第1034話 推しも推されぬ
今夜は決戦前々々夜。
三日後、あの御方が降臨なされる。
予言された祝祭をおこない、世界をあまねく照らし尽くすのだ。
推しは推せるときに推せとは、まさにあの御方のための言葉。
人生で一度の推せる機会を、決して逃すわけにはいかぬ。
あの御方には名がないが、名もなき名を呼べぬは不便。
だから、あの御方を表すために、とある言葉が使われている。
示し合わせたわけでもないのに、どの場所、どの言語、どの時代でも同じ。
――愛すべき者。
あの御方は誰にとっても同じく、時を翔ける恋人なのだ。
歴史を紐解けば、原始の時代以前から、あの御方の祝祭が開催されていたことがわかる。
人々の熱狂が、各地の壁画や工芸品に残されているのだ。
そして近年においても変わらず。
五十年前にも、百年前にも、二百年前にも、五百年前にも、あの御方は現れ、人々を虜にした。
記録された映像や音声からも信者は増え、その勢いはとどまることを知らない。
なにせ、我らが御先祖様からして、信者なのだから、全世界、全人類において、誰もがあの御方に恋をせずにはいられない。
わたしの父も母も、祖父も祖母も、曾祖父も、曾祖母も、さらに遡った全員が、あの御方の信者。
何故あの御方が偏在なされるのかは謎のまま、遥かなる時を経て、今日に至る。
説明されることはないし、我らが尋ねることもない。
すこし前に実用化された時空干渉機を使って時間旅行をしているではないかと、わたしは考えているが、追及しようとは微塵も思わない。真実など無意味。祝祭を楽しむためには、むしろ邪魔。たとえ、あの御方が生まれ持っている超常的な能力が使われているだとか荒唐無稽なことを言われたとしても、わたしは信じる。
恋しい。恋しくて堪らない。
虹や極光など足元にも及ばぬ美しさ。
太陽が矮小に思えるほどの元気の源。
月に苛立ちを覚えるぐらいの安らぎ。
そして、愛しさ。魂の底からの。
ずっと楽しみにしていた。焦がれていた。
約束の日。祝祭を。
十年前から、二十年前から、三十年前から、生まれたときから。
祝祭を迎えるにあたって、人類全員が休暇に入った。
仕事など、自動人形にでもやらせておけばいい。
究極の喜びを得る権利は、誰もが平等に与えられるべきなのだから。
楽しみだ。楽しみすぎる。
けれども、激しすぎる思慕は時に反転した無尽蔵の燃料となって、わたしにあるものを造らせもした。
もうすこしで、完成する。
わたしの、模像。寸分違わぬ、あの御方の似姿。
最新鋭かつ高性能の自動人形に時空干渉機を搭載し、あらゆる時代のあの御方を追跡するように設定してある。
情報を集積することで、模像は愛すべき者の近似値となり、そのうち、歌って、踊ることすらできるようになるだろう。
これは決して、あの御方を独占したいなどという、不遜で傲慢で利己的な精神によるものではない。
崇高なる目的のため。
人類の行く末を想ってのことなのだ。
もはや、あの御方への愛は、人類種の特性とまで言っても過言ではない。
原初から終末まで、あまねく遺伝子に刻まれているのだから。
と、すればだ。
愛すべき者がもし失われでもしたらどうなる。
それは、巨大隕石が衝突するよりも絶望的な状況。
物質的死よりも前に、精神的死によって、人類が死に絶える。
そんな事態になる前に、手を打つべきだと、わたしは考えたのだ。
だから、模像を造った。
稼働した暁には、過去現在未来永劫における終わりなき人類の栄光と享楽が、きっと約束されるであろう。




