第106話 桃実る頭
ある日、男が山奥で山菜を採っていると、桃がひとつ上から落ちてきて、頭にすとんとぶつかった。男はなんだと見上げたものの、桃の木などはどこにもない。不思議に思い、その桃を拾い上げると、大層いい香りがして男はごくりと唾を呑み込んだ。その時、頭上に生い茂る樹々の葉のなかから大蛇が顔を出して男をねめつけると、舌をチロチロと揺らめかせた。驚いた男は桃を握りしめて慌てて山から駆け下りたのだった。
家に帰ると、甘い香りに誘われて男は桃にむしゃぶりついた。果汁がじゅわりと飛び出ると、口のなかを満たして芳醇な香りが鼻から抜けていく。男がその美味しさに夢中になって、しゃぶりつくようにして貪ると、思わず種まで呑み込んでしまった。男は目を剥いて、吐き出そうと何度か咳をしたが、種は一瞬の内に胃の腑まで落ちてしまったようであった。男はどうも腹のおさまりが悪い気分になりながらも、すぐにそんなことは忘れてしまい、ゴロンと横になって眠ってしまった。
次の日、鏡の前で、男は自分の髪に妙に固く太い奇妙な毛が一本混じっていることに気が付いた。訝しく思ったものの放っていると、それはどんどん成長して三日目には立派な木の形に成長していた。
それは桃の木であった。すぐにいくつもの実が枝に連なり、男が手に取って一口齧ってみると、極上の味と香りであった。男は喜び、自分の頭から桃を採っては食べて過ごした。
男の頭に実る桃は日が経つごとに増えて行った。とうとう食べきれない量にまでなると、寝ているうちに実が腐り落ち、ひどい匂いが漂うようになった。男は元々大雑把な性格だったこともあって、特に気にせずにいたのだが、実る桃はどんどん増えており、腐った桃があたりかまわず散乱するようになると、その腐臭に群がるようにして様々な虫や小動物が群がってくるになった。それはやがて昼夜構わぬ凄まじい奔流に膨れ上がり、男は命の危機を感じ始めて、なんとかしようと頭を捻った。
こうなれば頭の木を切ってしまうのがいい、と男はのこぎりを片手にその幹を引っ掴んだ。そうして刃を当てると、脳天から体全体に稲妻が落ちたような激痛が駆け巡って、男はばたりと倒れてしまった。
よろよろと立ち上がった男は木を切るのを諦めて、それならばと、食べきれない桃が腐る前に近所の人々に配って回ることにした。男の桃は美味として評判になり、欲しがる者が殺到したので桃の実が腐ることはなくなった。しかし未だ桃の実る数は増え続けていた。
噂はどんどん広まって隣町、更に隣町、更に更に隣町へ伝わっていくと、桃のことを聞きつけた商売人が男のもとへとやって来た。そして男の桃を世界に向けて販売したいと言い出した。
頭の木に実る桃は着々と増え続けており、その処理に頭を悩ませていた男には渡りに船の話であった。
男の桃は飛ぶように売れた。しかし、それでも桃の実る数は加速度的に増加しており、収穫数が販売数を上回ってしまった。こうなると桃はみるみる安価になっていった。商売人は値崩れを防ごうと、流通数を抑えるように奮闘したが、余った桃の保管や処分などにかかる費用が馬鹿にならなくなってしまうと、最終的には開き直って薄利多売とばかりにタダ同然で売り出し始めた。
そんな状況に意を唱えたのが、桃を栽培する桃農家たちだった。男の桃が流通するようになってからというもの、それ以外の桃にはほとんど見向きされなくなってしまっていたのだ。香りも味も良く、値段も安いとなれば消費者が男の桃を選ばない理由はなかった。
しかし、どんなに抗議されようと、男にはどうしようもない。桃が実るのを止めることはできず、収穫しなければ百鬼夜行が如く様々な生き物に群がられ、取り殺されそうになるのだ。
要求を聞き入れない男に対して、一部の乱暴な桃農家が強硬手段に訴えた。男のもとへ赴いて、頭の木を引っこ抜いてしまったのだ。男はあまりの痛みに失神して、そのまま死んでしまった。
男の遺体は山に捨てられた。男が桃を食べ続けていたからか、その全身からは桃のような香りが立ち昇り、肉は柔らかそうでいかにも食べがいがありそうだった。山の生き物たちがごちそうにありつこうと眼を光らせたが、山の奥からやって来る恐ろしい気配に気がついて、サッと波が引くようにどこかに身を隠していった。
ぬるりぬるりと大蛇が姿を現した。それは男が山で桃を拾った時に出会った大蛇であった。大蛇は男の周囲をぐるりと回ると、パクリと男を呑み込んだ。そしてそのままとぐろ巻いて、満足そうに舌をチロチロを揺らめかせると、ゆっくりゆっくりと極上の肉を楽しむのだった。




