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井ぴエの毎日ショートショート  作者: 井ぴエetc


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第180話 ボロのイカダ

 朽ち果てかけたイカダが海岸に流れ着いた。骨組みは崩れかけ、帆は鳥にでもつつかれたのか、あちこちに穴が空いている。

 イカダには男が一人乗っていた。意識はなく、命を落とす寸前であった。けれど、地元の住人に発見されて、早急に病院に担ぎ込まれたおかげで息を吹き返したのだった。

 病院のベッドに寝かされた男の傍らに医者が寄り添って体調を確認をしている。そこへ若い警官がやってきて、事情を聴きたいと申し入れた。

「あんたのこと知ってるよ」

 若い警官が、ベッドから半身を起こした男に向かって気安い口調で言う。

「僕の家の近所で靴屋をやってたよな」

 小さな町なので、住民同士がこうして顔見知りであるのも珍しくはなかった。

 男はくたびれたように笑って、

「ああ、俺も覚えているよ、坊やのことは。俺がなめした革を裁断するのなんかを目をキラキラして眺めてたなあ」

 と、懐かしそうに目を細めた。

「それで、どうしたんだい。遭難からの帰還って感じだが」

 若い警官は、部屋から出て行った医者が座っていた椅子にどっかりと腰掛けると、手帳を広げた。

「まさしくそうさ。乗っていた船が無人島に漂着。それでイカダを作って大脱出って訳だ」

「なるほど」

 若い警官は熱心にメモを取りながら、持参したレコーダーのスイッチを入れた。


 レコーダー? いいよ、っておい。いい、って言う前から録ってるじゃねえか。まあ、いいけどさ。さて、どこから話そうか。全部? 初めから? おいおい、そりゃあ、ちょっと……分かったよ。どうせそんなに長い話じゃない。さっき言った通りさ。乗ってた船が沈んじまったんだ。でかい嵐に巻き込まれてさ。今まで、まじめに働いた自分への褒美として、どこか旅に出たくなったんだが、それがいけなかった。後悔先に立たずってやつだな。船の名前? いや、もう大分前のことだから、忘れちまった。家に帰ったら確認するよ。そしたら知らせる。

 うん。でまあ、続きだが、流れ着いたのは無人島でさ。それがひどい所なんだ。木の一本すらないんだぜ。まっさらな砂浜と、いくつかのそんなに大きくない岩だけ。陸があるだけマシってもんだが、まあ最低の場所さ。それに小さいときたもんだ。乗客はほとんど生き残っていた。不幸中の幸いと思うかもしれないがね、これが不幸中の大不幸。数百人はいた乗客が所狭しと上陸して、足の踏み場もないような状態だった。船? 船は俺たちが降りた直後にどっかに消えちまった。バラバラになって沈んじまったのさ。だから、着の身着のままで飛び出した者がほとんどのなか、手近にあったものを持ってこれた奴はヒーローだった。俺も肌身離さずにいた仕事道具だけは何とか持ち出せた。どんな些細な道具でもそこでは貴重品だったよ。

 地獄ってのはああいう場所を言うんだろうな。すぐに何人かがまいっちまった。まず食べ物がないんだからな。植物がないし、当然動物もいない。周りは水に囲まれてるってのに、海水なんで飲めやしない。

 あそこでツイてたのは雨のことぐらいだな。漂着してすぐに雨が降り始めたんだ。俺たちはあらゆるものを使って雨水を集めた。だが、その間も体温が奪われちまって倒れる奴が続出していた。

……あんた、俺たちは本当に極限状態だったってコトを理解してくれるかい? そうか。まあ口ではどうとでも言えるが、理解してくれるって言うなら、ありがたく頂戴するよ。……俺たちは自分が凍えないように、へばっちまった奴らを着たんだ。服を奪ったんじゃない。言葉通りさ。そうしなきゃ、こっちが死んじまうんだからな。こう、背負う感じだな。そうやって暖をとって、水も確保できた訳だ。結構雨が降ったから、ちびちび飲んでりゃ飲み水には困らなかったよ。後は食料だが、へっ? ……はっはっはっ。馬鹿言うなよ。流石に人間は食べねえよ。火はないし、病気が怖いからな。つまり魚さ。当たり前だろ。道具を持ち寄って、銛を作って、魚を獲ったのさ。網も作ったな。俺の持ってた鋏が大活躍だった。他には海藻とか、岩についた小さな貝も食べた。

 けどまあ、俺たちゃ素人だからな。本当に安全な食料かどうかなんて判別できねえ。何人かは腹を壊して、そのままぽっくりさ。俺は運がよかったな。いや、どうだろう。地獄の深みに落ちる前に死んだ奴の方が、運がいいって見方もあるか。

……死んだ奴らは布団になった。腐った肉は温かいんだ。無人島の夜はそれはもう寒くてな。野ざらしで冷たい風が吹き抜けるのよ。一番の敵はこの寒さだった。自分たちの糞尿すら暖を取るのに大事なものだった。……そんな顔するなよ。あんたも同じ状況になったら、そうするよ、きっと。まあ、俺たちも初めのうちはお上品に砂浜を掘って、夜の間は埋まろうかと考えたんだが、砂が細かすぎて、すぐに穴が埋まっちまう。めちゃくちゃ苦労すればできねえこともないんだが、毎晩だぜ。そんなことに体力を使っていられねえよ。こちとら生きるのに必死なんだ。

 けどな、やっぱり自然は厳しい。どんだけ頑張っても、みーんな死んじまった。おまけにいくら待っても救援はきやがらねえ。俺一人残っちまって、はあ。……なあ、そろそろしゃべり疲れちまったよ。もう大した話もないからさ、別の日にしてくれないか。うん。ありがとよ。簡単に言っとくと、無人島を自力で脱出する決心をして、イカダを作って、それに乗って海を越えたってだけだ。命からがら、今に至るってな……。


 なんとも凄まじい話を聞いた後、熱に浮かされたように重くなった頭を抱えて、相棒の待つ海岸へ向かった。相棒はイカダの検分に立ち会っている。

「どうだった」

 相棒が軽く手を挙げて、こちらの首尾を尋ねたが、どうにも言い淀んでしまう。こちらの疲弊を見て取って、気を使ったのか相棒はすぐに話題を変えた。

「見ろよ。ちょっとしたもんだぜこれは」

「なにがだ」

 指差されたイカダを見る。おどろおどろしい見た目をしたイカダだ。白っぽい骨組みが繊維質の縄でしっかりと縛られ、そこに日焼けしたような布が張られている。

 相棒はそれを動物の骨や皮、毛を使って作られている、と感心していたが、僕にはその動物が何か分かっていた。無人島には動物などいなかったと言っていた。木の一本すらなかった、と。それに、その皮には見覚えがある。靴職人の店で見た、なめされた革。その質感とそっくりだった。

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