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井ぴエの毎日ショートショート  作者: 井ぴエetc


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1030/1202

第1030話 明治のくちなし男

 おれはものわぬさや


 口を持たない、くちなし男。


 廃刀令はいとうれいたましいを失い、士族しぞくなどというおかざりの身分で、現世うつしよ彷徨さまよ亡霊ぼうれい


 ――こいりたい、に攻め入りたい。


 そんなおもいは、時代にそぐわぬ。


 闘争心とうそうしんは行き場を失い、むなしくむくらむハリボテだ。


-+-+-+-+-+-


 ザンギリ頭の洋服小僧こぞうが、文明開化の色をりまく。カンカンぼうを浅めにかぶり、くのはつやめく革靴かわぐつだ。

 おれは断髪令だんぱつれい時分じぶんから、まげを守って、くのは草履ぞうり、着るのははかま

 わざと肩肘かたひじりながら、負けじと横をすれ違うが、ひと相撲ずもうもいいところ。

 いやな奴にもなれずじまいで、相手は前だけ見据みすえている。


 なんだか、がっくり気落ちして、トボトボ歩いていたならば、豆腐屋の前で妻に会った。

 店内をのぞいていた妻は、おれに気がつくと、


「あら。あなた」


 瞳をくるくるさせながら、トタトタとってきて、「荷物を持って」と、箱を押しつける。かざり気のない包装ほうそう。縦横高さはいずれも一尺いっしゃくほどで、かなり軽い。

 なにかと思っていると、おれの視線から疑問を読み取ったらしく、


「新しい風呂ふろおけを買ったのよ」


 なるほど。風呂好きの妻らしい買い物。

 夫に荷物を持たせるなど、武士の妻としてあるまじき行為だが、くちなしのおれには、もはや文句の句の字もない。

 黙っていると、妻はのべつまくなししゃべくりながら、おれの腕を引いていく。

 豆腐は見ていただけで、買うつもりはなかったとのこと。妻からすれば、豆腐屋も観魚室うをのぞきもたいして変わりはしないらしい。

 よく舌がからまらないものだと、関心かんしんしてしまうぐらいに、妻はおれに今日の体験を語りに語る。

 新しいものが次々に生れ落ちるさまが楽しくて仕方がないらしい。

 おれは、その下でつぶされて、うずもれて、苦しみあえぎ、死に絶える、古いものたちのことを思うと、とてもじゃないが、妻のようにはえぬ。

 以前は貞淑ていしゅくであったのに、時代が妻を変えたのか。しかし、昔ながらの職人気質かたぎの大工だと思っていた妻の父も、いまではとびを捨てからすという具合だから、そういう血筋なのかもしれない。


 ふらふらどこへいくのやら。

 身を任せていると、到着したのは暖簾のれんではないか。

 くぐると酒の香りがただよい、ひのきの机がおむかえ。

 妻は、夕飯を作るのが面倒だからと言いながら、席について早々そうそう、日本酒の熱燗あつかんを注文。ふたりぶん。それからいくつかのつまみ。


 はなやかな徳利とっくりと小皿。

 ちょを持ち上げたが、しゃくはない。

 妻は品よく飲み干して、つまみもそこそこにまたしゃべる。

 くちから先に生まれてきたとは、まさしくこのこと。話のほうが、よほど酒のさかなになっていそうだ。品があれば、くちみっつ。女三人寄ればなんとやら。


 すきっ腹が満たされたころ暖簾のれんまたあかねに目を向け、そろそろ家が恋しくなる。

 妻も同じくだったらしく、席を立つと、蝦蟇がまを開いた。

 支払いを終えて、帰路きろへ。


 夕闇ゆうやみせまる細い道。

 牛鍋屋ぎゅうなべやにたむろする人々。西洋は胃袋いぶくろからして、人々の心をつかもうとしているのだろうか。

 影が伸びる先に、引っ張られるみたいにして、妻は近所の寺院じいんに足を向けた。

 石段をのぼって、鳥居とりいくぐる。

 他の参拝さんぱいきゃくはいない。神仏しんぶつ分離ぶんりれいの影響だろうか。廃刀令はいとうれいで魂を失った、おれと同じく、がらんどうの境内けいだいだ。

 手水舎ちょうずやに寄り、りゅうじゃれ流す水を、柄杓ひしゃくすくう。

 手をきよめているあいだだけ、風呂ふろおけの箱を妻がわって持ってくれた。

 大工の娘だけあって、寺院の意匠いしょうについてあれやこれやと詳しく語る。

 すずめに巣を作るスズメを興味深げにながめると、妻はきまぐれな足取りで、本殿へとまいった。

 獅子ししを見上げ、賽銭さいせんを投げて、わにを打つ。


 おれは、ぼーん、と。


 妻は、こつん、と。


 そうして、手を合わせた妻が、不意ふいに、


「あなたがおおぐち開けていられますように」


 間抜まぬけな願いだと思っていると、


「変なお願いだと思ったでしょ」


 なんだ、が妻には神通力じんつうりきでもそなわっているのか。

 ぎょっ、とするおれに、妻はころころと笑って、


「心を読まれたかと思った? そんなわけはないでしょ。あなたの目を見ていればわかるのよ。目はくちほどに物を言う、ってこと」


 らした視線の先を追ってきて、妻は「帰りましょう」と、おれの腕を引いた。

 石段をくだりながら、


「居酒屋さんでも、品はあるのにくちやかましいな、って思っていたでしょう?」


 やかましい、とまでは考えていなかったはず。


「あなたはさやじゃなくて”うつわ”」


 草鞋わらじ鼻緒はなおがすこしほどけている。

 足元を気にしていると、妻が歩をゆるめて、


うつわっていうのはね。くちがよっつで、おおきいものなのよ」

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