お友達が可愛いです
「あの……エリーさまは、怒ってらっしゃらないのですか……?」
エリーはうっとりとした笑顔を瞬時にやめて、眉をつり上げる。
「あなたに対しては、怒っているわよ。でも、わたくしに嫌われたくないからという理由なら、許しあげるわ」
エリーは艶やかに微笑んだ。サクラは目を丸くする。
「何か色々と誤解をしているみたいだから、わたくしのことを少し話しましょうか」
エリーはベンチから腰を持ち上げ、ティーポットを手にとると、サクラが使っていたカップにお茶をそそいだ。カップをソーサに置いて、サクラの前に差し出す。
「お茶でも飲みながら、ゆっくり話しましょう」
サクラは呆然としたまま、頷いた。
エリーは自分のカップにお茶をそそぐと、ベンチに座った。きれいな所作で一口、お茶を飲むと、サクラに向き直る。
「わたくしはセオドアさまのファンだけど、婚約者がいるわよ」
「ぶっ……!」
びっくりしすぎて、お茶が喉にひっかかった。サクラはむせてしまい、苦しげにうつむく。
「大丈夫?」
エリーが顔を近づけてくる。
「だ、大丈夫です……っ」
げほげほ咳き込みながらも、サクラは顔をあげる。
「エリーさま、婚約者がいたのですね……」
「あら、変かしら? よくある家同士の政略。利害が一致したから娘と息子を結婚させましょう、というだけの話よ」
平然と言い切るエリーに、サクラはほぅと息を吐き出した。
(お嬢様だなあ……)
しかし、相手が気になる。
「お相手は誰か聞いてもいいのでしょうか……?」
「いいわよ。学園で治癒師をしているブルーノさま」
(えぇっ?! 攻略対象者のひとりじゃない!)
初日にサクラを治療してくれた先生だ。その彼がエリーの婚約者。
(そんな設定あったかしら……?)
ゲームのあらすじを思い出す。
(ブルーノ先生のルートって、ザ★略奪愛って感じのシナリオだっはず……ライバル令嬢が出てくるのよね)
彼には婚約者がいたはずだ。その婚約者とブルーノはうまくいっていなかった。だから、ヒロインが割り込めるシナリオだったのだ。
(ということは、エリーさまが、そのライバル令嬢?)
サクラはエリーを見つめた。
(そうなると、エリーさまとブルーノ先生はうまくいっていないのかしら?)
エリーをじっと見つめると、彼女が目を吊り上げた。
「ブルーノさまと婚約者なのが、そんなに変かしら?」
「いえ、そんなことはありません。ただ、ブルーノ先生は寛大なんだなと思いまして」
「寛大?」
「はい。ブルーノ先生は、エリーさまのファンクラブ活動を許しているんですよね? 心が広いと思います」
婚約者が他の男性に夢中なのは面白くないだろう。それを許すのは、心が広いか、相手に興味がないかのどっちかだ。
(エリーさまが婚約者に冷たくされるのは嫌だな。ブルーノ先生の心が大海原のように広いことを願うわ)
そう思いながらエリーの答えを待つ。しばらくして、彼女は目をすがめた。
「……学生時代は好きにしていいって、親からも言われているのよ。あの方は、わたくしをからかうばかりで、さほど興味はないの」
うつむいたエリーに、サクラはこてんと首をひねる。
「からかうのに、興味がないんですか?」
「……子供扱いするってことよ。頭を撫でてきたり、不意打ちのように抱きしめてきたり……わたくしの都合はおかまいなしなの」
(ふむふむ。つまり、これは)
サクラはぐっと握りこぶしを作った。
「ブルーノ先生はエリーさまが大好きなんですね!」
エリーの顔が、かっと火がついたように赤くなる。
「なにを言っているのよ……好きなら相手を思いやるはずでしょ?」
「思いが重いんでしょうね。大好きすぎて、すぐ触っちゃうタイプなんでしょう」
「触って……て」
「ちなみにエリーさま。ブルーノ先生とは、会う頻度はどのくらいですか?」
「え?……毎日、会っているけど……」
(毎日! はい! 溺愛確定です!)
サクラは菩薩のような笑顔になる。
「……エリーさま。興味のない相手と、毎日、会いたいと思いますか? たとえば、クラスメイトのライさんは、エリーさまの興味外だと思いますが、毎日、会いたいですか?」
「……会いたくないわ」
「では、無理やり会うことになったら、どうしますか?」
「……一言も話したくないわね」
「そうでしょう。そうでしょう。つまり、ブルーノ先生は好きでエリーさまとお会いしているのです」
サクラは元カレのことを思い出して、菩薩の微笑みを継続する。
「男は興味のない女には、金も手間もかけません。会う頻度が極端に減るものですよ」
サクラは説得したが、エリーはまだ納得していないようで、ふいっとそっぽを向く。
「……それでも、子供扱いしすぎよ。頭を撫でられるのも、頬をつっつかれるのも、わたくしは好きではないわ」
強い口調で言うが、彼女の横顔は照れているようにしか見えない。頬にさっと入った朱色も、つり上がって細くなった目も可愛くて、ちょっかいを出したくなる。
(ブルーノ先生の気持ち、わかるわぁぁぁ)
大して会話をしていないのに、サクラはすっかりブルーノに同調していた。
「しかたありません。エリーさまは、可愛いすぎます」
「……何を言ってるの……」
じろりと睨まれるが、さきほどよりも顔の赤みが強くなっている。鼻先まで眼鏡がズレているのに、エリーは気づいていないようだ。
(眼鏡をなおしてあげたくて、ウズウズする……)
そんな煩悩を払い、サクラは女神のように微笑む。
「エリーさまは可愛くて、お優しくて、素敵な女性です」
エリーは言葉を詰まらせ、眼鏡のズレに気づいて、両手で端を持ち上げた。
「……あなたと話をしていると、悩んでいることが馬鹿らしくなるわ……」
「それは、褒めているんですね」
ふふっと笑うと、エリーは嘆息した。気を取り直すようにお茶を口に含む。茶器を見つめながら、彼女は呟くように言った。
「……あなたなら、いいかも」
「え? なんですか?」
声が聞き取れなくて、顔を近づけると、エリーは艶やかに微笑んだ。
「なんでもないわ。話はそれだけど、わたくしには婚約者がいるし、セオドアさまは遠くで見ていたい方なのよ」
「そうなんですか……」
サクラが想像していたファンクラブ内でのセオドア争奪戦は、なさそうだ。少なくともエリーは争う気がないらしい。
「わたし、勘違いをしていました。すみません……」
「ふふっ。いいのよ。それよりも、ねぇ?」
エリーの瞳が妖しげに煌めきだす。サクラはビクッと震えた。
「ブルーノさまは、セオドアさまと親しいのよ」
「そうなんですか」
「だからね。ブルーノさまに頼んで、セオドアさまを呼び出すわね」
「え?」
エリーはにっこりと笑った。
「あなたはわたくしの特別なお友達。今度、四人でお食事をしましょう」
エリーの微笑みを見て、サクラは顎が外れてしまうほど、口を開いた。