第407話 矢文
ひゅー、と風を切る音がして、上空高く昇った弓矢が急降下してきた。くねくねと生い茂る松の木に突き刺さり、鋭い松葉の一部となって動きを止める。
それはすぐに引き抜かれて、矢柄に結び付けられている文が検められた。
『降伏勧告に応じることは現状で困難、目下会議中である故再度勧告されたし』
これは籠城している敵城主に向けて、我が軍が放った矢文の内容に対する返答であるが、どうにも首をひねらざるをえない。
応じないなら応じないではっきりと言えばいいものを、時間稼ぎだろうか。しかし、時間稼ぎをして不利になるのは相手の方。なにせ、こちらは兵糧攻めを行っている真っ最中なのだ。
敵軍は枯れた井戸に取り残された蛙の如く、城内で刻一刻と死を待つ身。このところ雨もなく、体は干上がっているはず。よもや気が触れたか、とも思えるが、相手城主は音に聞く豪傑中の豪傑。最後まで戦い抜く決意を揺るがさず、最終決戦に向けての準備を整えようとしているのかもしれない。
伝書係に文を書かせる。
『最終通告。武器を捨て、門を開け放つべし。なれば降伏を受け入れ、貴殿らの命は保証するものなり』
矢に結び付けて、我が軍随一の弓の達人に渡される。ぎゅっ、と弓が引き絞られて、びぃん、と弦が鳴り響く。矢はあっという間に敵城の高い塀を越えて、その向こう側に呑み込まれて消えた。
返答までは時間がかかるかと思えたが、すぐに矢文が返ってきた。
その内容は、
『この城の周辺、川を上流に進んだ先に美味なる芋が掘れる場所あり』
なんのことやら。暗号だろうか。それとも腹が減り過ぎておかしくなったのか。芋を取ってきてくれということなのか。しかし、そういえば兵糧攻めのため、外で粘っているこちらとしても、だいぶん食料が心もとなくなってきた。自生する芋があるなら食料として手に入れるのもいいかもしれない。
さっそく数人が文に記されていた場所に行くと、確かに芋が生えていた。大変な美味。兵士たちの士気が高まる結果となった。
『芋は我が軍の手中にあり。降伏するならば、ふかした芋を提供する用意あり』
催促の矢文を撃ち放つ。すると、返答の矢が飛んでくる。
『そちらの指揮官のお名前をお聞かせ願いたい』
騙し討ちなしで降伏を受け入れてくれる人物なのか確かめたいのだろうか。名前だけでなく、これまでの戦績や人柄までも書き添えて矢文で送ると、
『別の射手に文のやり取りをお願いしたく』
と、来た。わがままな奴だ。仕方がないので敵城を挟んで反対側の位置に陣を敷いている部下に連絡。そこにいる我が軍で二番目の腕の射手に矢文を放たせることにした。
『やはり最初の射手にお願いしたく。こちら武装解除の準備を進めている。開門する故、そちらは門の周辺から手勢を引いて頂きたい。日没前に返答を求む』
相手の増長っぷりに腹が立ってきた。こちらとしては降伏してもらえれば軍の被害や消耗が少なくて済むので大変助かる。相手はなにせ豪傑中の豪傑という噂。今は城に封じ込められているが、一気呵成に数々の城を攻め落とした、血の気の多さで有名な城主。
こういった返答は弱っている証拠とも思えるが、油断はできない、言われたとおりに手薄にすれば、門を開け放った瞬間に武装した敵の手勢が馬に乗って飛び出してくる事態もあり得る。相手の要求は到底、呑めるものではなかった。
断りの矢文を書いて、放つ。
すると、にわかに城内がざわつき出した。なにかあったのだろうか。状況を注視していたところ、ざわざわという声は城門の方向へと移動して、やにわに門が開け放たれた。
どっ、と敵兵が城内から溢れた。それが全員まるごしであることを見て取ると、攻撃しないように指示を送る。明らかに敵兵たちは戦える状態ではなかった。
あわれに思って、ちょうど準備していたふかし芋と川で汲んできた水を振舞ってやると、痩せこけて骸骨と見まごうほどだった敵兵たちも、ささやかな元気を取り戻していった。
敵兵の先頭に立つ人物が、風呂敷包みを持って進み出てくる。
「指揮官殿とお見受けします」
「その通りだが、貴殿は?」
「わたくし軍師をしておりましたものです」
「ほう」
「こちらを……」
風呂敷包みが置かれる。丸い包みの中身には矢がささっているようで、矢羽が果実の茎のように風呂敷の外に飛び出している。解かれると、ごろん、と首が転がった。城主の首。その額のまんなかに見事に矢が突き刺さっている。
「貴殿が謀反を起こしたということか? 謀反者は捕虜となっても罰せられるが」
「いいえ滅相もございません」
元軍師は深々とこうべを垂らして、城主の頭に刺さった矢を指し示した。
「わたくし共はなにもしておりません。城主様を城のあちらにこちらにとご案内していただけ。そこにたまたま矢が飛んでまいりました。この通り、城主様を討ったのはそちら様の矢。そちらの矢であることの証明は結わえ付けられている文の文面を見れば定かでしょう」




