第133話 毒キノコちゃん
ある時、人とキノコがお話する方法が発見されました。すると急速に人間世界とキノコ世界は近づいて、二つの種族は共に暮らす道を歩み始めたのです。
キノコとお話するには頭にキノコを生やさないといけませんでした。けれど大人になってからではダメです。子供の内にキノコの根を張っておかないとうまくいきません。
いまでは誰もがキノコと一緒です。頭にキノコを生やした人々が町を行き交っています。キノコはとっても賢いので、人間は色々なことを教えてもらって、その代わりに栄養を分けてあげているのです。お互いが補い合って、世界が発展していきました。
小さな町の小さな公園で、二人の子供が遊んでいます。当然、二人とも頭からキノコを生やしています。一方の子のキノコは地味な土色。もう一方の子のキノコは色鮮やかで、眩しい花のようでした。しかし、その華やかなキノコには毒があったのです。
毒キノコを頭に生やしたその子供は近所の人たちに毒キノコちゃんと呼ばれていました。しかし本人はそんなことは知りません。頭のキノコに毒があるなんて夢にも思わず、綺麗な色をしたそのキノコはその子の自慢なのでした。
普通は毒キノコが頭に生えることはありません。人間世界のお医者さんとキノコ世界のお医者さんが、子供に生やすキノコを選びますが、その時に毒のあるものは選ばれないようになっているのです。
危険を訴える人もいましたが、毒キノコちゃんは今まで人に危害を加えたことはありません。毒胞子がわずかに漂うことがあったとしても、せいぜい体がほんの少しだけびりびりするぐらいです。なので、みんな、恐れながらも距離を取って眺めるだけにとどまっていました。
毒キノコちゃんとお友達は仲良く遊びます。毒キノコちゃんが走り回るたびに毒の胞子が空気中にばらまかれます。するとお友達は少しだけ体が痺れて、喉がイガイガしてきます。けれどお友達は毒キノコちゃんと遊ぶのをやめようなんて思いませんでした。毒キノコちゃんがとっても優しいことを知っていたからです。二人は親友なのでした。
ある日、毒キノコちゃんは大怪我をしてしまいました。車にひかれそうになったお友達を庇って、代わりに車にぶつかってしまったのです。おぼろげな意識の中で、お友達の泣き声が聞こえてきます。
毒キノコちゃんが目を覚ますと、お友達がそばにうずくまっていました。傷は不思議と治っています。お友達は自分の頭のキノコとお話をしているようでした。そしてしばらくすると、ひどく思い悩んだ様子で、毒キノコちゃんを置いて、帰っていってしまいました。それからお友達は毒キノコちゃんと遊ばなくなってしまったのでした。
毒キノコちゃんはどうしたらいいのか分かりません。色んな人にお話を聞いて回りました。毒キノコちゃんはお友達以外とは全く話したことがなかったので、大変な苦労でした。そして、みんなのお話の端々から、自分の頭に生えているキノコが普通ではないことに気づき始めてしまいました。そうしてついに、それが毒キノコだと知ってしまったのです。毒キノコちゃんは驚きと共に納得もしました。自身の毒が原因でお友達が遊んでくれなくなったのだと思ったのです。
毒キノコちゃんはお友達に会いに行きました。頭を下げて謝ります。お友達は困ったように、身じろぎしました。毒キノコちゃんは頭のキノコと決別する意思を固めていたのです。毒キノコちゃんは今まで頭のキノコと会話したことがありませんでした。一般的には頭にキノコが生えてきて、しばらくするともうキノコの言葉が分かるはずです。けれど毒キノコちゃんにはそれがないのでした。だから、キノコがいなくなっても構わなかったのです。それよりも、お友達のことの方が、ずっとずっと大切でした。
お友達は言います。
「そうじゃないの。毒があっても全然、気にならなかった。イヤなことなんてなにもなかったの」
そうして必死で止めようとしましたが、毒キノコちゃんの決意は固く、頭のキノコを両手でがっしりと掴むと、思いっきり引っ張りました。
嗚咽のような悲鳴を上げたのは、お友達の方でした。毒キノコちゃんの頭から、キノコが引き抜かれて地面に落ちます。けれど、おかしなことに、その瞬間、毒キノコちゃんの体は糸が切れた人形のように崩れ落ちてしまったのです。
「…あなた、人間じゃないの」
お友達は囁くように、ぽろぽろと言葉を零しました。
「怪我が勝手に治るのを見てしまったの。腕がちぎれてたのに。だから、人からキノコが生えてるんじゃなくて、キノコから人みたいなものが生えているんだって、気がついたの」
毒キノコちゃんは床に転がりながら、そんな告白を唖然と聞いていました。お友達は、もはやただのキノコになった毒キノコちゃんをそっと拾い上げると、湿った森に連れていきました。そうして森の中に毒キノコちゃんを置くと、何度も謝りながら、遠く遠くに離れて行ったのです。そんなお友達の姿が、毒キノコちゃんの心の奥に深く刻み込まれました。
長い長い時間が経つと、毒キノコちゃんの根元から、再び人間の形をしたものが生えてきました。
毒キノコちゃんは身を起こして、ふらふらと森の中を彷徨います。背の高い樹々が立ち並び、大きく枝を広げています。影が濃くなり、苔が生い茂る場所につくと、キノコがいっぱい生えていました。
キノコたちはザワザワと騒がしく、毒キノコちゃんに話しかけました。
「あなた、人間? 人間?」
「…違う、みたい」
「じゃあ、キノコ? キノコ?」
「…そう、だと思う」
「あっははは。全然ちがうよ。あなた、何? 何? あははははは」
轟音のような嘲弄の声から逃げるようにして、毒キノコちゃんは立ち去りました。
しばらく歩いていると、花畑でハナカマキリに呼び掛けられました。
「それだけ人間そっくりなら、狩りもさぞかし上手にできるだろうね」
毒キノコちゃんはムッとします。
「人を傷つけるなんて、考えたこともない!」
積み上がった落葉の上で、コノハチョウが羨ましがります。
「一緒の見た目なら攻撃されなくて、安心だね」
毒キノコちゃんは否定します。
「私は喧嘩するのも楽しかったよ」
少し明るい林では、カメレオンが感心します。
「街中にいても、誰も君に気がつかないだろうね」
毒キノコちゃんは悲しくなります。
「私は気づいてほしい。もっと一緒にいたかったよ」
辿り着いた湖の畔で、毒キノコちゃんは倒れてしまいました。なんだかすごく疲れてしまったのです。なにもかもが楽しくない夢のなかのようでした。力が抜けると人間の形をした部分がしなしなとしぼんで、ひどく幼い姿になってしまいました。
「大丈夫?」
毒キノコちゃんが目を開けると、そこには女の子がいました。倒れている毒キノコちゃんの顔を覗き込んでいます。毒キノコちゃんは何とか体を起こすと、二人は少しお喋りしました。
女の子はアイちゃんという名前です。近くのお家に住んでいて、森で拾ったものを売って生活しているそうです。休憩がてら湖へ立ち寄って毒キノコちゃんを見つけた、ということでした。
「私、人間じゃないの」
毒キノコちゃんはうなだれて言いました。そしてアイちゃんの反応を窺うように、伏し目がちな目線を泳がせます。
「あたしもそうなんだ」
アイちゃんは笑います。アイちゃんの頭には赤々としたキノコがつやめいています。毒キノコちゃんはそれに目を向けて「えっ?」と驚きの声を上げました。
「あたしたち同じだね」
「…うん」
「じゃあ友達だよね」
毒キノコちゃんはおずおずと頷きました。それを見ると、アイちゃんはすきっ歯を剥き出して、満面の笑みを浮かべました。
毒キノコちゃんは湖の近くに住みついて、アイちゃんは時々そこへ遊びにきました。毒キノコちゃんはやっと自分の居場所を見つけたような、とっても嬉しい気分でした。
しかし、ある時、アイちゃんの様子がおかしなことに毒キノコちゃんは気がついたのです。かけっこの途中になんだか辛そうに息を切らして、何度も転んでしまいます。「どうしたの?」と声をかけても、悲しそうな微笑みがこぼれるばかりでした。
気になった毒キノコちゃんは、遊び終わって帰っていくアイちゃんの後をこっそりついていきました。毒キノコちゃんがアイちゃんの家に遊びに行きたいと言うと、いつもアイちゃんは、恥ずかしいからダメ、と言っています。毒キノコちゃんもアイちゃんの嫌がることはしたくありません。けれど、この時ばかりは毒キノコちゃんはどうしてもアイちゃんのことを知らなくてはいけない気持ちに突き動かされていました。
アイちゃんは森の外へ出て、閑散とした町を歩きます。そうして町の外周の、人通りがまるでない道を行くと、ほとんど廃墟にしか見えない、ボロボロのお家に到着しました。
アイちゃんが扉が開けます。その瞬間に怒声が響き渡りました。毒キノコちゃんはびっくりしてしまって、そのお家から少し離れた位置でしゃがみこみました。物が壊れる音がいくつもして、アイちゃんは扉の前で立ち竦んでいましたが、やがて太い腕がぬうと伸びてきて、アイちゃんの首根っこを掴んで家の中に連れていってしまいました。
一部始終を見ていた毒キノコちゃんは慌てて家に近づきます。
「こんな時間まで何やってたんだ!」
恐ろしい声が、空気や壁を震わせて、外にまで届いてきます。
「お前は俺の道具だ! 道具らしくしろ!」
強く何かを叩く音がして、アイちゃんのくぐもった悲鳴が聞こえてきました。すると、毒キノコちゃんはいてもたってもいられず、お家に飛び込んでいきました。
クマのような人間が、アイちゃんをいじめています。毒キノコちゃんはカッとなって、毒の胞子をまき散らしました。たちまちクマのような人間は泡を吹いて床に寝転がってしまいました。
毒キノコちゃんとアイちゃんは抱き合って、大声で泣きました。そうして、涙も枯れてしまった頃、お家の扉を叩く音がして、二人は跳び上がるほど驚くと、石のように固まってしまいました。
「警察ですが。少しよろしいでしょうか」
二人は息を呑みます。すぐそこにはクマのような人間が身じろぎひとつせず、横たわっています。扉は辛うじて閉まっていましたが、鍵はかかっていません。今にも中に入って来そうな気配を感じた毒キノコちゃんは、思わず返事をしました。その声は、なんだか大人びています。
「今、出ますので、少し待って下さい」
アイちゃんを座らせて、扉の方に駆け寄ります。扉を開けると二人の警官が立っていて、探るような視線を一斉に向けました。
「激しい喧嘩をしているような音がするとの通報があったのですが」
「ごめんなさい。うるさくして。もう大丈夫です」
「あの…、あなたは?」
「この家の、母親です」
そう答えた毒キノコちゃんの体は、いつの間にか膨らんでいて、大人の姿に見えました。その瞳には強い意思と慈愛が秘められています。
「お母さん、ですか? 以前、児童相談所の件で伺った時にはいらっしゃらなかったと思いますが。…失礼ですが、本当にこの家のお子さんのお母さんですか?」
「ええ。もちろんです」
「今、お子さんはいらっしゃいますか?」
「はい。アイちゃん。こっちにおいで」
アイちゃんが部屋の奥から出てきます。警官たちは心配そうな眼差しを投げかけましたが、心からお母さんを信頼している様子のアイちゃんに首を傾げました。
「お父さん、はどうされました?」
警官は部屋の奥を覗き込みます。そこにはクマのような巨体が倒れているはずでしたが、アイちゃんの頭のキノコが胞子で覆ってしまっていたので、遠目には絨毯が敷かれているようにしか見えませんでした。
「出て行きました」
毒キノコちゃんが答えます。その時、ふわりと毒胞子が舞って、警官たちは眠たげにまぶたを擦りました。
「…分かりました。次からは気を付けてください。今日はこれで失礼しますが、何かあればご気軽にご連絡ください」
警官たちは帰っていきました。バタリと扉が閉まると、毒キノコちゃんとアイちゃんは目を合わせ、緊張が解けたようにほっと息を吐き出しました。
「おかあさん」
「アイちゃん」
二人は呼び合うと、幸せそうに身を寄せ合ったのでした。




