第333話 五十音刑事
”あ”は刑事。容疑者を捜索中。しかし、どこを見渡しても、その痕跡すら見つからなかった。
「どこに逃げたのでしょうか」
相棒の若い刑事が空を眺めて途方に暮れる。
「地道に行くしかないな」
そう言いながら、刑事は歩き出した。
町には文字たちが行き交っているが、目当ての者の姿はない。一体どこに隠れたのだ、と”あ”は鋭い眼差しを走らせる。
霧のように煙った町の淀んだ空気をかき混ぜながら車が走り去っていく。アスファルトを貫いて伸びる生命力に溢れた雑草たちが、足元でカサコソと音を立てた。
角ばった奴、丸い奴、複雑に曲がりくねった奴。とめ、はね、はらい、が視界で躍る。奴は目立つ。身を隠すのはそう容易くなさそうであったが、今はじっと息を潜めて、刑事たちの捜査網をかいくぐっていた。
捜索が開始されてから、かなりの文字数が経過しているものの、新たな手掛かりは見つからない。
こうなっては、と刑事は思い切った手を使うことにした。
「おい! 聞いてるだろ! もう逃げられはしないぞ!」
町中で刑事が叫ぶ。影の奥で何かが蠢く気配がした。やはり近くいるのだ。刑事と容疑者は分かち難い者たち。
「大人しく姿を現せ! お前はいつも誰かの後ろに隠れるしか能がない奴だ! 一度ぐらい、前に立って見ればどうだ!」
容疑者は刑事の元相棒。だからどうしても自らの手で捕まえないと気が済まなかった。刑事は走り出した。己の行く末に、容疑者が待っていることを知っていたのだ。
全ては己で始まり、相手で終わる。
いくつもの町角を曲がった。括弧の扉をくぐり、句読の邪魔を乗り越えて、ルビのひとつも見逃さず、中黒たちの雑踏をかきわけ、雨だれ、耳だれの森を抜けた。
そうして遂に、
「見つけたぞ!」
刑事が吼えた。捜し求めた姿が立ちはだかる。二人は激しい感情を募らせて、お互いの名を喉の奥から迸らせる。
「阿!」
「吽!」




