第118話 怒れるタケノコ
小高い山の中に鬱蒼と茂った竹林。天を衝くほど成長した竹たちが月の光を浴びて、幾筋もの細長い影を緩やかな斜面に投げかけている。そんな格子状の影の檻の中に蠢くものがあった。顔面中に髭を蓄えた栗のような男が、棘をほっかむりの内側に刺しながら、こそこそと地面を探っている。男のそばには大きなカゴが置かれ、中にはタケノコがぎゅうぎゅうに押し込められていた。
男はこのところ毎晩のように竹林を荒らし回っているタケノコ泥棒だった。男が悪事を働いた後には乱暴に折られた竹が散乱し、見るも無残な姿であった。地面は穴ぼこだらけになっており、近隣の住人たちはほとほと困り果てていたのであった。
今日もたっぷりのタケノコを盗り、重くなったカゴを背負って男はほくそ笑んだ。そうして立ち去ろうと夜闇の中、足を踏み出した時であった。一本取り逃していたタケノコにつまづいて、男は転んだ拍子にカゴの中身をぶちまけてしまった。散らばったタケノコを急いで拾い集めると、元通りにカゴに詰め直す。そうしているうちに顔はゆで上がったように真っ赤に染まり、目元口元は大きく歪み、まさしく怒り心頭といった風であった。男は自分をつまづかせたタケノコを睨みつけると、何度も蹴りつけながら罵詈雑言を浴びせかけた。元々逆上しやすい性質で、粗暴な性格であったので、例え相手がタケノコであっても、その怒りは中々おさまることはなかった。しかし、男の激しい攻撃をタケノコは涼しい顔で受け止めて、全くもってびくともしないのであった。そんな様子に男はますます腹を立て、なんとか掘り出して痛めつけてやろうとしたが、その辺りの地面は特別頑丈で、結局、手を土で汚して指先を痛めたぐらいで、徒労に終わることになった。
ぐずぐずしてると見つかってしまうかもしれない。長時間格闘した後、男はやっと冷静になって、疲れ果てた体とカゴいっぱいのタケノコを抱えて、山を下って家に帰っていった。
男の家は竹林のある山の麓にあり、節だらけの木材で作られた粗末な小屋であった。
家の中に積み上げられたタケノコの前に座って、男はにんまりと笑った。全て売り飛ばすつもりであったが、今夜は嫌な出来事もあったので、そのむしゃくしゃを晴らす意味でも一本食ってやろうと、特に色艶がいい一本を手に取った。そうしてガタガタに並んだ分厚い歯で、柔らかいタケノコをかみ砕いてやろうとしたが、その時、尻にチクリと当たるものがあった。
跳び上がって床を見ると、小さな棘が床から頭を出している。男は木材のささくれかと思って覗き込んだが、男の見ている中、同じような棘が、草が生い茂るようにしてブワッと床から生えてきた。そして見る間に成長したかと思うと、次々に床を突き破って急速に成長していった。
それは竹だった。数多の竹が束になって、先程男が座っていた辺りの床を粉々に破壊した。その勢いのままに天井に鋭い切っ先を突き立てていく。
男は壁にピタリと背中をくっつけて、その光景を唖然と眺めていたが、壁や床から伝わる振動に気がつくと、恐怖を感じて跳び退いた。四方八方から鋭い切っ先が男の体を刺し貫こうと襲い掛かって来る。
すんでの所で槍のように伸びてくる竹たちから身を躱した男は、ほうほうの体で金庫の中に飛び込んだ。粗末な小屋に似つかわしくないがっしりとした金庫。それは男の欲望の強さを表すように、人一人ぐらいは簡単に呑み込める大きさであった。
中に入ってガチャリと扉を閉じる。今まで盗みで稼いだ大量の金が詰め込まれていたが、その隙間に男は体をねじ込んだ。外側からは無数の矢が射かけられているような、異常な振動と音が響いてくる。男は金と身を寄せ合って、金庫の壁が貫かれないよう、必死になって願い続けた。
鋭く尖った竹をもってしても、金庫の分厚い鉄板を突破できないようだった。そのことに男はほっと息をついたが、状況が決して良くはないことは理解していた。このままでは閉じ込められて、餓死か、酸欠で死ぬしかないのだ。ガンガンと勢いよくぶつかってくる竹の音が金庫の中に響いてくる。竹が金庫を貫けないのと同じく、男も身動きできない膠着状態が続いた。
真っ暗な金庫の中で、いつの間に男は眠ってしまっていたようだった。脂汗でべっとりと濡れた体を起こそうとして、金庫の天井にガンと頭をぶつけた男は、ふと、竹の攻め手が止んでいることに気がついた。耳を澄ますが、外は何事もなかったようにしんと静まり返っている。もしかしたら、全て悪い夢だったのかもしれない。そう考えた男は、内側から金庫の扉を押し開けて、外に向かって体を伸ばした。
外には何もなかった。想定外の状況に、男はバランスを崩して、金庫の外に放り出された。男の手は雲を掴み、足は空を泳いだ。天まで伸びた竹たちに持ち上げられて、金庫は今や地上より遥かに高い場所にあったのだった。
男は絶叫を上げた。その凄まじい絶望の雄叫びは、山の上、竹林のなかへと吸い込まれていく。その無慈悲な落下の終点には、男が蹴飛ばし罵倒したあのタケノコが鋭く尖った頭を伸び伸びと天に向けて待ち構えていたのであった。