第18話 奴隷たち
自然豊かな野原の真ん中。定規で真っすぐ線を引いたような道を、奴隷たちを乗せた馬車がトコトコと進んでいる。馬車が引く荷車には大きな四つの箱が積まれており、丁度正方形になるように太い縄で隙間なくぴたりと結び付けられている。その中に一人ずつ奴隷が閉じ込められているのだった。箱は硬く分厚い木材で水一滴すら通さないほど精巧に組み上げられており、上に嵌められた蓋は留め具で固く閉じられ、真ん中には握りこぶしぐらいの丸い穴が空いている。空気を取り入れるのと奴隷たちに食料を与える役割を兼ねた穴だ。四人はその穴から通り過ぎる雲や、鳥や、木立を眺めていた。
「どんな所に売られるのかねえ」
勇ましい声の男がひとりごちると、隣からは「ふう」と憂いを帯びた女の吐息が聞こえ、もう一方の隣からは呑気な声の女が「いいところだといいね」と朗らかに答えた。斜めに位置する箱からはカサコソと葉擦れのような音と、コトコトという金属と木を打ち合わせるような音が微かにしているのみで、その箱に入れられた奴隷は黙り込んでいた。
雨上がりの快晴が箱に降り注いで中の気温はぐんぐん上がっていった。呑気な声の女が堪りかねた様に「暑すぎるよ」と呻き声を上げた。同時にバサバサと扇であおぐような音がする。
そんな様子を漏れ聞いていた勇ましい声の男は、隣の壁を叩いてその箱の奴隷に尋ねた。
「そっちのあんたよう。さっきからちゃぷちゃぷ音がしてるんだが、水があるんじゃないのかい」
声を掛けたのは先程「ふう」と悲し気に息を吐いていた女の方だった。男の言う通り車輪が小石を巻き込んで馬車が左右に揺れるたびに水が揺蕩う音がしている。
「あります」
静かな声の女が短く言った。その時大きく馬車が傾き、小さな悲鳴と共に大きく水が跳ね回る音が響いた。
「たくさんあるみたいだからよ。こっちの彼女に少し分けてやってくれないか」
「それは構いませんが。でも…」
当惑は当然だった。何しろ全員閉じ込められているのだ。勇ましい声の男も特に考えがあって言った訳でもないようで、鼻息を荒くしながら一緒に頭を悩ませた。
「穴から手を出せばいい。手渡しで水を受け渡せる」
その時、今まで沈黙を守っていた箱から聡明そうな声の男が言った。早速全員が手を伸ばしてみるが、腕を穴にくぐらせるのに成功したのは静かな声の女と聡明そうな声の男だけだった。
「俺は腕が太いんだ」
勇ましい声の男が言い。呑気そうな声の女も「あたし、無理…」と悲しそうに囁いた。
腕を出せた二人はお互いに手を限界まで伸ばせば触れることぐらいはできたが、水のある静かな声の女の箱と、水を必要としている呑気な声の女の箱は対角線上にあり、とても届かない。隣の聡明そうな声の男の箱を経由しても穴までは距離がありすぎた。
諦めきれないのか、勇ましい声の男は蓋を突き上げる様に頭で叩いた。杭で打つような音と共に、ミシミシと木が軋んだが、やがて諦めて大人しくなった。
「小さな穴は開くんだが、それ以上はダメだな」
「あまり無理をしない方がいい。御者に見咎められてしまう」
聡明そうな声の男に言われて、勇ましい声の男は落ち込んだ様子で身を丸めた。
沈黙が訪れ、また聡明そうな声の男の箱から葉擦れのような音とコトコトという音が響いてきた。しばらくしてその音が止むと、聡明そうな声の男は静かな声の女に呼び掛けた。
「隣の方、これに水を入れて貰えるか」
静かな声の女が箱の穴に目を向けると、長い木の枝の先に木の葉を編み込んで作られた器がひっかけられている。器は水を注いでも漏れることもない見事な出来だった。「なんだなんだ」と声を上げる勇ましい声の男に状況が説明されると、男は感嘆したようすで荒い鼻息を鳴らした。
「あんた手先が器用なんだなあ」
「ああ。森で暮らしていたからな。木立を抜ける時に穴から手を出して葉っぱと枝を拝借していたんだ。この器と棒で水を届けるぐらいはできるだろう」
言葉通りに水が届けられると、呑気な声の女は生き返ったように大きく息を吐き出した。
「ありがとう!」
「いえいえ。お元気になってよかったです」
女二人が声を掛け合って、男二人にも少しずつ水が分け与えられた。それが終わると打ち解けた様に全員で笑い合った。
どこまでも続く空を丸い穴から眺めながら、呑気な声の女が夢を見るような口調で「ああ、空へと飛んでいきたい」としみじみ言った。静かな声の女もそれに感化されたのか「私は海を泳ぎたいです」と言い出した。
「俺は見晴らしのいい野原でくつろぎたいぜ」
「僕は森を駆けまわりたいな」
男二人もそれに同調して各々の夢を語った。
呑気な声の女が歌い出すと、それに合わせて静かな声の女も歌った。勇ましい声の男が鼻息を鳴らし、聡明そうな声の男がコトコトとリズムを取って、ハーモニーに彩りを添えた。
のどかな風景に美しい歌声が響いた。馬車を引く馬と御者も歌に耳を傾けた。御者は頭が酩酊するような心地よさを感じた。馬は少しずつ速度を落としてよろめいている。しかし御者の意識は遠くなって、止める間もなく馬車は横転した。
積荷を縛っていた縄は千切れて、四つの大きな箱は川のほとりの岩場に投げ出された。その内一つが壊れて、勇ましい声の男が気合と共に起き上がった。どうやら蓋に頭突きをくらわせていたのも無駄ではなかったらしい。男は状況を確認すると、他の奴隷の箱の蓋に取り付けられた留め具を次々に破壊した。
箱からは一斉に奴隷たちが飛び出してきた。そしてお互い顔を見合わせると「あっ」と声を上げた。
そこに居たのは全員が神話上に語られる半人半獣の生き物、ミノタウロス、ハーピー、マーメイド、ケンタウロスだったのだ。川に飛び込んでいたマーメイドが「人間じゃなかったんですね」と驚きと安心が入り混じった表情を向けた。ハーピーは天真爛漫に翼を羽ばたかせて、大きく伸びをした。
「僕は気づいていましたけどね」
ケンタウロスが蹄をコトコトと響かせながら言うと、ミノタウロスは疑いの眼差しを向けたが、すぐに肩の力を抜いて破顔した。爽やかな笑顔で空を見上げると鼻息を鳴らしながら、ツンと尖った頭の角をさすった。
御者と馬はマーメイドの歌にあてられてすっかり目を回していたが、日が傾き始めた頃に目を覚ました。御者は辺りを探したが、不思議な足跡たちが森の奥深くに消えているのを見つけただけで、奴隷たちの姿はどこにも見当たらなかった。