第377話 罪なき村
私は神父。説法をし、村人を導き、懺悔を聞いて、その魂を慰め、清めるのが私の役割。
今日も教会の懺悔室に村人がやってくる。懺悔室はふたつの部屋がくっついたような形で、一方に私、もう一方に信者が入る。ふたつの部屋は小さな格子窓で仕切られており、窓を通して信者は私に罪の告白を行い、私は神の御名の元に許しを与える。
「神父様。聞いてください」
妙齢の女性の声。
「どうぞ、あなたの罪を告白してください」
うながすと、罪が胸につかえているように、たどたどしい言葉がつむがれる。
「わたし、主人以外の人と、通じてしまったんです。野菜の種を、売り歩いている男です」
「ふむ。それを今は悔いているんですね」
「はい。心から」
「では、神の許しを求め、心から悔い改め、祈りを唱えてください」
女は神に祈った。私も神に祈りを捧げる。
「……全能の神はあなたの罪をお許しになられました」
「ありがとうございます」
幾分か軽くなった声。椅子がきしむ音がして、懺悔室の扉が開けられると、女が去って行く。
女が罪の告白をした数日後。
懺悔室で待っていると、扉がこそこそと開く音がして、信者が向こう側の部屋に入って来た。
「神父様。あっしは罪をおかしちまったんです」
「どうぞ。あなたの罪を告白してください」
軽妙な男の声は、格子の小窓の向こうで弾き語りでもしているような調子で話しはじめた。
「あっしは夫のいる女性と一夜を共にしちまったんだ。その人があんまり寂しそうだったから、つい……。罪はそれだけじゃねえんだ。その人に同情しはじめちまうと、その人の夫が憎くなっちまってよ。つい、つい、だよ。魔が差したんだ。傷んだ種を売っちまった。きっと芽が出て実がなっても、ろくに食えたもんにはならねえ。下手すりゃ毒になっちまう」
「なるほど。それを今は悔いているんですね」
「ああ、もちろんだ」
「では、神の許しを求め、心から悔い改め、祈りを唱えてください」
種売りは神に祈った。私も神に祈りを捧げる。
「……全能の神はあなたの罪をお許しになられました」
「ありがとう。救われたよ」
安心しきった声で種売りは立ち上がった。椅子がきしむ音も軽い。踊るような足音を響かせて、懺悔室から出ていった。
種売りが罪の告白をして数週間後。
「神父様。俺の罪を聞いてくれ」
「どうぞ。あなたの罪を告白してください」
野太い男の声は、懺悔室を仕切る格子をのこぎりで切るような調子で己の罪を語り出した。
「妻が浮気をしてたんだ。それを知って思わず手を出してしまった。カッとしてしまったんだ。でも妻の浮気について、いまもう怒ってない。神の許しを得たってことは神父様が誰よりご存じだろう。妻から聞いたよ。懺悔したってね。それで、とにかく俺は、妻の心を取り戻したいと、思ったんだ。ちょっとカッコつけてさ。普段は作らない農薬というものを作ってみた。材料はでたらめ。それを畑にまいた。成長はそこそこかな。でも、もしかしたら、いい加減な農薬だから、食べた人が体を壊すかもしれない。そう考えるととんでもないことをしてしまった気分になってるんだ」
「分かりました。それを今は悔いているんですね」
「心の底から悔いている」
「では、神の許しを求め、心から悔い改め、祈りを唱えてください」
農夫は神に祈った。私も神に祈りを捧げる。
「……全能の神はあなたの罪をお許しになられました」
「これからも毎日欠かさず神に祈るよ」
がたがたと椅子を鳴らしながら、農夫が席を立ち、バタン、と扉を出ていった。
農夫が罪の告白をしてしばらく。
「神父様。ぼく、悪いことをしちゃったんです」
「どうぞ。あなたの罪を告白してください」
少年は声を震わせながら、落ち着きのない声で罪を語る。
「ぼくは盗みを働きました。となりの家の畑から、野菜を盗んだんです。どうしても空腹で、我慢ができませんでした。となりの人が、立派に育てた、野菜をぼくは勝手に食べてしまったのです。その日以来気分が悪くなって、きっと天罰に違いありません」
「しかし、今は悔いているんでしょう?」
「悔いています。何度も悔いました」
「では、神の許しを求め、心から悔い改め、祈りを唱えてください」
少年は神に祈った。私も神に祈りを捧げる。
「……全能の神はあなたの罪をお許しになられました」
「よかった……。ぼく、いつでも、何度でも、悔い改めることにします」
音もなく椅子から立ち上がって、少年は身軽な動作で扉を開けて去って行った。
少年が告白をした次の日。
「神父様。聞いてくれ」
「どうぞ。あなたの罪を告白してください」
農夫の男はやや興奮した様子で、勢い込んで語り出した。
「俺は子供を殺してしまった。野菜泥棒だ。あいつが悪いんだ。俺の畑の野菜を盗んで食べておいて、さらには俺の野菜は毒だなんて言いふらそうとした。そんなことされたらこっちは商売あがったりだ。ただでさえ日々の暮らしが厳しいのに、許せるわけがなかった。だから、その子供の頭を、岩で殴って、……ああ。でも俺は痛みがないように、苦しみがないように、渾身の力を込めたんだ。憎しみではなく、慈しみの心で。でも、分かっているんだ。悪いことだって。だから、懺悔をしに来たんだ」
「……悔いてらっしゃるのですね?」
「悔いている。やってはならないことだった」
「では、神の許しを求め、心から悔い改め、祈りを唱えてください」
農夫は神に祈った。私も神に祈りを捧げる。
「……全能の神はあなたの罪をお許しになられました」
「俺はいつでも神に祈っている。神に救われている。神父様にも感謝している。あなたを通じて、神の許しが得られるのだから」
信心深い農夫は去って行った。するとすぐに別の信者がやって来て罪の告白をする。皆、心から悔い改め、日々懺悔をくり返している。この村においては日常茶飯事だ。きっとこの村でなくても日常茶飯事だろう。村人全員がひっきりなしに訪れるこの教会の、この懺悔室で、私は信者の罪を聞き、神の御名の元において許しを与え続けるのだった。




