第400話 縁結びのお人形
子供の頃、碧い眼のお人形を買ってもらった。
両親に連れられて外国へ旅行に行った時、骨董品店で見つけたお人形。
少し値が張ったけれど子供の私にはそんなことは分からなくって、欲しい欲しいと無邪気に駄々をこねた。
父はすごく困っていたけれど、せっかくの旅行の思い出だからと、お人形を私に買ってくれた。
あとで父に聞いた話では、そのお人形は縁結びのお祝いに贈るものだそうだ。骨董品店の店主がそういう風に説明していたらしい。
とあるお姫様がモデル。そのお姫様は縁が結ばれそうになる度に、不幸な出来事によって繋がりが断ち切られてしまった。だから、強い縁結びの願いが込められているのだという。これだけだと縁起が悪そうでもあるが、お姫様は最後の最後で、自らに相応しい人を見つけて深い森の奥で一緒に暮らしたそうだから、ハッピーエンドだ。
知らなかったとはいえ子供の私にはちょっと背伸びし過ぎた贈り物。
宝石みたいに煌めくクリーム色の豪華なドレスを着たお人形。
私はとてもうれしくて、旅行中どこに行くにもそのお人形をぎゅっと抱きしめて連れて歩いた。
椅子に座ったら、必ず隣の席に座らせた。
お洋服が乱れていたら直してあげた。
金色の髪はさらさらしていて、いつまでも梳いてあげたくなった。
旅行から帰っても、私はそのお人形とべったりだった。
友達に自慢しようと思って、学校にも連れていった。
でも、私が得意満面で机の上に座らせたお人形を見た友達の反応は、
「気持ち悪い」
だった。
私はその友達と絶交した。
友達だった彼女は、それからしばらくして学校に来なくなった。
理由は知らなかったし、知ろうともしなかった。
私の友達はお人形だけになった。
けれど、その時の私は別にそれでいいと思った。
ある日、母がお人形のお洋服を汚してしまった。
お人形が居間のテーブルの上に置いてあったらしい。持ち上げようとして、すぐ傍の花瓶に挿してあった花の枝が引っかかった。花瓶の水がこぼれて、お人形にかかった。
「気味が悪くて……」
母は言った。
いつも私の部屋に置いてあるお人形が、居間にあったなんて私は信じなかった。
私の部屋に勝手に入ってその上お人形のお洋服を汚してしまったんだと思った。
しかも私のお人形を気味が悪いだなんてひどい言い草。
「嫌い! もう顔も見たくない!」
私は激怒した。
それから本当に母の顔を見ることはできなくなった。
母がいなくなったから。
私は母と喧嘩したことをとてもとても後悔した。
喧嘩のせいで母が家出してしまったんだと自分を責めた。
父はすっかり沈んでしまって、私は母の代わりに家事にいそしんだ。
忙しさはあらゆることを忘れさせた。
母がいなくなった悲しさも、お人形のことも。
私は大学進学にあたって一人暮らしすることになった。
その頃には父も持ち直していて、快く私を送り出してくれた。
ちょっと古いアパートの一室で暮らしながら一生懸命勉強に励む。
大学で何人かの友人もできた。そうして特に親しくなった友人を家に呼んだ。
ふたりともお酒が飲める年齢になった記念だなんて言って、意味もなく浮かれて酔っぱらった。
友人が泊まっていくと言ったので、私は押入れから布団を出そうとした。
その時、押入れの奥の暗がりと、目が合った。
「ひっ……!」
私が息を呑むと、友人は後ろから押入れの奥を覗き込んで、
「うわっ!」
と、声をもらした。
あのお人形があった。
碧い眼のお人形。
この部屋に、持ってきた覚えはなかった。
「なにこの不気味な人形」
友人がおそるおそるというように、お人形を押入れから取り出して眺めまわす。
けれどしばらくすると飽きたらしく、テーブルの上にお人形を投げ出して、またお酒を飲んだ。
私も酔っていたから、深くは考えなかった。
朝起きると友人はいなくなっていた。
先に起きて帰ったのだと思ったが不思議と部屋にはきちんと鍵がかかっていた。
窓から出ていくなんて非常識なことをする人ではなかったが、オートロックなんていう高級なものは取りつけられていないし、鍵を渡してなどもないので、それ以外の可能性は考えられなかった。
テーブルの上にはお人形がきちんと背筋を伸ばして座っていた。
私は懐かしく思い、持ち上げて抱っこしたり、お人形の髪を梳いたりした。
きちんと整えてあげると、余っていた段ボールに詰めて、押入れの奥深くへとしまい込んだ。
それから友人に電話を掛けたが、呼出音がずっと流れるばかりだった。
大学に行き、友人を探したが、出席していないようだった。
二日酔いで授業を欠席したのだろうかと、その時は思った。
次の日も、その次の日も、友人は欠席していた。
電話もつながらなかった。
友人は消えてしまった。
心配だったが、周りに聞いて回っても誰も知らないようだった。
私にはどうすることもできなかったし、時間が経つとその友人のことは苦い思い出となって、記憶の底に沈んでいった
好きな人ができた。
私たちは付き合うことになった。
そして彼が不意に部屋に遊びに来た時、私とお人形の目が合った。
碧い眼がじっとこちらを見つめていて、心臓がどきりと跳ね上がった。
確かに段ボールに詰めて、押し入れの奥にしまったはず。
玄関で靴を脱いだ彼が後ろからやってきた。
立ち止まっている私の肩越しに室内に目を向けて、
「すごい人形じゃないか」
と、感心したように言った。
興味津々といった風にお人形を見る彼に、私は昔、旅行に行った時に買ってもらったものなのだと教えた。
話しながら、どうしてお人形が机の上に置いてあるのだろう、と首を捻る。寝ぼけて取り出したのだろうか。
彼はアンティークに興味があるようで、ドレスの様式ことなどを教えてくれた。
会話は弾んで、私と彼はより親密になった。
彼が帰った後、私は部屋に置いてあるお人形を見つめた。
そういえば、何故ここにあるのだろうと、今更ながら疑問に思う。
父に電話すると、
「まだ、持ってたのか」
と、返ってきた。
私の部屋にずっと置いてあったのにも気がついていなかったらしい。
大事にしてたから無意識のうちに引っ越しの時に箱に詰めたんじゃないか、と言われて、そうかもしれないと、思った。
私と彼はうまくいっていた。
私はこのお人形が縁結びの贈り物だということを思い出していた。
効果があったのかもしれない。
そんなことを考えたりしていた。
けれど。
彼は私よりもお人形の相手を熱心にするようになっていた。
歴史的に価値があるものだから、と言って、衣装を綺麗にしたり、肌や髪の汚れを丹念に取ったりしていた。
母が汚したドレスの染みも、彼の手によって跡形もなく消えてしまった。
時間が経つと、私このお人形が怖くて堪らなくなっていた。
けれど、それを決して口に出すことはできなかった。
――気持ち悪い。
――気味が悪くて……。
――なにこの不気味な人形。
消えた人々が口にした言葉が私の頭の中でこだましていた。
もし私が今、思っていることを口にすると、私も消えてしまうような気がした。
そして、お人形はそれを望んでいるような気もしていた。
縁結びのお人形。
誰と、誰の、縁を結ぼうとしているの?
どこか、誰にも分からないようなところに、捨ててしまおうか。
彼は悲しむだろうけど、それで彼が私に愛想をつかすのならそれはしょうがないと諦められる。
だってそれで彼が離れるなら、縁が結ばれていたのは私と彼じゃなくて、お人形と彼だということだから。
私は決心した。
お人形を持って、暗い暗い森の奥へ。
鬱蒼とした緑のなかを、誰にも見つからない場所を探して、お人形と一緒にどこまでも歩いた。




