つめた。そして空へと視線を投げかけるとしみじみと言った。
「サル真似もバカにできませんねえ」