第290話 ウワサ
「あの噂、聞いた? 怪談話」
クラスでも中ぐらいの仲の良さの友人が話し掛けてきた。
「なに?」
怖い話はあまり得意ではないのだが、それを断れるほど親しくもないので、興味があるふりをして先を促す。
「噂なんだよ。噂の妖怪、噂の妖怪が、噂をしてくるんだよ」
友人は噂、噂と繰り返す。分かりづらい話だが、妖怪が噂話をするのが噂になっているという話らしい。
「へえ」
思わずちょっと気のない返事になってしまったことに私はぎくりとして、それを相手に気づかれないように、机に被いかぶさるように身を乗り出した。けれど、友人は気を悪くした様子もなく、それどころか私の態度などまったく気にしていないようで、夢中になって話し続けた。
「それでね。その妖怪はそのまんま『ウワサ』って呼ばれてるんだけど、顔が酔っぱらったみたいに真っ赤で、髪の毛がパンチパーマみたいにもじゃもじゃなんだって」
「それって、ただの酔っぱらいのおじさんなんじゃないの?」
「違うの、だって角が生えてて、歯もとげとげなんだよ」
「鬼じゃん」
「ははは。そうかも。鬼みたい」
私がつっこむと友人は手を叩いて笑った。
「それで、どんな噂話をしてくるの」
大して怖い話でもなさそうだったので、少し興味が出てきた。
「それがね。分からないんだって」
「なにそれ、つまんない」
「えー。面白くない? 人間とお話したいだけの妖怪って可愛いじゃん」
よく分からない感性だけれど、害を及ぼしてこないのは可愛いと言えるかもしれない。
「そう言われると、可愛いかもね」
「でしょでしょ」
弾んだ声に、曖昧な微笑みを返して同調する。これで話は終わりなのかと思ったけれど「でね」と友人は更に続けた。
「噂を語り終えたウワサって妖怪は、ふっと姿を消してしまうんだよ」
「妖怪の方が消えるの? そういうのって、聞いた人が呪いで消えて、みたいな話じゃないの?」
「そうなの。不思議でしょ」
私が頷くと、友人も一緒になって頭を振って「儚くって素敵じゃない?」なんて言い出した。これには流石に同意するのは躊躇われて、私は黙りこくったが、次の反応を見るに、それでよかったらしかった。友人はニヤニヤして「こんなこと言うのあたしだけなんだよ」と、まるで、彼のことを分かってるのは私だけ、という恋に恋する乙女みたいな口調で言った。
それから別の世間話になって、最近乾燥してるから肌とか髪の調子が悪いとか、お化粧を勉強しはじめたから何かいいのがあったら紹介してとか、そんなことを言っていると先生がやって来て、授業がはじまった。
別の日。噂をしていた友人がまた別のクラスメイトに同じ噂話をしているようだった。一番前の席の廊下側の子だ。聞いてる子は全然興味なさそうで、早くこんな話は終わってくれ、というような態度をしていたが、友人は全然それに気づいてないのか、意にも介していないのか、とにかく噂話を語り終えて、それについての自分の感想を一方的に喋っていた。
また別の日にも、廊下で同じような光景を目撃した。どうやら喋りたくってしょうがないらしい。
話し終えると、友人は私がいる方へと廊下を歩いてきた。よく見ると、頭がちょっと膨らんでいる。コブのようだ。
「頭、大丈夫?」と、言ってから私は誤解を与えかねない言い方だったとすぐに気が付いて「怪我でもした?」と言葉を継いだ。そんな言い訳じみた言葉を並べるほうが不自然だったと、少し後悔していると「転んじゃってさー」と別段気にしてなさそうに友人は頭をさすった。
「痛くはないんだけど、コブが治らないんだよね」
「頭だと薬塗ろうにも髪の毛についちゃうから嫌だよね」
「そうそう。ただでさえ最近、髪の調子がよくないのにさ。くせっ毛がひどくなってんの。そこに薬なんてねえ」
「冷やしたりするといいんじゃないの」
言いながら、私は友人の顔がちょっと赤くなっているのに気が付いた。お化粧に失敗したのかと思ったが、それにしては腫れたような色をしている。
「熱でもある?」
手を伸ばして額に当ててみる。すると私の手がよほど冷えていたみたいで「つめたっ!」と、友人は顔を背けて「手、冷たすぎ!」と大笑いした。
とりあえず元気そうだったので、私はそれ以上は気にしたりしなかった。
けれど、その次の日から、友人は学校に来なくなった。
病気、だと聞いた。けれど、それはしばらくすると、家出、に変わっていた。先生がホームルームの時間に、もしも行方を知っている人がいたら、すぐに先生に教えるように、と厳粛な顔で念を押した。
誰も友人がどこに消えたのか知っている人はいなかった。失踪届も出されたけれど、ずっと行方不明者のまま。
それ以来、私はずっと堪えていることがある。一番前の廊下側の席の子も同じように堪えているようだ。廊下であの噂話を聞いていた子も。
話したい。誰かにウワサの噂を教えたい。
でも私は歯を食いしばって我慢する。何故なら、消えた友人の頭にできていたコブ。今、思い返すと、あれは角だった気がしてならないのだ。




