第168話 錆びた足跡
分厚い灰色の雲が空一面を覆い、真夜中のように荒野は影に沈んでいた。雲をかき混ぜるように渦巻きながら、絶えず弾ける雷光が、切れかけた電球のような激しさで、闇に閉ざされた大地をちらちらと明滅させている。
動くものといえば、びょうびょうと唸りを上げる風に吹かれた、葉っぱ一枚すらない枯れた木の枝。そして、それ以外にもうひとつ。
その者は棒のように、じっと立ち尽くしており、ぴしゃりと雷が閃くたびに、カメラのフラッシュを浴びせかけられた被写体のように、闇の中で一瞬姿が浮かび上がる。その姿も写真同様、一歩踏み出しそうとする場面を切り取ったというように、僅かに片足を上げ、もう片足は踏ん張り、両手は振ろうとする最中という恰好で凍りついていた。
大地に打ちつけられる無数の雷のひとつが、棒になった者を貫いた。すると、途端に硝子でできた瞳が爛々と輝き、錆付いた四肢がぎこちなく震えた。内部の駆動音を辺りに響かせながら、中断していた一歩を完遂させるべく、動作を再開し始める。
それは打ち捨てられた機械であり、主動力となっていた太陽電池は暗雲が空を覆って以来、役に立たなくなってしまった。それでもこうして時折、体を駆け巡る電流によって、辛うじて途切れ途切れの旅を続けていたのだった。
機械の瞳は望遠鏡となって、遥か遠くを見通し、荒野を抜けたその先、その縁にある崖を超えた場所へと視線を向けていた。
そこは、雲に遮られておらず、温かな陽の光が満ちていた。
一打、もう一打と雷が頭上に落ちるたびに、機械は僅かに歩を進め、荒野を確実に踏破していった。強い風に押し倒されても、長い時間をかけて起き上がり、諦めることなく彼の地を目指した。
時には枯れ木の下に足を踏み入れてしまって、頭上にくねくねと伸びる太い銅線のような枝に雷を横取りされてしまうこともあった。それでも、じっと耐え忍んでいると、雷に打たれた枝は折れ、燃え上がって消えていった。
そうして後には、ぽつんと機械だけが取り残されて、再び雷に打たれて、ギイギイと音を立ながら、手足を動かすのだった。
やがて汚れた雨がふりはじめて、錆ついた体に、粘っこい膜が張りついた。そうすると、雷から得られる電力の多くを逃がしてしまうようになり、ますます歩みは悠長なものになった。それでも、機械にとっては何も変わらなかった。やるべきことを、できる動作でもってのみ果たそうとするばかりだった。
暗雲に覆われた荒野の果て。せり上がった崖の下に機械は辿り着いた。手を高く掲げて、突き出した岩をがっしりと掴む。そうして少しずつ、機械は崖を登っていく。
岩が崩れたり、不安定な姿勢で電力が切れたりして、何度も機械は地面に叩きつけられた。そのたびに立ちあがり、巨大な崖に挑んでいった。
雲の端である所為か、落ちる雷は少なく、崖への挑戦はこれまで荒野を歩くのに費やした以上の時間を要していた。だが、どんなに時間がかかっても、挑み続ける限り、進んでいるということに変わりはなかった。
そして、遂に、機械は崖の頂上を掴み、足を踏ん張り、体を引き上げた。向こう側は急な坂になっており、機械の身体は投げ出されるようにして、陽の光の下を転がっていった。
丁度、仰向けの姿勢で止まり、背中を大地に抱かれるようにして、機械は天を仰いだ。燦々と輝く太陽は、無限の光を機械の全身に注ぐ。しかし、機械はそれ以上動くことはなかった。ソーラーパネルはとうの昔に破損してしまっていたのだ。
透き通るような晴天の下。機械の錆付いた体は青々とした植物たちに呑み込まれていき、やがて、影も形も見えなくなってしまった。