第1010話 赤い雨合羽
職場のホームセンターで商品陳列作業に励んでいると、
「あのう」
声をかけられて振り向く。
そこにいたのは、こんがりと陽に焼けたおじいさん。
よれよれの泥付きオーバーオールに、つばの広い帽子。腰はシャンとしていて、いかにも農家という風貌。
おれは作業の手を止めて、お客さんの対応にあたる。
「なにかお困りでしょうか?」
すると、おじいさんは気おくれしたみたいに視線をさまよわせながら、
「長靴が欲しいんですけど……」
「それなら、あちらに……」
おれが案内しようとすると、
「違います」
と、遮られて、
「あっちの棚の長靴だけだと、数が足りないんです」
「はあ、数ですか」
そう言われても、おれの記憶では、三、四十足ほどが置いてあったはず。
様々な用途に合わせた長靴たち。つま先に芯が入った安全長靴。防寒用の長靴。ズボンと一体化して胴まである長靴。子供が楽しんで履けるようにキャラクターがプリントされたもの。それらが、足のサイズごとに売られている。
ちょっと目を離した隙に飛ぶように売れ、棚の商品がなくなってしまったのか。
そんなふうに思ったが、おじいさんが欲しがっているのは、
「百足」
聞き間違いかと思ったが、たしかに百足欲しいのだという。
ムカデが履くのじゃなければ、百人分といういうことだ。
さらには雨合羽も百人分。
人のよさそうなおじいさんは、困惑するおれを気遣って、理由を詳しく説明してくれた。
おじいさんは牧場主。
若い頃から牧場一筋で、動物の世話に明け暮れていた。
けれど、最近になって主要な取引先がつぶれてしまい、経営が立ち行かなくなってしまったのだという。
もう十分に働いたから、牧場を畳もうかと考えていたところ、都会の会社に就職していた息子が、仕事を辞めて帰ってきた。
そして、その息子に牧場を譲ることになった。
すると、息子は牧場の経営方針をガラッと変え、見学ツアーを計画しはじめた、というわけ。
息子としては、それで資金繰りをしようという腹なのだろう。しかし、聞いていると、おじいさんとその息子の折り合いはずいぶんと悪そうであった。
「息子は動物のことがなにもわからないから」
「動物たちがかわいそうだけれど」
おじいさんは、そんな言葉を繰り返し口にする。
乗り気でないのがひしひしと伝わってきた。言葉の端々から、不満の感情が漏れている。
長靴と雨合羽はツアー客に貸す用のもの。
動物のフンなんかで汚れた場所も臨場感そのままに見学してもらう予定なので、用意しておくようにと息子に頼まれたのだという。
とにかく事情はわかった。
話を聞いたことで、求められている商品の傾向もつかめた。
「在庫を確認してまいりますので、少々お時間いただけますか」
と、おれはおじいさんに待ってもらって、倉庫へ。
泥汚れなんかに強いタイプの長靴の数をかぞえる。色やサイズ別のものを合わせれば、十分な量。雨合羽も同じぐらい。
このあたりは雨が多い地方なので、長靴と雨合羽、それから傘なんかは、うちの主力商品。スコールと共に一気に売れるから、常に在庫は潤沢だ。角をみっつほど曲がったあたりではじまった工事の関係者も来店するようになって、ますます売れ行きは好調。おじいさんも、そんなうちの評判を聞いて、買いにきてくれたのかもしれない。
さっそくおじいさんに長靴百足、雨合羽百着が用意できることを伝える。
商品を確認してもらうと、厚手のものがいいとのこと。
ただし、雨合羽に関して、一着だけは動きやすい薄手のものがいいのだという。
要望にぴったりの商品があったので、再度確認してもらうと、満足してもらえたようだった。
勝手ながら、おじいさんは息子の考えたツアーに反発しているのではないかと感じていたのだが、商品をたしかめる目は真剣そのもの。どういったものがいいか、ちゃんとしたこだわりがあるらしい。
おれの勘違いだったのか、仕事と家族とはまた別のことなのか。どちらにせよ、お客さんの家庭事情に踏み入る必要はない。おれはただ商品を売るだけ。
ある程度なら色やサイズが選べるので、どのぐらいの割合がいいかと尋ねると、
「じゃあ、大人サイズを八十、子供サイズを二十。そのうち、暗い黄色を三十三、暗い青を三十三、暗い緑を三十三、それから明るい赤を一つ。赤は大人サイズで。その一つだけ薄手のものに」
「かしこまりました。ただ、申し訳ございません。お求めいただいている商品の数に足りない色がありますので、そのぶんは、業者のほうに連絡して取り寄せないといけなくなってしまいます」
「赤ですか?」
「いえ、青と緑がそれぞれ十ほど。黄色を五十五にして、青と緑が二十二ずつであれば、すぐにご用意できます。あと赤がお一つですね」
「それなら、それで、大丈夫です」
「商品の受け渡しはどうしましょう。配達がよろしいですか?」
「いえ。車できているので、そこに」
あとはとんとん拍子に話が進み、おじいさんは長靴百足と雨合羽百着を購入。
大量の商品を車まで運ぶのを、おれも手伝った。
ほんのりと動物の香りが漂うトラック。ツアーがうまくいくことを陰ながら願いつつ、牧場へと帰るおじいさんの車を見送った。
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後日。
新聞を読んでいると、気になる記事を見つけた。
――のどかな牧場での悲劇。鮮血に濡れた雨合羽。
内容に目を通すと、とある牧場で開催された観光ツアーの最中、人の集団に突如牛が突っ込んだらしい。
追突された男性は病院に運ばれたものの死亡。
牧場関係者、と書かれていたので、おじいさんの顔が浮かんだが、年齢からすると別人のようだ。
記事を読み進めると、牧場経営者の息子、だそう。
ツアー客を案内中の惨劇。
原因は雨合羽。
ひらひらとしたマントのような赤い雨合羽を見た牛が興奮して、まるで闘牛士に向かっていくかの如くに、被害者を襲ったのだという。




