第228話 霊感
最近になって”霊感”という言葉をよく聞くようになった。私には霊感がある、とか、霊感を目覚めさせるにはこれをするといい、とか、なんともくだらない。なんでもかんでも幽霊だの、お化けだのと言って騒ぎ立てる世間の風潮は誠にけしからん。なんとも薄情で、うんざりするような世の中だ。
俺は霊感などまるでない。信じてもいない。あの世などないに決まってるし、幽霊なんているはずもない。だから、こんな流行りになども興味はない。
けれど、俺の思想などは関係なく、世界は霊感をもてはやしてやまない。遂には我が家にまでその魔の手が忍び寄って、妻や子供が感化される始末だ。全くため息が出る。妻は霊感に目覚めたと言って、幽霊と会話しているし、子供も、お爺ちゃんの声が聞こえた、などと話している。祖父はもう死んでるのに、だ。
更に悪いことに、妻は俺に霊感を目覚めさせる会に参加しろと言ってきた。俺は断固として拒否したが、しつこく勧められると怒りすら湧いてきて、口げんかになってしまう。
ある時、遠い親戚が亡くなったというので葬式に出席すると、葬儀の場だというのに、皆、賑やかに談笑していて驚いた。誰も彼も死者の幽霊と会話しているというのだ。「死んだらまた会おうね」などと口々に言い合っていて、俺は気が狂った集団に迷い込んでしまったような心持ちになって、めまいがしてきた。
疲れた頭を精いっぱい、しゃん、とさせながら、俺は家族を乗せた車を運転して帰路につく。葬式でのあの光景をひとり輪の外から眺めているのは地獄のようであった。妻や我が子まで輪に入っているというのだから、たちが悪い。そんな風にもやもやとした気分を胸に抱えて、気がそぞろになっていたからか、俺は前を走るトラックと追突事故を起こしてしまった。
助手席の妻を見る。それから後部座席の我が子を見る。よかった。二人とも無事だ。だが、なにかがおかしい。体が浮き上がっている。全ての感覚がどんどん失われていく。「助けてくれ!」と思わず叫んだ時、気絶していた妻が目を覚まして、俺の方をじっと見た。
「だから、霊感を目覚めさせなさいって言ったでしょ」
妻は悲し気な視線を俺に向けて、そう囁いた。
「あっ、天の使いが迎えに来たわよ」
言われても俺には何も見えなかった。
「俺はどうなるんだ」
「死者の国に行くの。天の使いが手を引いて迷わないようにしてくれるわ」
確かに何者かに手を引っ張られている。けれど、そこには何もない。
「私が死んだら探しにいくから、きっと待っていてね」
妻はそう言って、涙を頬に伝わせながら微笑んだ。俺は天高く上っていく。俺には霊感がない。他の幽霊の姿などまるで見えない。霊感のない幽霊の俺は、死者の国と呼ばれる場所で、永劫の孤独を強いられるのではないか、そんな不安が頭を過った。
唯一の希望は探しにきてくれると言っていた妻の言葉だ。俺はそれをじっと孤独の中で待ち続けなければならない。そう考えると、生前きちんと妻のいうことを聞いて、霊感を目覚めさせていればと、後悔せざるを得なかった。




