第16話 靴下
初めて靴下を履いた時の驚きというのは鮮明に思い出せる。くるぶし辺りまでの丈しかない小さな靴下だった。確か赤と緑が混ざった様な柄だったはずだ。そこに足を入れた時、靴下はくるぶしなど軽く超えて、膝上あたりまで僕の足を呑み込んでしまった。靴下がゴムのように伸びたわけではない。靴下の大きさは変わらず、僕の足は片方だけが短くなってしまったように見えた。
足が靴下に食べられてなくなったと思った僕は母にすがりついた。母が靴下から僕の足を抜き取ると、全く無事な足がそこにあった。泣きじゃくる僕に母は神妙な顔をして、もう靴下を履かなくてもいいと言った。
翌日は靴を履くのも怖かったが靴は足を呑み込んだりはしなかった。寒い地方に暮らしていたが、母の用意してくれた暖かい靴のおかげで、裸足でも風邪をひいたりはしなかった。
それからしばらく、靴下とは距離を置いていたが、青年へと成長すると共に、幼さ故の馬鹿な妄想だったのではないかと考えるようになった。子供というものはしばしばとんでもない夢の世界に囚われてしまうものなのだから。
未だに恐怖心がくすぶっていたが、洋服店で靴下を見つけた時、何とかこのトラウマを払拭しなければならないのではないかという思いがふつふつと湧き上がった。恐る恐る靴下に手を入れてみる。するとはめていた分厚い手袋も、着ていたジャケットの袖も、僕の手と一緒にするりと靴下の中に入り込んでしまった。明らかにその靴下の容量を超えており、物理的な法則を無視しているように感じられる。その光景に驚いて慌てて手を引き抜くと、靴下の中に先程まではめていた手袋が残されて、捕食を終えたヘビのようにまんまるに膨らんでいた。
こうなると僕はもう絶対に靴下に触れたくないという気分になっていた。しかし父と出会ってそんな意固地な心は春先の雪のように溶けて消えたのだった。
両親が離婚したのは物心つく前で、写真も残されていなかったから父の顔など覚えていなかった。僕が靴下のことで悩んでいるのを知った母が心配して、父と会うように勧めてきた。正直気が重かった。けれど僕を気遣う母の顔を見ると断ることはできなかった。
父に初めて会った時の印象は”老人”だった。白い髭をたくわえていたからひどく老いて見えたのだ。それでも瞳は若々しく輝いていて、笑顔は包み込むような安心感を振りまいていた。父も幼い頃は同じような悩みを抱えていたと言った。僕は疑わしく思ったが、それを察したのか、父は一足の靴下を取り出して、そこに大きな箱をむんずと掴んだ手を差し込んだ。手品みたいにすっぽりと箱が入り、四角張って膨らんだ靴下ができあがった。この能力は父の一族に受け継がれている大事な力なのだと父は説明した。父は僕に家業を手伝わないかと誘ってきた。相棒だと言って指し示された窓の外には、一台のソリとそれに繋がれたトナカイがいたのだった。