第36話 名医
――今世紀最高の医師、財政界の大物を救う。
そんな記事を目にして俺は溜息をついた。誰もが俺のことを名医だと褒め称えるが、救えなかった命もたくさんある。難しい患者を受け持つことが多いのは事実だが、それでもその全てを救うことができれば、どんなに素晴らしいことだろうか。
「さあ、手術の準備の時間だぞ」
相棒が俺を呼びにきた。執刀する時はいつもコイツと一緒だ。組むようになって、もう随分長い時間が経った。いつも俺を支えてくれる、心から信頼できる相棒だ。共に手術に挑むようになってからというもの、俺の評判もぐんぐん上がっていったように感じる。俺よりもコイツの方がよほど優れた医者なのではないかと思うこともある。とにかく評判が広まると重要人物の患者も自然と増えていった。政治家、社長、世界的な著名人など様々な患者を受け持ったが、重要な手術に限って俺は命を取りこぼしてきた。しかしそんな時のメディアの扱いといったら辟易させられるものだった。俺の治療の成功部分を全面に押し出し、失敗は目立たないように脚色され、世間的な印象を損ねないように配慮されていた。
俺は悩んだ。俺はそんなにすごい奴なんかじゃない、名医などとおこがましい、と叫びたかった。だが数知れない失敗を重ねても、僅かな成功を糧にして俺の名声は高まるばかりだった。
一時は医者を辞めることも考えたが相棒に励まされてなんとか踏み止まった。
相棒は言った。
「世間の評価との齟齬を感じるなら、お前の努力でそれを埋めればいいだろう。本当の名医になるんだ」
俺は奮起し、必死で患者と向き合った。たとえ救うことが叶わなくても、遺族は全力で取り組んだ俺に感謝し、その死に納得した。
今日もまた手術室で患者が待っている。絶対に救おうと心の奥底で決意を固め、手術室の扉を潜った。
手術室の前で名医の相棒が患者の親族と囁くような声で言葉を交わしていた。
「それじゃあ、お願いしますよお医者さん」
「ええ、分かっております。まあ手遅れだったということになるでしょう」
「いやあ、それにしても助かります。。少しでも看病を加減すると、世間は好き勝手に言うものです。かと言って長生きされても困りますからね。名医と呼ばれる方に担当して頂ければ、死んでしまったとして、誰も何も言いません」
「世間体対策には彼のような医者を使うのが一番ですからね」
名医の相棒はそう言って手術室へと向かった。手術室のランプが灯る。親族たちはただその灯が消えるのを、今か今かと待ち続けていた。