第401話 間違い電話
「間違い電話だわ」
「またか」
母と父の会話。こんなやり取りが幾度となくあったらしい。
俺が生まれたその日から、何度も、何度も、俺に向けての電話がかかってきた。
はじめは間違い電話だと思っていた両親も、そのうちいたずら電話だと考えるようになって、しばらくするとろくに相手をしないことに決め込んだ。一定の間隔をおいて、絶えることなくそのいたずら電話はかかってきた。母などは普通の電話に出るのもおっくうになって、一時期気落ちしがちになっていたぐらいだ。
成長し、読み書きを学び、自ら電話に出れる年齢になった頃、はじめて俺自身がその電話と遭遇することになった。
「もしもし?」
「ああ。やっと出てくれたか」
電話口の向こう側から感嘆の声が響く。
「どちらさまですか?」
幼い俺は懸命に大人の真似をして電話の対応をした。
「俺は、お前だ」
電話の男は言った。
「オマエさん? マエダさん?」
「オマエは名前じゃない。お前自身。電話に出ている君自身が俺だということだ。俺は未来の君だ」
俺はなんだかよく分からなくなったが、それでも子供の生真面目さでもって、辛抱強く相手の話を聞いた。
「おなまえは?」
「君と同じだ」
そう断言して、電話の男は俺自身のことをすらすらと語りだした。俺自身のまだ短い人生を、男は寸分たがわず言い当てた。父や母にすら話していないようなことも男は知っていた。
「ホントにぼくなんですか?」
俺は尋ねた。
「そうさ」
と、こともなげに言い放たれた言葉を、子供ながらの素直さで受け入れた。
電話の男は、これから近いうちに俺の身に降りかかる苦難を教えた。それに対してどう対応すべきかということも。
電話が切れた後、俺の頭のなかはちょっとした混乱状態になっていた。無理もない。子供の頭では色々なことを理解するのは難しすぎた。男の話していた指示ですら、もはやうろ覚えだった。
男が話した苦難の時はすぐにやって来た。道を急いで走っていた俺は、車に轢かれてしまうというのだ。けれど、俺はそのことをすっかり忘れてしまっていた。道の角に向かって飛び出していって、横から走ってきた車に轢かれてしまった。
幸い一命はとりとめた。当然だ。俺がここで死ぬようなことがあれば、未来の俺はそもそも存在しないのだから。
退院したあと、再び未来の俺からの電話に出る機会が訪れた。
「俺の言う通りに動かなかったようだな」
「ごめんなさい」
俺は、未来の俺に謝った。事故の記憶は圧倒的な失敗体験として脳に刻み付けられており、俺の頭には未来の俺の言うことをきちんと聞かなくてはならない、という教訓が深く根を張ることになっていた。あとから考えれば、未来の俺はそうなることを予期してわざと子供の俺に難しい指示をしたともとれるが、真相は闇のなかだ。
「いいか。これからは俺の言う事をしっかり聞くんだ。紙とペンはあるか。必要ならメモを取れ。ただし絶対に他の奴らにそのメモを見られたりしてはいけないぞ」
俺は、未来の俺の言う通りに紙とペンを用意した。そして語られる俺がやらなくてはならないことを子細漏らさず書き留めた。
それからの俺は未来からの指令に従って一生懸命に勉強をしたし、運動もした。交友関係を広げ、よき友を得ることにもなった。
けれど、
「どうして、俺の言う通りにできないんだ」
「どうして? どうして、だって? そんなに都合よく物事が進むわけないだろ」
成長した俺は少し生意気な気質になっていて、未来の俺に対して反抗的な言葉遣いをすることがままあった。
それに対して、未来の俺は宥めるように、
「全てお前のためになることなんだぞ」
「分かってるさ。だから言う通りにやってはいる。やってはいるが、それが望む結果にならないからといって、俺を責めるのはおかしいだろ」
「そう。確かにそうかもしれない」
「そっちの指示が問題じゃないのか。未来にいるくせに、もっと的確な指示をしてもらわないと」
「ふうむ」
未来の俺は嘆息して、
「分かった、考えてみよう」と電話を切った。
俺は未来からの指令を遂行し続けていた。けれど、未来の俺が望む結果は得られていないようだった。
時を経て、俺はあることが気になりはじめていた。未来の俺が過去の自分に電話をかける技術を得たのはいつなのだろうか、ということだ。もしその時が来たら、俺もまた過去の自分に指示を出す必要がある。俺はこれまでの経験から、未来の俺よりも遥かに的確で有用な指示を過去に送れるという自負があった。
しかし、いつまで経ってもその時は訪れなかった。おかしい、と思って次にかかってきた電話でそれを尋ねると、未来の俺は俺の言葉が耳に入っていないかのようにただただ嗚咽を漏らしていた。
「なにかあったのか?」
俺は不安になった。俺が歳をとると共に、未来の俺も歳を重ねていた。死、という一文字が頭のなかでチラつく。自分の余命を知ることほど嫌なことはない。
未来の俺はしばらく泣いていたが、やがて涙がおさまってくると、
「今まで悪かった」
と、告げてきた。
「どういうことだ」
「今日、父が死んだ」
この報告は俺にとってショックだった。しかし、さらにショックなことを未来の俺は語った。
「死に際に父は俺に隠していたことを話してくれた。俺には双子の兄弟がいたらしい。事情があって二人ともを育てられないとなった両親は、兄弟を別の人に預けることにした。病院の伝手でな。病院が探し出した養子先は、偶然、両親と同じ名前をした夫婦だったんだ。そして、また偶然の力が働いて、養子先の両親は、その子に双子と同じ名前を付けた。なにも知らないままにな。双子の運命というのは怖ろしい力を持つようだ。二人の容姿同様に、そっくりそのまま似た人生を二人に分け与えたらしい」
俺は語られる物語の意味するところを考えて戦慄していた。どうりでいつまで経っても過去に電話する技術が手に入らないわけだった。
そもそも俺たちは別の人生、別人だったのだ。
「俺の人生っていうのは、なんだったんだろうか」
未来に生きる双子が言った。
「未来の俺に聞いてくれ」
俺は、そう言うしかなかった。




