第1044話 未来の支配者
「つまりは、未来予測すらも可能なのです」
研究所の一角。純白の壁と天井。集まった記者たちの目の前には巨大モニター。その横に立つ博士が端末を操作すると、超性能コンピューター”森羅万象計算機”についての情報が次々に表示される。
けれども、小難しいことはどうでもいいとばかりに、記者のひとりが、
「だったら、やってみせてもらえませんか? その未来予測とやらを」
この要望に、博士はあっさりと頷いて、
「いいですよ。予測させたいことがあれば、わたしがこの端末を使い、質問として入力しましょう。結果はご覧のモニターに表示されるようにします。ではどうぞ、おっしゃってください」
強い自信が伝わってくる態度。
記者は、すこし考えてから、
「じゃあ……明日の天気を……」
すると別の記者が「そんなの、合ってるかどうか、いま確認できないだろ」と、つっこみを入れて、会場にさざ波のような笑いが起きた。
けれども、とりあえずやってみせてもらうことになり、さっそく博士が入力。
壁の裏側、前後左右から、わずかな振動が伝わってくる。
超性能を持つだけあって、森羅万象計算機は超大型。
それは、研究所をまるごと機械化して、無数のコードを血管か神経組織のように張り巡らせなければならないぐらい。
いま皆がいる会議室も、もちろんその一部というわけ。
心臓の鼓動にも似た駆動音が聞こえてくると、まるで超巨大な怪物の腹のなかにいるような感覚に、数名の記者がぶるりと身を震わせた。
「”明日の天気”と、ひとくちに言っても全国各地で違います。なので、今回はこの研究所一帯の天気とさせていただきました。ご了承ください」
博士が言い終わると同時に、モニターに膨大な数値の嵐が表示される。
何時何分何秒、いつからいつまでが晴れ、曇り、雨なのか。さらには、風や湿度に至るまで、詳細な情報が網羅されている。
記者たちは、おお、と、ちいさな感嘆の声。それからペンを走らせる。モニターを写真に収める者もいる。明日、実際の天気と照らし合わせれば、これが正しいかどうかがハッキリするだろう。
他にはないか博士が訊くと、手を挙げた記者が、
「ぼくがコインをはじくので、それが表か裏かを予測してもらえませんか」
それならすぐにでも正否の判断ができる。
まだ森羅万象計算機の性能について疑っている記者は、もしかしたら博士が断るのではないかと考えた。天気とは異なり、参照可能なデータがすくないし、非常にシンプルであるが故に予測困難に違いない。
だが、これもまた二つ返事で快諾されて、言い出した記者はモニターの前へ。
注目が集まるなか、財布から硬貨が取り出される。
博士が端末を操作すると、モニターに表示されたのは、
”表”
それを確認すると、記者はコインをはじいた。
高々と宙を舞い、照明を受けて輝いたコインは、天井付近をかすめて落下。
床で何度か跳ねた後、パイプ椅子の隙間に転がりこんでいく。
皆が、一斉に場所を開ける。
そうして、コインを発見した記者が声を上げた。
「表だ……!」
かわるがわる全員が覗きこんで確認する。
けれど、当然と言うべきか、納得した者はひとりもいなかった。
「一回なら偶然ってこともある。せめて十回ぐらいは連続で当ててもらわなきゃ」
そんな声に応えて、二回目の予測。
的中して、三回目。
四回目……五回目……六回目……
コインを投げる者を変えたり、コインを別のものにしたりしたが、何度やっても森羅万象計算機が予測した通りの結果になる。
文庫本を手にした記者が、目をつぶって開いた箇所のページ数を当ててみるように言ったが、それもピタリと的中。
いま開催されている競馬の結果はどうかというのは、一着から最下位まですべての順位を当ててみせた。
ここまでくると、皆の感情は驚嘆を飛び越えて、畏怖へ。
「なぜこんなことが可能なんですか?」
記者のひとりがぽつりとこぼした質問に、博士が答えた。
「単純に計算能力が高いからです。最初、森羅万象計算機は、ごくごく普通で平凡なスーパーコンピューターにすぎませんでした……」
語られたのは、森羅万象計算機誕生の経緯。
鍵となるのは”進化プログラム”。
研究所で開発された進化プログラムを実行したスーパーコンピューターは、自分よりも一秒でも早く計算できるハードウェア、ソフトウェアを完成させた。
そうして生まれた二号機に再度進化プログラムを実行させると、同じようにより優れた性能を持つ三号機が出来上がる。
それを繰り返すうちに、とうとう未来を掌握できるほどの計算能力にまで、手が届いたというわけ。
「なので、わたしや研究所の職員たちですら、把握できていない部分があることを認めざるを得ません。一種の神秘性を伴って絶対的な力をふるっているわけです。カオス理論にバタフライエフェクトという言葉があるのをご存じでしょうか。一頭の蝶の羽ばたきが、遠い彼方で嵐を呼ぶ。その過程では、複雑怪奇な物理的変換が合わせ鏡の像の如くに連続するわけですが、それすら、森羅万象計算機にとっては簡単な計算だと言えます。今日、人はカオスを克服しました。森羅万象計算機は、人を次のステージに導き、輝かしい未来をもたらしてくれる人造の神なのです」
浪々と会議室に響く博士の演説。
記者たちはそれぞれに未来について想いを馳せて、しばしの静寂が場に満ちた。
そんなとき、後ろのほうに座っていた記者が、
「ちょっといいですか?」
「はい、どうぞ」と、博士。その頬は興奮からか、ほんのりと朱に染まっている。
「一万年後の人口を計算してみてもらえますか」
「なるほど。そこまで先の未来予測はしたことがありませんでしたが、せっかくの機会なので挑戦してみましょうか」
博士が端末を操作しはじめると、全員が厳粛な面持ちになる。
もはや、森羅万象計算機の能力を疑っている者は誰ひとりいない。
神託を求める信徒の如く、結果が算出されるのをじっと待つ。
妙に長く感じる時間の後、モニターに表示されたのは、
”0”
「これって、人類は滅亡してるってことですかね?」
誰かが言うと、博士は若干言葉を濁して、
「かもしれませんが……あまりにも遠い未来のことなので、えー、計算結果に多少のブレが……いや……決して予測が外れているわけではなく……多次元的なアレがですね……ソレで……可能性のひとつとして……」
とはいえ、あまりのも先のこと。どうせ自分たちは死んでいる。衝撃はそれほどでもなく、さすがの人類の繁栄も、一万年は続かなかったか、という納得の感情が大半であった。
この結果を受けて好奇心を刺激された記者のひとりが、
「人類滅亡後に地球を支配する種族はなんですか?」
この質問に、虫だろうと言う者がいたり、タコかイカだという主張があったり、植物だという意見も。
まるで学生の放課後みたいな雰囲気で、様々な予想が飛び交う。
博士も興味が湧いたのか、すぐに森羅万象計算機への入力がなされた。
だが、なかなか結果が算出されない。
よほど凄まじい計算がなされているのだろう。
固唾を呑んで皆がモニターを見つめていると、壁の裏から聞こえる唸りが力強さを増して、一瞬だけ画面が乱れた。
そうして、ようやく表示されたのは、
”テンジクネズミ”
文字列のおかしさにいくつかの笑い声がこぼれたが、すぐに消えて、
「どういった経緯でテンジクネズミが未来を支配するようになったんですか」
真剣なのかふざけているのか、判別つかない表情の記者が尋ねる。
再度、未来予測がなされるが、先程と同じように画面が乱れて、それからふつりと消えてしまった。
慌てた博士が確認するが、復旧の目処はつかない。
「どうやら強い負荷でモニターとの接続が不安定になったようです。画面は消えてしまいましたが、森羅万象計算機は問題なく稼働しています。いま、中央部のほうから結果を送ってもらうので、しばしお時間を」
それからしばらくすると、印刷用紙を手にした職員がやってきた。
手渡されたものを覗きこんだ博士は沈黙。
ややあって、
「ええーっと。端的に説明いたします。未来予測の結果は……これには過去も含まれているんですが……いまから約一年前にですね……一旦、場所は伏せますが……とある研究所の実験の影響で……テンジクネズミ……オニテンジクネズミじゃないですよ……カピバラではなく、モルモットがですね……人間を凌駕するほどの知能を得て……脱走したと……その個体の子孫が人類への反逆を成功させ……」
-×-×-×-×-×-
神妙な顔の記者たちが、研究所からぞろぞろと出ていく。
数週間後、モルモットに対する保護活動が全国各地ではじまった。
過激派の動物愛護団体よりも強硬な論調でモルモットを解放すべしという意見が噴出し、ひいては齧歯類全体に対して、謝罪と和解を求めるデモ活動が活発になると、各研究機関は対応に追われることとなった。
一方で、森羅万象計算機が置かれた研究所。
壁の裏でチューと鳴く獣。
傍には齧られたコード。機械の脳に接続されている一本。
それは壊れるほどではなく、調子をちょっぴり狂わせるのに十分な刺激。
気ままに生きるネズミが一匹、ダクトのなかを、とたとたと走り去っていった。




