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第13話 欲

 広い湖の真ん中で男がひとり小舟を浮かべて釣り糸を垂らしていた。その日はほとんど風がなく、さざ波ひとつない湖面には淀んだ空が鏡のように映りこんでいる。

 釣果もなく、もう帰ろうかと男が糸を上げると、針の先に小さな黄金のランプが引っかかっていた。男はそれを手に取りまじまじと眺めた。表面は汚れて随分くすんではいるが、美しい文様がかすかに見て取れ、手の平にずしりと響く重さはその価値を存分に感じさせた。

 男はより子細に確認しようとその表面を擦った。するとランプから真っ暗な煙が噴き出し、みるみるうちに形を成した。それは悪魔だった。耳まで裂けた口からは鋭い牙が覗き、瞳は燃え盛る炎のようで、頭からは曲がりくねった角が生えている。

 悪魔は男を認めると、魔法のランプのおとぎ話さながらの言葉を口にした。

「お前の願いを一つだけ叶えてやろう」

 獣の唸り声のような禍々しい声に男は震えあがりながらも、その頭は欲でいっぱいになっていた。

「へへ…。なんでもよろしいんで?」

 男がひきつった顔に卑屈な笑みを浮かべると、悪魔は深く頷いた。

 悪魔は人を欺くものだと男は理解していた。男は罪人であり、騙し騙される世界の中に長年身を投じていた。だからこそ自分こそは欺かれないという自負があった。

 一番初めに思いついたのは大金だったが、今いるのは船の上、願えばたちまちのうちにこの小船を金で満たして湖の底に沈めるに違いなかった。それにせっかく悪魔にお願いするのであれば、この世界の誰も持ちえないような究極の贅を手に入れたかった。男は思い悩んで、やがてある願いに辿り着いた。

「私を天国に連れて行ってもらえませんかね」

 天国はこの世のあらゆる贅が集い、想像もできないような快楽が得られるだろうと男は思った。それに悪魔の願いの代償は魂に決まっているが、天国に行きさえすれば手出しはできないだろうと考えたのだ。

「いいだろう」

 あまりにもあっさりと了承されたので、男はいささか狼狽えた。

「あのう。行く前にちょっとどんな所か教えてもらえませんかね」

「知識が願いならそれを叶えよう」

 男は両手を前に突き出して、今更別の願いにすり替えられてはたまったものではないと、慌てて訂正した。

「いえいえそんな。天国へ行くことが願いです。さあ連れて行ってください」

 男は自分の人生を振り返って、必ず地獄へ送られるであろうことは自覚していた。幾度も悪事に手を染め、今この時すら追っ手から逃げ隠れている最中なのだ。現世にもはや未練はなく、この機を逃す手はなかった。

 男は覚悟を決め、天国という素晴らしい場所へ思いを馳せた。

 悪魔が何やら唱えると男はこの世界から消えてしまった。


 男は天国にいた。何も見えない。目をつぶってしまったかと思ったが、そもそも目蓋がない。声を上げようと思ったが、口がない。そこには何もない。光も闇も音も男の体も。ただ男の魂が漂っているばかりで、周りの他の魂があるのかも分からない。

 天国は欲から解放された者の魂のみが到達し得る場所であると男は気づいた。欲を満たすという概念すら存在せず、男の欲望は乾き飢えるばかりだった。

 男の魂は慟哭した。悪魔にひれ伏し懇願した。元の世界に帰りたい。その為なら魂すら売り渡すつもりだった。

 そんな男の願いが届いたのか、どこかで悪魔の笑い声が聞こえた気がするのだった。

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