推しのデレ顔に悶えます
「よくできたな」
セオドアは穏やかな声を出して、サクラから離れた。サクラは我に返り、水晶玉の中に灯った小さな炎をじっと見つめる。
(できた……え? 嘘?)
いとも簡単にできたことにびっくりだ。小さな炎は、水晶玉の中で揺らめきながらすぐ消えてしまった。
サクラはまじまじと水晶玉を見た後、振り返った。
数歩下がったところに立っていたセオドアの口の両端はわずかに持ち上がり、微笑んでいるように見える。
「一度、使えるようになれば、後は簡単だろう。ひとりでやってみなさい」
「……はい」
不思議に思いつつも彼の言葉にしたがってしまう。サクラはもう一度、水晶玉に向かい合った。
(えっと。水晶玉を見て、集中して……)
また、手のひらがあたたかくなる。サクラの魔力が水晶玉に流れていき、小さな炎が灯った。
(わっ、わっ……! できた!)
サクラの目が興奮で輝きだす。
「できました!」
頬を紅潮させ笑顔で振り返ると、セオドアの目は眩しいものでも見たかのように細くなった。
「頑張ったな」
(わっ……! セオさまが微笑んで……!)
サクラが知る限り、セオドアの微笑は、ご褒美をありがとうございますと言いたくなるほどの貴重さ。生で見れたことで、尊さが限界突破して、サクラの顔は真っ赤になった。
(こ、腰が抜ける……!)
頭から煙をだしそうなくらい顔がほてっている。震える両足をふんばり、サクラは頬を両手で挟んでうつむいた。
(お、お礼をいわなくちゃ……!)
「ありっ……がとう……ございま……す」
「礼をされることはしていない。きみの実力だ」
淡々と返され、サクラはうつむきながらも声を張る。思いが爆発した。
「いえ! セオさまのおかげです! 一度、断ってしまいましたが!わたし! 本当はできるかとっても不安でした! だから、セオさまが助けてくださって、本当に感謝しているんです! 感謝しかないんです! 前にも助けて頂きましたし! 本当になんとお礼を言っていいのかわかりませんが……!」
サクラは床の上で正座をして、両手をつき深々と頭をさげた。
「本当にありがとうございました!!!」
今できる最上級の礼を態度でしめした。
サクラの土下座を見たセオドアは顔をしかめ、大股で歩み寄る。床に頭をこすりつけているサクラの前に手をつき、顔を覗き込んだ。
「そこまでされることはしていない。顔をあげてくれ」
「いえ! この体勢のままセオさまを見送らせて頂きます! ありがとうございました!!」
サクラは頑なに頭をさげた。今、顔をあげたら彼の顔面を直視してしまう。もう心臓が飛び出そうなほど緊張しているのだ。顔面偏差値の高い彼を見たら、意識を失う。体勢は変えられない。
サクラがぎゅっと目を瞑っていると、セオドアは大きなため息を吐いた。
「……そんなに畏まらないでくれ。頼むから……」
( た の む か ら )
その一言に、サクラは背中を震わせて反応した。推しに頼まれたら、反射的に顔をあげてしまう。推しの頼みを断れるわけない。
そろそろと顔を上げると、見えたのは困惑ぎみにわずかにひそまった眉だ。
鋭かった眼差しは、子犬のように弱々しいものになっていて、彼の頬は仄かに朱色になっていた。困り果てた彼の顔は、十代の少年らしさが残るもの。サクラがときめいた表情だった。
(セオさまのデレ顔ー!キターーー!)
生で見れた喜びに打ち震え、サクラは完全に我を失った。すくっと立ち上がり、彼に向かって、何度も頭をさげる。
「ありがとうございます。ありがとうございます。ありがとうございます。本日は誠に良いものを見せていただきました。一生の宝物にします。それでは、失礼いたします」
取引先に礼をするみたいに腰を折り、真っ白な頭のまま、水晶玉だけはしっかりと抱え、教室から飛び出し、職員室に向かい、真顔のまま担任に魔法ができたと報告して水晶玉を返した後、寮へ。
階段を駆け上がり、自室の扉を開いた。
――バタン!
扉を閉めた後、ようやく正気に戻る。サクラは扉を背中につけたまま、へたりこんだ。真顔だった表情が、へにゃりと歪む。
(セオさまのデレ顔を生で、3Dで見てしまったわ……! うわっ! うわあああっ!)
サクラは顔を両手でおおった。その体勢のまま、身を丸くして、床をごろんごろん転がり回る。
(デレ顔すごい。デレ顔、まじすごい。本当にすごい。すごいーーー!!!)
心の中で、ありったけの声で叫んで、サクラは床の上で、じたばた悶えていた。
*
教室に残されたセオドアは、あっという間に出ていったサクラを追うこともできずに、嘆息しながら立ち上がった。
表情にはでないが、セオドアの心の中は、暗く重いものが渦巻いていた。
セオドアは空いていた椅子に腰かけると、サクラとのやり取りを思い出し、顔を両手で覆った。
(……やりすぎた……な……)
セオドアはサクラに服従の魔法を使ったことを後悔していた。
彼女を助けたいと思ったのに、断られたことに苛立ってしまったのだ。
その苛立ちは、自分に向けられたものだった。
彼女がエリーと同じセオドアのファンだということは知っていた。彼女が極端に赤面するのも、ファンに押しかけられたことがあるセオドアは、大して気にしていない。
むしろ、彼女に意識されていることに、愉悦感を覚えたほどだ。
畏まりすぎるのは驚くが、彼女が平民出身だと思えば、その態度にも納得ができた。学園では平等が謳われているが、貴族と平民という階級による認識違いは、根強くこの国に残っているものだ。
爵位がある家の出身というだけで、市民からは畏まられてしまう。セオドアとして、もっと普通に接してほしいと願っているが、なかなか難しかった。
彼女に手を差し伸べたら、素直に応じてくれると思い込んでいた。彼女の困り果てた顔を見て、それが自分の勝手な幻想だと知って、馬鹿な思い込みをした自分に苛立った。
それに、彼女の魔法に興味があったのは確かだ。サクラが流れ星の子ならば、魔法の発動の仕方が違うのかもしれない。見てみたい。という純粋な好奇心もあった。
彼女が嬉しそうに笑ったときは、桜の花がほころぶように見えて、そんなことは忘れてしまったが。
あれこれ理由はあるものの、サクラに服従の魔法を使ったとき、セオドアは冷静さを失っていた。体の芯が凍りつくほど、魔力が暴走していた。
(……らしくない)
ブルーノがいたら、きっと、そう言うだろう。
彼女が軽く、儚い存在に見えてしまうのが、セオドアの中で、妙な焦りを生んでいた。桜の木に容姿が似ているから余計に、捕まえておかないと消えてしまいそうに感じる。
焦燥感にかられる必要はどこにもないはずなのに。彼女を前にすると、セオドアの判断力は鈍り、うまく感情がおさえきれなかった。
(……ただ、助けたいだけなのにな)
どうにもうまくいかない。
昔からそうだ。
可愛いと思った存在には、怯えられて、距離を置かれる。
懇意にしている孤児院の慰問の際は、見た目に怯えられて、子供によく泣かれていた。赤子はセオドアと目が合った瞬間に泣き出す。ギャン泣きだ。
その度に、セオドアの心はしおれた。
自分では微笑んでいるつもりでも、顔が怖いとよく言われる。常に礼節さを求められてきたセオドアの表情筋は、動くことを忘れてしまっていた。
(彼女を怖がらせないようにしないとな……そのために、魔力の制御をしなくては)
セオドアは顔から手を外し、ズレた眼鏡をなおす。
(……眼鏡を変えるか……)
彼女と出会ってから魔力の暴走が激しい。魔力を調整しているレンズが合っていないのかもしれない。そう思い、椅子から腰を持ち上げる。
教室を出て、歩くたびに思い浮かぶのは、桜の花が咲いたような彼女の笑顔だ。
もう一度、あの笑顔を近くで見てみたい。
それは、流れ星の子を守りたいという義務感ではなく。
ごく自然に、心から湧き上がってきた願いだった。