第1037話 だましフェンス
「まるでアスレチックのテーマパークみたいだな」
おれがこぼした感想に、店員は笑って、
「よろしければ、遊んでいかれてはどうでしょう。ほら、あちらなんてちょうど、登るのには手ごろだ。墜落防止用のロープもございます」
防犯設備を取り扱っている大型店舗。
鍵類やセンサー、カメラなんかが並べられた棚の奥の開けた場所。
多種多様なフェンスが並ぶ隅のほうを、店員が指差した。
運動場に設置されているような、ありふれた金網。縦横無数に連なる菱形。高さは大人の身長の三倍ぐらい。この店舗の天井すれすれまである。
しかし、なんだか網目が粗くて、腕がすっぽり通るほど。ひどく頼りない。
感じたままを言うと、店員は枝切りばさみに似た巨大ニッパーを持ってきて、
「頼りないなんて、とんでもない。試しに、このボルトクリッパーで切断してみてください」
渡されたので、その通りにやってみる。
分厚い刃でフェンスの針金を挟んで、ぐっ、と力をこめた。
硬い感触。体重をかけるが、びくともしない。
痺れて真っ赤になった手を離し、刃を当てていた部分を見ると、若干ひしゃげているぐらいで、切断には至っていなかった。
「硬度と柔軟性を両立した合成金属繊維を使っているので、このように非常に丈夫なのです。たとえ電動ノコギリであっても、突破することはできません。トラックの衝突だって耐えられます」
と、店員の説明。
それが本当だったら大したものだ。
けれども、破壊できないからといって、侵入を防げるというものではない。
「こんなに目が粗かったら、簡単に登られて、上を乗り越えられるんじゃないか。てっぺんに張る有刺鉄線は別売りだとか、そういう話かい?」
「いえいえ。こちらの商品につきましては、有刺鉄線などつけずに運用することが想定されているんです。どうぞ、お気軽に登ってみてください」
さっきの話は冗談かと思っていたのだが、本当に登らせたいらしい。用意のいいことに、天井から垂れ下がったロープには、しっかりとしたハーネス付き。
「もしも、登り切れたら、このフェンスをタダで進呈しますよ」
なんとも挑発的だ。
自信満々な店員の態度が引っかかって、そこまで言うのならやってやろうという気になった。
上着を脱いで、シャツの袖をまくる。
足をのせると靴が楽々隙間を通った。
昔はやんちゃ坊主として名を馳せて、木登りは大得意だった。
休日にはジョギングをしているし、体はなまっちゃいない。
両足を乗せて体重をかけるが、頑丈な金網は、たわむことなくおれの体を支えてくれた。
思った通り、簡単に登れる。
使われている針金は、ちょっと太めで、指をひっかけやすい。
こんなことで、防犯の役に立つんだろうか。
ものの数分のうちに、もう半分。
「んっ?」
不意に違和感を覚えて、足元に目をやる。
靴が引っかかったようだ。
菱形の金網の穴に、つま先がはまってしまっている。
落ちないように注意しながら引っ張るが、なかなか抜けない。
命綱があるので平気だが、もし落下したら骨の一本ぐらいは折れそうな高さ。
どうしたものかと途方に暮れて天井を見上げると、下にいる店員が、
「ギブアップなら、そうおっしゃってくださいね」
そんなふうに言われると、こっちにだってプライドがある。
靴から足を引っこ抜くと、そのまま脱ぎ捨てて、靴下で登りはじめた。
しかし、二、三歩ほど上にいったところで、またしても、今度は靴下だけの足が金網に捕まってしまったではないか。
押しても引いても抜けない。踏ん張ると、反対側の足にも食いつかれる。
ただただフェンスにしがみつくしかなくなって、結局、白旗を揚げることに。
「いま助けにいきますから、じっとしていてください」
店員が慣れた調子で登ってきて、おれの足になにかスプレーを吹きかけた。
すると、がっちり固定されていた足が、するんと抜け出たではないか。
やっとのことで下に降りて、どういうことかと尋ねる。
「それはですね……」
と、店員はフェンスをよく見るようにおれに促した。
ピンとこないでいると、こぶしぐらいの太さの長い棒を持ってきて、
「この棒の先を穴に通してみてください」
目の前にまっすぐ突き出すと、棒は菱形の穴を簡単にすり抜けた。
けれど、上のほうの穴には通らない。
これが意味するのは、まったくそうは見えないのだが、上にいくにしたがって、まるでだまし絵みたいに穴が小さくなっているということ。
さらに、店員の説明によると、登ろうとして体重をかけると、幅が狭まるような仕組みになっているのだという。
「これは絶対に引っかかるだろうな」
実際に登ったからこそ、そう思う。
間近で見ていても、ぜんぜん気が付かなかった。
このフェンスを前にした不届き者は十中八九、上を乗り越えようとする。壊そうとしても壊せないのだから、そうするより他ない。ちょっとしたハシゴみたいに、登りやすそうな見た目をしていて、有刺鉄線も張られていないのだから、手っ取り早い方法を選ぶはず。
そうして、てっぺんを見上げながら軽快に登っていくと、お留守になった足元が見事に捕らえられてしまうというわけ。そういうやつらの活動時間は、だいたいが夜だろうし、暗ければよけいにわからないに違いない。
感心していると、店員はここぞとばかりに熱心に商品を勧めてきて、
「お客様は半分まで到達されたので、今回このフェンスをご購入いただけるなら、いくつでも半額でご提供いたしましょう」
なんてことを言ってきた。
欲しいのは、うちの会社の倉庫周辺をぐるりと囲うためのフェンス。
金属製品を扱うこじんまりした会社だが、昨今の金属需要の高まりに伴い、古い倉庫に忍びこんで銅やアルミなんかを持ち出す輩があらわれた。
フェンスはその対策。
倉庫はたいした大きさじゃないが、三軒分なのでそれなりの長さがいる。
半額にしてもらえるのなら、非常に助かるのだが、
「本当に全部半額? 一個分じゃなくって?」
「はい。こちらはいま絶賛売り出し中の商品なので、できるだけ多くの方に使っていただきたいと考えているんです。サポートも充実していますので、なにかあればお気軽にカスタマーセンターのほうにご連絡ください。使用感などの感想もお待ちしていますよ」
「なるほど……」
一応、他の商品も見せてもらい、検討に検討を重ねたが、性能でも資金面でも、やはり、だまし絵みたいなあのフェンスがいいということになった。
><><><><><><><
七日ほどで設置が完了して、さらに三日後、さっそくフェンスが活躍。
しかし、ちょっと困ったことになった。
コソ泥が捕まったのはいいが、フェンスから足が外せないのだ。
思い返すと、おれが同じようなことになったとき、店員がスプレーを吹きかけていた。
店に連絡して、あのスプレーを売ってくれるように頼むと、返ってきた答えは、
「申し訳ございませんが、軟化スプレーは非売品となっております」
「だったら、どうしろっていうんだ。あのフェンスは、悪人を捕まえるだけじゃあ飽き足らずに、罰するところまでやるのか」
夜に忍びこもうとしたコソ泥は、朝、おれが出社するまで宙ぶらりん。
フェンスに張りついたまま、ぐったりしている。
なにかあって、うちの責任になったら困る。
苦言を呈するおれを、電話口の相手はするりといなして、とあるサービスの案内をしはじめた。
その内容というのが、金網に引っかかった人を救出する、というもの。
料金は助けられた側が支払う。
つまり、うちの会社ではなく犯人。
どうやらこのフェンス。
最初から犯罪者から金をふんだくるのを目的で作られているらしい。
道理で半額なんていう破格の値段だったわけだ。
商魂逞しいと褒めるべきか、逞しすぎると呆れるべきか。
まったく、これではどちらが悪人なんだかわかりゃしない。




