第156話 ダイコン足
月のない夜の畦道を、女が一人、ヒタヒタと歩いていた。
影に隠れて大きな石が、道の真ん中にどっかり腰を据えていたが、女はそれに気がつかず、足を引っ掛けて、田んぼに転げ落ちてしまった。
悪態をつきながら女が起き上がる。女は立ち上がろうとしたが、その時、片足がなくなってしまっていることに気がついた。
チェッ、と舌打ちして、もう一方の足で立ち上がった女は、田んぼの中に手を突っ込んで、失くした足を探し始めた。しかし、いくら探しても、見つからない。やがて女は諦めて、片足でケンケンと跳ねながら、畦道を進んだ。
その女にとって片足がなくなったことぐらいは、なんでもなかったのだが、それでもやはり不便ではあった。女が、どうしたものかと思っていると、畑に生えるダイコンが視界の端にちらりと映った。
近付いて眺めてみるが、太さ、大きさといい丁度よさそうだ。立派な葉っぱを掴んで引っ張ると、すっぽりとダイコンが抜ける。ダイコンは星の光で純白に輝き、艶々としていて美しい。
女がそのダイコンをなくした足の根元に押し付けると、ぴったりとくっついて、中々色っぽいシルエットになった。
女は満足すると、畑から出て、再び道を歩き始めた。
しばらく歩いていると、遠くから車のライトが近付いてきた。車は女の脇を通り過ぎていったが、少し行った場所で止ったかと思うと、バックで引き返してきて、女のすぐ傍でピタリと止まった。
「こんな時間にどうされたんですか?」
若い男が車の窓から顔を出して、心配そうに尋ねてくる。女は空腹だったので、隙を見てその男を喰ってしまうことにした。
「少し道に迷ってしまって」
やや俯いて、男の顔を長い睫毛の間から透かし見ながら女はぬけぬけと答える。男に気弱そうな眼差しを送りながらも、内心では獲物を前にしめしめと舌なめずりをしているのだった。
「それは大変ですね。送っていきますよ。どうぞ乗ってください」
「いいんですか」
「もちろんですよ。さあどうぞ」
男は女を助手席に乗せて、車を走らせ始めた。
世間話などをしながらも、女は男の視線が自分の真っ白な太ももに吸い寄せられているのに気がついていた。しかも、その足は本当はダイコンなのだ。それを思うと、女はおかしくって吹き出しそうになったが、必死で堪えて、儚げな印象を保つように努めた。
それでも、男の反応があまりに面白いものだから、わざとダイコンを見せつけるようにしてやると、男はそれがダイコンだとは露とも気付いていない様子で、目を妖しく輝かせ、ごくりと唾を呑み込むという有様だった。
「もう、夜も遅いですけれど、この辺りには宿がないんですよ。よかったら、僕の家に泊まりませんか」
男がそんなことを言い出したので、女は心の中で喜びながら、表面上は少し戸惑うふりをして、控えめに誘いを受け入れた。
そして、目的地までの道中。女は、無防備に眠る男の頭に齧りついて、その脳味噌を啜るのを想像して、早く味わいたいものだ、と胸を高鳴らせたのだった。
地元の食堂、といった雰囲気をまとった大味な建物の前に車は止まり、男は女を中に案内した。
「僕はここの店主なんですよ」
「そうなんですか」
店内には居酒屋のように長いカウンターの前に椅子が連なっており、カウンターの内側にある台所には火にかけられたままの大きな寸胴がいくつも並んでいる。ぐつぐつという小気味いい音が重なって、地の底でカエルたちがゲロゲロと合唱でもしている風であった。
「よかったら、看板メニューを紹介しますよ。お腹空いてませんか」
女はそんなものより、一刻も早く男を頭から丸かじりしたい気分だったが、事を急いては仕損じると思って、男に付き合ってやった。
一番大きな寸胴の傍へ誘われると、男はいかにも重そうな分厚い蓋を、片手でひょいと持ち上げた。白い湯気が視界を覆い、やがてゆっくりと晴れていく。
「見てください。おいしそうでしょう」
女が寸胴を覗き込むと、巨大なあぶくが弾ける煮立ったスープの中に、人間の頭が浮かんでいた。
あっ、と思ったがもう遅かった。次の瞬間には凄まじい剛力で後ろから突き飛ばされ、女は煮えたぎるスープに頭から呑み込まれてしまったのだった。
「よう。ご主人。おでん一つ」
「はいはい。すぐにお出ししますよ」
客が注文すると、店主は寸胴の中身をすくって、皿によそった。
出てきたおでんを一口食べて、客は舌鼓を打った。
「今日のは一段とうまいねえ」
言われて店主は牙を見せて笑い、
「よい食材が手に入ったんです。体は細っちょろくて、とても喰う気にはならなかったんですが、足を一目見てピンときましたね。コイツはいいおでんの種になるって」
と、八百屋でいい野菜を仕入れたというような気軽さで言った。
「そいつはいいや。今日来たのは運が良かったって訳だ」
客は酒をがぶがぶ飲みながら、機嫌よく喋り続け、他の客たちも次々におでんを注文した。そうして、食堂のどんちゃん騒ぎは、日が昇るまで続いたのだった。




