第405話 ピエロの鼻は凶器なりや?
「有罪!」
ぺこん、ぺこん、とハンマーが打ち鳴らされる。
被告人席に座ったピエロは両手を広げておどけた風に肩をすくめた。
「なんだ? 不服があるのかね」
裁判官がニヤリと尋ねる。
ピエロは激しくうなずいて、パントマイムの身振り手振りで不満を訴えた。
「じゃあ無罪!」
裁判官がくるりと結論をひっくり返したので、すぐさま原告が割って入る。
「ちょっと待ってください!」
「なにかね?」と、裁判官。
「これは立派な傷害事件なんですよ」
「そんなことは分かっておる」
ピエロもウンウンとうなずく。真っ赤なまあるいつけ鼻を指差して、ぐぐぐっ、と伸ばすようなしぐさ。
「しかしねえ。わざとじゃないんじゃないの?」
軽い調子で裁判官。
「ここで問題にすべきは害意の有無だなんてあいまいなことではなく、事実として傷害が行われたということです。その罪に対して無罪はあり得ないでしょう」
「じゃあ有罪!」
裁判官がまたもくるりと結論のひっくり返したので、ピエロはわざとらしくぴょーんと飛び上がって、おののくようなしぐさをした。
「裁判官! 真面目にやってください!」
これには原告も非難を向ける始末。
「わしはまじめじゃよ」
「これは歴史に残る裁判なんですよ」
「そうなのか?」
初耳だ、という態度の裁判官はいくらか襟を正して、背筋をしゃんと伸ばした。
原告はハアと溜息をついて手元の資料に目を落とす。
「ええっと。ご存じかと思いますが被告はサーカスでショーを行っておりました。クマの玉乗りのあと……」
「クマの玉乗り! そりゃあいい。わしも見たいなあ」
「ゴホン!」と、原告の咳払い。裁判官は慌てて両手で口をふさぐ。
「玉乗りのあと、ジャグリングを披露すると、観客席に入りました」
「どんなジャグリングかね?」と、口を閉じていた手を早くも放した裁判官。
原告が答えようとする前に、被告人席のピエロが机の上のペンを手に取って、ひょい、ひょい、と見事なジャグリングを披露した。そうして最後には投げたペンをお口でキャッチ。
「おおっ」裁判官が拍手をおくると、
「ゴホン!」また咳払い。
「いいですか。被告は観客席で子供につけ鼻を取られてしまったんです」
ピエロはつけ鼻を押さえて、慌てるようなしぐさ。
「被告の本物の鼻は非常に鋭利に尖っておりました。被告はつけ鼻をとった子供を探して観客席に分け入り、そうして客席にいた男性の頭を、ぐさり、とひと突きしてしまったのです」
原告が手招きすると、目撃者が進み出て来て、証言をした。
「おら見たんです。いやあ、おらはきこりをしてんだけども、森でねえ、キツツキがこう樹をつつくんですわ。それとそっくりでねえ。思わずキツツキがサーカスのテントのなかにまぎれこんだんじゃないかと思ったんです」
どっ、と裁判官は笑って、しばらく腹を抱えて、ひっひっひっ、くっくっくっ、としてから、ひいひい言いつつ顔を上げた。
「そりゃあ傑作だ。キツツキの傷害は刑法上はどうなるんだったかな?」
「裁判官!」
原告の怒声が飛ぶ。裁判官は首をすくめて、
「いやいや冗談だよ」
「冗談を言ってる場合じゃないのですよ」
「おらはもう帰っていい?」
「ああ、いいよ。ばいばい」
目撃者は帰っていった。その後ろ姿にピエロはハンカチをひらひらと振って、恋人との別れをおしむような滑稽芝居を演じた。それを見た裁判官はまたひいひい笑いはじめる。
しばらくして、やっとのことで笑いの虫がおさまると、
「それで、その鼻というのはどのぐらい尖ってるのかね。マッターホルンぐらいかね。エベレスト? キリマンジャロぐらいかな」
「キリマンジャロは尖ってませんよ」
「”キリ”マンジャロって言うぐらいだから”切り”立ってるんじゃないのかね」
「違います。頂上は平らです」
「ふうん、そうなのか。それでどうなのかな」
ピエロに視線があつまる。ピエロはいやいやするように首をゆすっていたが、そっとつけ鼻に手を添えると、びっくり箱みたいな表情と共に外して見せた。そこにあった鼻はピノキオのようにぐいっと伸びて、けん玉の要領でつけ鼻を支えているというわけであった。
「ほう」裁判官は感嘆の声を呑み込んで、
「ケバブの串のようだね」と感想をもらした。
「おほん。それでその鼻で怪我をさせてしまったわけだね」
「ええ。例えばですがボクサーの拳は凶器と認定され、それによって人に危害を加えたりすると刑を重くするという措置がとられたりもします。今回の場合もそれに該当すると考えられるのですが……」
「しかし、ピエロというのは皆そんな風に鼻が尖ってるものなのかね」
「いえ」と原告。「サーカスの同僚にお話を伺ったところ、通常はテープやひもでつけ鼻を固定したりするんですが、被告に関しては激しい動きをするので、それでも取れてしまっていたそうなんです。それで、その、首長族というのをご存じですか。首にわっかを付けて、首を伸ばしたりする部族ですね。まあ、あれと同じ要領で、鼻をつまんでおく器具を常に装着して、鼻を尖らせたそうなんです。それで、尖った鼻先に装着することで、つけ鼻が取れることがなくなった、と」
「見事なピエロ魂じゃないか」
「そうではありますが」と原告も否定はせずに「凶器として使うためにそういった行動を行っていた可能性もあります」
「そんなしちめんどうなことするかなあ。わしなら爪でも伸ばすけどね」
「爪だとすぐにばれてしまうと考えたのかもしれません」
「ううん。そこんとこどうなんだね」
視線が向けられると、ピエロは大げさに手を振って否定して、目をぱちくりさせた。その様子があまりにもおかしかったので、裁判官は「わっはっは」と声高らかに笑う。この裁判官。酔ってもないのに非常な笑い上戸なのである。
「まあ、こんなに否定していることだし、事故ということでどうかね。そもそも被害者と被告は顔見知りでもないのだろう? 子供がつけ鼻をとったのだって偶然にすぎない」
原告もばかばかしくなってきて、
「まあ私は怪我をした男性に雇われただけです。彼に一度相談してみましょう」
「そうしたまえ」
ピエロは感激というように飛び跳ねて、お礼に次々と芸を披露しはじめた。裁判官はそれを見て、腹がよじれるほどに笑った。
そして――。
笑い過ぎて、死んでしまった。
ピエロの芸は凶器として認定され、それからピエロは檻の中。狭苦しい汚れた部屋の片隅で、ネズミ相手に芸を披露し続ける日々を送ったのであった。




