第187話 ゴーストとゾンビ
町外れにある大きなお屋敷。廃墟となって長いその場所は、とても人が住めるような状態ではなかった。けれど、人以外のものにとっては、これ以上ない住み心地だった。近くには墓場、割れた窓からは湿った風が吹き抜けて、梁の上は蜘蛛の巣だらけ。瓦礫が作る影はおどろおどろしく、人間たちを震え上がらせ、物陰で蠢くものたちを喜ばせた。
化け物屋敷と噂されるその場所にはたくさんのお化けが住んでいた。お化け絵画に、お化けピアノ、お化けネズミにお化けコウモリ。そしてそれらの親分としてゴーストとゾンビのふたりが暮らしていた。
ゴーストとゾンビはとっても仲が悪かった。
ゴーストはゾンビのことを空っぽ頭のデクノボウだと思っていたし、ともすれば崩れ落ちてしまうゾンビの体をパズルみたいに組み替えて、悪戯してはあざ笑った。
ゾンビの方はといえばゴーストのことを頭でっかちの気取り屋だと考えていたし、霞んでほとんど見えない姿をペラペラの軽薄者の証拠だと馬鹿にしていた。
化け物屋敷の大広間で、ゴーストが子分のお化けピアノに演奏させて、お化け絵画のオペラに合わせて優雅に踊り始めれば、ゾンビはそれに対抗するように、お化けネズミが柱を齧る音に合わせて陽気なタップを踏みながら、お化けコウモリたちの羽音で伴奏させるのだった。
そんなまるで馬が合わないふたりであったが、激しい稲妻が落ちる夜には身を寄せ合って空を眺めた。
「おいゾンビ、怖いんだろう」
そう言うゴーストもぶるぶると震えていた。
「そっちこそ。こんな激しい風に吹かれたら、ペラペラなお前なんかぴゅうとどこかへ飛んで行っちまうだろうから精々気をつけるんだな」
減らず口を叩きながら、ゾンビの骨がカタカタ鳴った。
「お前こそ空っぽの頭が飛んでっちまうぜ。押さえてやってるんだから感謝しろ」
ゴーストは負けじと言い返したが、そんな時、正面玄関が開け放たれたのを知らせる、ギイギイいう重厚な音が遠くから響いてきた。それからすぐに化け物ネズミたちがチューチュー鳴きながら、人間がやって来たと喚き散らした。
ふたりは先程までの不安気な様子はどこ吹く風で忘れてしまい、喜び勇んで人間を驚かしてやろうと玄関へと向かった。
先に到着したのはゴーストだった。ドタドタと階段を下りるのにてこずっているゾンビを尻目に、壁をすり抜け、ひとっ飛びで目的の場所に辿り着く。
玄関ホールでは血のように真っ赤なとんがり帽子をかぶって黒マントで身を包んだ妙な男が辺りをきょろきょろと見回していた。ゴーストはその姿を見て、おやなんだか見覚えがあるぞ、と思いはしたものの、勢いに任せてその眼前に飛び込んで、思いっきり「ばあ!」と両手を広げてべろべろっと舌を出した。
男の痩せこけた顔の真ん中に鎮座するでかっ鼻を見た瞬間、ゴーストは気がついた。この男は死霊術師だ。雲の上に何百匹の猫がいるかのようにゴロゴロとうるさい雷が墓石に何度も打ちつけられた夜。魂が死者の体から抜け出して、ゴーストとして生まれ落ちた瞬間、この男は近くにいたのだ。自らのしもべにしようとゴーストのことを追いかけまわし、ゴーストは魂からがら、このお屋敷に逃げ込んで、事なきを得たのだった。
そんな過去の記憶がフラッシュバックした時にはもう遅い。ゴーストは囚われていた。がっしと霊体が掴まれて、するりと袋に詰められてしまった。袋には不思議な呪文が描かれていて、通り抜けることはできない。袋の口をがっちり結んでにやりと笑った死霊術師は満足気な足取りで、屋敷を出ようと振り返った。
すると目の前に大きな影が立ちはだかって、死霊術師はポカリと横っ面を叩かれた。ゴーストの入った袋は手からこぼれ落ち、ゴムまりみたいにあちこち跳ねて、物陰の中に飛び込んでいった。ゴーストは生前のことはまるで覚えていなかったが、死後にこの屋敷で暮らした日々が走馬燈のように頭を過っていた。もはやこれまでかと思ったが、床にぶつかった衝撃で袋の口が緩んだおかげで、ひょっこりと頭を出すことができた。
ゴーストがぐるぐる目を回しながらも、影の中から恐る恐る様子を窺うと、丁度ゾンビが死霊術師を追い返してくれた所であった。
ゾンビはゴーストに近づいて無事を確認したが、ゴーストはばつが悪くてしょうがなかった。再び袋の中に頭を突っ込んで、元々霞んで見えやしない情けない顔を隠すようにしてお尻を向けた。
ゾンビがやれやれと思ったのもつかの間、今度はお化けコウモリが裏口から人間が侵入したと知らせてきた。ゴーストは先程のことですっかり参ってしまって動こうとしない。しょうがないのでゾンビは疲れた体を引きずって人間を追い出す為に裏口に向かった。
ゴーストは悔しさでふよふよと宙を彷徨って、あたりかまわず瓶や窓を割って回っていたが、突然裏口の方からゾンビの叫び声がして慌ててそちらへ飛んで行った。
裏口では死相のように真っ青なとんがり帽子と真っ暗なコートを着た男が、脂ぎった顔に乱杭歯の口をにやつかせて、ゾンビをがっしりと捕まえると、なにやら怪しい札をその体に張りつけていた。
思わず飛び出していったゴーストは、男の顔に覆いかぶさるようにして視界を塞いでしまうと、ぎゅーと体を餅のように伸ばして、天井の電球を頭の上に落としてやった。
男は「ひぃ」と声を上げて、目の中に無数の星を散らすと、これはたまらんとばかりに逃げ帰っていく。ゴーストがゾンビの体に張られた札をばっちそうに摘まんで剥がしてやると、ゾンビは手足をピンと伸ばして、しばらくすると起き上がった。
頭をかきかき、照れたようにお礼を言うゾンビにゴーストはなんだかむずがゆくなって、話題を反らすようにして、
「さっきの男はなんだったんだ?」
と、聞くでもなく呟いた。
「屍人使いだ」
と、ゾンビは言って、古い記憶を呼び起こしていた。いくつもの稲光が輝く夜に、まだ温かかった体が冷たくなって土の下に埋められた。そうして魂が抜け落ちると、死体はゾンビとしてひとりでに動き出したのだ。その時、あの男は近くにいた。しもべを求めて墓場をうろつき、動き出したばかりのゾンビに目を付けたのだ。死肉からがら屋敷に逃げ込み事なきを得たが、恐ろしい体験としてもう冷たい脳のシワに刻み込まれている。
ふたりはふうと溜息をもらして、大変な夜だったと今日のことを思い返した。だが事態は風雲急を告げ、ふたりに休む機会を与えてくれはしなかった。
お化けピアノが打ち鳴らされて、お化け絵画の雄叫びが聞こえる。またしても玄関の方に人間が現れたのだ。しかも今度はひとりではない。赤いとんがりと青いとんがりがタッグを組んでやってきたのだ。
ふたりは玄関から伸びる大きな階段の上で身を伏せて、手摺の足を握りながら、格子状のその隙間からどうしたものかと様子を窺った。
死霊術師と屍人使いはご立腹といった風に固く手を握りしめ、目を血走らせてゴーストとゾンビを探している。そして、こそこそと何やら話していたかと思うと二手に分かれて屋敷の中を探し始めた。
ゴーストとゾンビはこれはチャンスと目を見合わせた。赤い帽子の死霊術師をゾンビが、青い帽子の屍人使いをゴーストが追い払おうということになり、早速作戦開始となった。
お化けネズミとお化けコウモリの助けもあって、男たちの居場所はすぐに分かった。ゴーストは軽々壁をすり抜けて、青い帽子の男の元へと馳せ参じる。
まずは先制攻撃とばかりに、足元の絨毯を引っ張って転ばしてやろうと近づいた時、ぬうっと伸びてきた手に気がついて、さっと後ろに飛び退いた。数刻前のやり取りでちょっとばかり腰が引けていたのが幸いしたらしく、何とかすんでの所で、捕らえられずに済んだ。
ゴーストは「あっ」と叫んだ。帽子は青だが中身が違う。相手は悪知恵を働かせて帽子を交換していたのだ。しかも屋敷の壁のあちこちにはゴーストを捕まえた袋と同じ、霊体の通り抜けを防止する呪文が書かれていたのだった。
それからは一転して防戦一方。ゴーストが死霊術師に敵うはずがない。とにかく逃げて逃げまくった。がむしゃらに廊下を飛ぶが、相手はこの道のプロらしい冷酷さで、道なりに呪文を書きながら徐々に網を絞っていく。じっとりと追い詰められて、最後に残された廊下に駆け込むと、反対側からゾンビが逃げてくるのが見えた。
危ないっ、という間もなくゴーストとゾンビは正面衝突してしまった。その時不思議なことが起きた。ぶつかった拍子にふたりは一魂一体となって、混ざってひとつになってしまった。これには死霊術師と屍人使いも驚いて、何事なのかと目を見開いた。それでもすぐに気を取り直して、それぞれ獲物を捕まえようと、ほそっちょろい骨ばった手と、ぶよぶよとした毛むくじゃらの手を伸ばした。
だが、男たちの二本の腕は、冷たい右手と左手でしっかり捕まえられてしまった。即座に屍人使いが御札を張るがまるで効果が無い。死霊術師がゴースト封じの呪文を唱えるが、これもまったく意味がなかった。
それはゴーストでもゾンビでも、死霊でも屍人でもなかった。元々一つだった魂と肉体が死してひとつになったもの。いわばお化け人間であった。
お化け人間は一騎当千の大立ち回りで快刀乱麻を断つが如く死霊術師と屍人使いを追い返し、化け物屋敷に平和が戻った。手下のお化けたちも大喜びで、ピアノはポロポロ弾き鳴らされて、絵画は勝利の賛歌を歌い、ネズミがぐるぐる駆け回り、コウモリが天井高く舞い上がって、万歳万歳の大合唱が巻き起こった。
逃げゆく二つの背中を見ながら、体が「ざまあみろ」と言って笑うと魂も笑った。
「なあんだ。お前、俺だったのか」
魂が言うと、
「そうだったらしい。道理で気に入らない訳だ」
と、体が減らず口を叩きながら、くすりと口元をほころばせて、体から魂を引きずり出した。
そうして再びゴーストとゾンビに別れたふたりは目を見合わせた。
「お前が俺だからって仲良くする必要はねぇわな」
「全くもって、その通りって訳だ」
それから言葉を交わすこともなく、ふたりはそれぞれ背中を向けて元の暮らしに戻って行く。けれど、時々大広間で行われるパーティでは、手を取り合って優雅で楽しいダンスを踊るようになったのだった。




